第11話
森村俊介が抑圧していた欲望を吐き出し尽くすと部屋の空気が
「3次元も悪くないでしょ」
花梨は天井を見ていた。森村と視線を合わせて、自分が彼を愛していると誤解されたくなかった。1、2、3、……話しながら天井板の節穴の数を数えた。何度もこの部屋を訪ねたことがあったけれど、それに気づいたのは初めてだった。今までだって見ていたのだ。でも、気づかなかった。
「あぁ。……すごく良かった」
彼は照れていた。
子供なんだから。……森村が喜んでいることに満足を覚えた。
「だから、修学旅行に行くのよ。そのほうが、おばさんも喜ぶと思うわ」
「ん、母さんのため……、なのか?」
「そう。だから、よ」
「なんだかな……」
彼が深いため息をついた。
「私は好きよ。俊介君のお母さん」
彼は口をつぐんだ。嫌いと言わないのは、好きだというのと同じだ。
「2次元、……いや、ネットに大阪の友達がいる」
そう話す彼の息が花梨の耳をくすぐる。顔を寄せてきたのだ。
「うん。それが、どうしたの?」
「大阪に来たら、会いたいと言われた」
なに? 自慢?……オタクの考えは読めなかった。いや、情報が足りない。
「女の子?……会えばいいじゃない。奈良と京都の夜なら面会時間もあるわ」
「やだよ」
彼の手が胸に触れた。遠慮がちに……。まだ3次元の自分に確信が持てないのだろう。
「どうして?」
まさかだけど、私に惚れた?……花梨はうぬぼれる。
「ネカマかもしれない」
あぁ、そっち。……アハハと心の中で笑った。
「ネカマなら、会おうとは言わないでしょ」
「だね……。そいつ、美川とつるんでいた仲間かもしれない」
「えっ」
思わず首をひねると、間近で視線がぶつかった。彼の瞳はキラキラしていて何かを探しているように見えた。
「どうしてその人が凛花さんの仲間だと思うの?」
「そいつが言うには、奈良から来ていた女子高校生がヤクザを刺したらしい」
彼は数日前に入手した情報を淡々と説明した。事件があったのは春休みで、その女子高校生は姿を消したそうだ。
「……怖い」
花梨は、凛花の過去を暴く森村の口元から目が離せなかった。
「だろ」
彼がペロリと凛花の鼻を舐めた。
「やだぁー……」
変な奴。……そんなことをされたのは初めてだった。鼻をゴシゴシふいた。
「……どうしてヤクザを?」
「売春と麻薬が絡んでいるって話だった」
彼が胸を揉んだ。
そんな気分になれない。……彼の手を押しのけた。
彼の顔が曇った。
「それって、本当に凛花さんのことなの?」
「名前は聞いてない」
「どうして確認しないのよ?」
「分かったら怖いだろう」
「今度はちゃんと聞くのよ」
「母親みたいなことを言うなよ」
責める口調の花梨から離れようとしたのだろう。彼が上半身を起こした。
「怖いけど間違いかもしれないじゃない。あの凛花さんが売春したり、人を刺したりすると思う?」
花梨も身体を起こした。頭の中では、凛とした凛花が教師に戦いを挑んでいた。
「ならどうして美川は、いつもあんな質問をするんだ。どうして人を殺してはいけないんだ、なんて……」
「友永先生は、大人を試しているんだろうって言っていたわ。きっと、先生たちを困らせようとしているのよ」
「何のために困らせる?」
「楽しんでいるのかも……」
花梨は答えを見つけられなくて、そう言った。
「美川は、そんな人間じゃないと思うぞ。もっと重い何かを抱え込んでいる」
森村の言葉には抵抗しがたいものがあった。花梨自身、同じことを感じている。だからといって、彼女が人を刺すような人間には思えない。
「どうして人を殺してはいけないのですか?」
彼女の言い方を真似てみる。ヤクザを刺したという情報が、漠然とした不安から事実に変わった瞬間だった。
「ヤクザなら、殺しても良い?」
「……それはないだろう」
森村がベッドを降りた。凛花に背を向けてパンツをはいた。
凛花とどのように関わっていけば良いのだろう? どうして先生は凛花と過ごすとためになると言ったのだろう?……友永の言葉は、不安を消してはくれなかった。
天を仰ぐ。暗くて天井板の節穴が見えない。
「あ……」
花梨はベッドを飛び出した。
「どうした?」
「外が真っ暗」
山間部の夜は早い。陽はとっくに山陰に沈んでいて、窓の外には街灯の灯があった。
大きなモニターの明かりで脱ぎ散らかした衣類を探し、身支度を整える。
「明日は学校に来てよ」
階段を駆け下り、玄関を飛び出した。その時、ちょうど職場から帰ってきた森村の母親とかち合わせた。
「あら、花梨ちゃん、どうかしたの?」
「あ、おばさん。俊介君が学校を休んだので、様子を見に来ました。元気だったので、安心しました」
「俊介、また学校をさぼったのかい……」
彼女が俊介の部屋を見上げた。窓には明かりがついていた。花梨はほっと胸をなでおろす。
「明日は休まないように、おばさんからも話してください。修学旅行にも、ちゃんと来るように言ってください」
「そうね。分ったわよ。すまなかったね」
「いいえ。それじゃ、さようなら」
花梨は自転車にまたがるとペダルを踏んだ。
巨木の陰から昇った月が、道を照らしていた。
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