第17話
バスがトンネルに入った時には薄暮だったが、出た時にはすっかり暗くなっていた。
「うひょー、陽が落ちてる」
花梨は考えることなしに驚きを口にした。
「生駒山の陰にいるからよ」
凛花が単純な理由を教えてくれた。
宿泊するホテルはJR奈良駅に近かった。周囲は商店街で観光地や古都の雰囲気はなかった。
「分かっているとは思うが、ご親戚の方と外出する場合は担任の先生に報告すること。それ以外は一切外出禁止。夜、各部屋に電話を入れる。部屋にいなかったら、……分かっているな?」
ロビーに並んだ生徒の前で、ずんぐりむっくりした体形の教頭が拳を振り上げてニヤリと笑った。
「教頭はあの拳で、イノシシを一撃で仕留めたそうよ」
教頭の武勇伝を凛花の耳元でささやいた。
「誰か見たの?」
彼女はノリが悪い。いや、冷静だった。
「さあ?」
花梨が噂の出どころにたどり着くより早く、鍵と食事券が配られ始めた。
フロントで鍵を受け取った生徒たちはエレベーターで上階の部屋へ向かう。
「綺麗な部屋ね」
部屋はツインだった。1人浮かれた花梨は部屋の奥の窓に近いベッドに飛び乗った。
同室の凛花ははしゃぐ花梨をチラリと見てから、ドアに近いベッドの横に荷物を置いて洗面所に入った。
花梨は窓の外に目をむける。街灯とひっきりなしに走る車のライト、駅の灯りは都会のものだが、道頓堀のような
「田舎でしょ?」
背後から、顔を洗った凛花の声がした。
「藍森に比べたら都会よ」
「藍森町は、ド田舎っていうのよ」
「そっかぁ」
笑いながら、景色にもう一度目をむける。駅のホームに6両編成の電車が入るところだった。
「早く食事にいかないと、御馳走が無くなるわよ」
凛花が言った。ホテルの食事は朝も夜もバイキング形式だ。
「忘れてた!」
カーテンを閉めてジャージに着替えた。
「どうして着替えるの?」
「ジャージの方が沢山食べられるもの」
花梨が応えると、呆れたというように凛花が首を振る。
2人は最上階のレストランに向かった。
レストランにジャージ姿で現れたのは、花梨と極一部の男子生徒だけだった。
「花梨、目立っているわよ」
「見た目より中身よ」
モエに笑われたが、花梨は平気だ。腹をポンとたたき、食器を取って列に並んだ。
料理はどれもおしゃれで美味しかった。花梨は何度も並び直してバイキングの料理を一通り食べた。同じテーブルの凛花は好きな料理だけを少し食べた。好対照の2人が黙々と箸を動かす様子は、どこか別の世界のようだった。
凛花がデザートを食べ終えても、花梨はパスタとハンバーグを食べていた。
「待たせてごめん。あとデザートだけだから……」
「ごゆっくり」
凛花が呆れたように言った。
その後、花梨はグラタンを食べ、ショートケーキとワッフル、オレンジとパイナップルを食べるために、デザートの列に2度並んだ。その間、凛花は文庫本を開いて時間を潰していた。
部屋に戻ると、花梨はベッドに転がり「満腹だわ」と膨らんだ腹をなでた。
「凛花さん、小食ね。お昼もたくさん残していたし……」
「そう?」
凛花は、カバンの中から下着とパジャマを出しながら小さな声で答えた。パジャマは小さな花柄の可愛らしいものだった。ちなみに花梨はパジャマは持って来ていない。ジャージのまま寝るつもりだ。
「お風呂に入るの? 家族が面会に来るんじゃないの?」
午後8時から、ロビーで知人と会う時間が設定されていた。
「家族のことは訊かないで欲しいわ。言ったでしょ」
彼女の険しい声を聞くのは初めてだった。
「そうだったかな?」
家族のことを訊くなと言われた記憶がない。でも、彼女が正しく、自分が忘れてしまったのだろう。
「ごめんね。私バカだから」
凛花は返事の代わりにホッと息をはくと、パジャマと下着を握ってバスルームに入った。
――シャー……。シャワーが打つ音は意外と大きく、彼女の抗議の声のようだった。
「もう! 心配してやっているんじゃない」
憤りが声になる。それから改めて、家族のことを訊くなといつ言われたのか、時間をさかのぼって考えた。
シャワーの音が消えて、ドライヤーの音に代わったころ、凛花が怒っているのは家族のことを尋ねたからではなく、家族が会いに来ないからではないか、と思い至った。人殺し、もしくはそれに近いことをした彼女は、家族に持て余されているのではないか?
ドライヤーの音が絶えてから、凛花とすれ違うようにバスルームに入った。
凛花は湯を張っていなかった、身体を洗っている間、湯の蛇口を出しっぱなしにして湯をためた。
「良い気持ち」
ホテルのバスタブは、家のものより広く足を延ばせた。まるで藍森寮の温泉のようだった。
花梨も髪を洗ったが、ドライヤーは使わない。バスタオルで水滴を強くぬぐい、乾いたタオルを巻いて放置するのだ。
文庫本を手にした凛花が不思議そうに見るので、「短いと楽なのよ」と笑ってみせた。
「うらやましい。私もベリショートにしようかな」
「凛花さんは、長いほうが似合うわよ」
「そう思うから切れないの。人間関係は切れるのに」
それは自虐的というより、確信に満ちた言葉だった。
「凛花さん、クールだものね」
「そうね。私、友達も家族も要らない」
「えっ!……それって……」そこで言葉をのんだ。
「私は1人がいい」
彼女の声に、ひどい孤独を感じた。
重苦しい沈黙があった。彼女がページをめくる音だけがあった。その音が刃物のように凛花の気持ちを削っていく。
凛花は、私も要らないのだ。……当然だろうと思いなおした時、ノックの音がした。
――コンコンコン――
助かった。……花梨はそう感じた。
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