第4章 謎の運転手

第19話

 修学旅行2日目は班別行動の日だった。ホテルのロビーに12の班に別れた生徒が並んでいた。その前で、「運転手さんの言うことに素直に従うこと。他校の生徒と喧嘩をしないこと。文化財を傷つけないこと……」などと、教頭が延々と注意事項を並べた。


 生徒たちが教頭から解放されるのに30分かかった。


 花梨には心配事があった。昨夜、凛花が佐藤を門前払いしたことだ。ホールで顔を会わせた2人は一度も口をきいていない。


 子供なのね。……花梨は列に並んだ凛花と佐藤の顔を交互に見やった。


「私が5班の皆さんを案内する綾小路麻呂あやのこうじまろといいます。高貴な名前だから、分かり易いでしょ。よろしく」


 60代だろうか、花梨たちの前に立った中年男性が制服の帽子を取って頭を下げた。てっぺんが禿げているので、花梨たちは目と目を合わせて小さく笑った。


 頭を上げた綾小路は、花梨と凛花の顔をしげしげと見つめた。それに卑猥ひわいなものでも感じたのだろう、凛花が尋ねた。いつも以上に凛とした、厳しい口調だった。


「何か?」


 彼が少しだけ狼狽うろたえたように見えた。


「いや、……行きましょうかぁ」


 綾小路の声は驚くほど大きくはっきりしたものだった。


「気をつけた方がいいわ」


 耳元で凛花の声がした。運転手を疑っているようだ。


 森村と佐藤が目の前を行く。花梨は、凛花にうなずき、彼らを追った。


 駐車場にベージュ色のタクシーが並んでいた。その1台に凛花たちは誘導された。身体の大きな一郎が助手席に乗り、後部座席には俊介、花梨、凛花の順に座った。


「計画表は先生から預かっとるよ。かなり急ぎ足の予定やなぁ」


 車に乗ると関西弁に変わったので、生徒たちは笑った。


「初対面なのに笑うなんて、失礼やで」


 言いながら綾小路は車を出した。予想外の急発進だった。花梨は運転手が怒っているのだと思った。


「……すみません」


「まぁ、かまへんけど。最初は大仏さんやね。すこし、遠回りするよ」


 運転手の態度も横柄に見えた。


 大人の前でだけ丁寧を装う人間かもしれない。……彼と一日中一緒だと思うと残念な気持ちになった。


 ホテルから東大寺までは5分ほどの短い距離のはずだが、綾小路は大仏殿が江戸時代に再建されたものであるとか、本当は鑑真がんじんが日本の僧に戒律を与えた戒壇院かいだんいんの方が歴史的意義がある、とか話して脇道に入った。


 道は狭く、横に広がって歩く観光客にぶつかりそうになることが多い。「ヨッ、ヨッ」と声にしながら綾小路は忙しくハンドルを切った。


「あれが戒壇院や」


 彼はスピードを落とし、目の前のやや高い土地にある建物を指した。


「まあ、このあたりは戦国時代に焼けているから、建物は再建されたものばかりや。戒壇そのものは後の唐招提寺でも見られるから、行くでぇ」


 後で同じものを見られるなら、わざわざ回り道をすることないではないか。……花梨は車窓から建物を見上げていた。


「あれが南大門……」


 駐車場からは、綾小路の後について歩く。


 花梨は大きな門に驚きながらも、寄ってくる鹿達に気持ちを奪われ、鹿せんべいを買い与えた。


「こらこら、順番よ」


 鹿に注意を与える花梨を、凛花は黙って見ていた。


「花梨、遊んでいると時間が無くなるぞ」


 森村が言った。


「お嬢ちゃんは天真爛漫てんしんらんまんやなぁ。吉祥天きっしょうてんのようや」綾小路は花梨をそう表現し、「こっちのお嬢ちゃんはクールやな。薬師寺の仏様のようや。見た目は月光菩薩がっこうぼさつかなぁ」と凛花を評した。


「俺たちは?」


 佐藤が訊くと、「ボンはガタイもいいし、仁王様やなぁ」と、南大門で睨みを利かす金剛力士像を指した。


「スゲー」


 佐藤が破顔する。


「この門は、戦国時代にも焼けなかった。鎌倉時代のものや。なんで人間は戦争が好きなんやろなぁ。戦争をしなければ寺は焼けんから建て直す費用もいらんし、庶民も困らん」


「人間はアホだ。俺もだけど」


「でなぁ、普通の仁王様は門に並んで外側を向いているもんやけど、ここの阿吽あうん象と言われる仁王さんだけは向き合って門を通る人間を見下ろしている」


「なんでやねん」


 佐藤が適当な相槌を打った。


「人間性を見透かしているのに違いない。お眼鏡にかなわなかったら、どうなるのやろなぁ。恐ろしいやろ?」


「知るか!」


「関西弁が馴染んで来たな。ボン、オッチャンと組んで漫才やろか」


「なんでやねん」


「そやそや、それが阿吽の呼吸や」


 綾小路が楽しそうに笑った。


「一郎、ボンなんだ」


 花梨が笑うと、凛花が口元を歪めた。その隣で、忘れられたような森村がむすっと金剛力士像を見上げた。

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