第10話

 翌日のホームルーム、班行動の計画表を提出する期限だったが、その日、森山は欠席していた。


「あの野郎!」


 佐藤は頭から火を噴いたが、花梨は森村を責める気持ちになれなかった。自分たちが嫌な役割を押し付けたのだから。


「俊介は、本当に修学旅行に行きたくないのかもね。毎晩、ネトゲーで遊んでいるから」


「三日ぐらい、休んだらいいのにな」


「ゲームを休むと問題があるの?」


「ないだろうけど、あいつの場合、そこに友達がいるらしい」


「夜の友達かぁー」


「スケベな言い方するなよ」


「ネットでエロいことしてるんでしょ?」


「それは知らねぇ」


「そんなに嫌なのかな、班長」


 花梨は哀しかった。


「なら、あなたが班長になればいいじゃない」


 凛花が澄んだ声で言った。


「エッ!」「オッ!」


 花梨と佐藤は目を丸くした。


「ナイ・ナイ・ナイ」


 花梨は森村の言い方を真似、静佳に頼んで計画表の提出期限を1日伸ばしてもらった。


「みんなで俊介の家に行って計画表作ろうよ」


 花梨は昇降口で靴に履き替えながら2人に提案した。


「俺は無理だ。草取りがある」


「私も無理」


 佐藤はただ断ったが、凛花は奈良の見学ルートを彼女なりに考えたものを用意していた。それを預かって、俊介の家に自転車をむけた。


 家の前には俊介の自転車があったが、チャイムを鳴らしても返事がなかった。


「俊介君、いるんでしょ。開けてよ」


 ――ドンドンドン――


 花梨はドアをノック、いや、勢いよく叩いた。中学生のころから、森村は学校を休みがちになり、花梨が訪ねて学校にするのが年中行事のようになっていた。


「シュンスケー、開けろー! さもないと、ドアをぶち壊すぞ!」


 尚もドアを叩き、叫ぶと、ガチャリと鍵の開く音がした。


「うるさいな、近所迷惑だろ」


 顔を見せた森村はパジャマ姿だったが顔色はいい。


「近所なんて100メートルも離れているじゃない」


 言いながら玄関に入り込んだ。


「なんだよ」


「なんだよじゃないわよ。今日が班行動の計画表を出す日だって知っているでしょ」


「僕は修学旅行には行かないかもしれないと言っただろ」


 彼は口をとがらせる花梨を冷たく見下ろした。


「とにかく、上がらせて」


 靴を脱ぎ、勝手に上り込む。


「なんだか懐かしい匂い」


「オイオイ、僕の家を実家みたいに言うなよ」


「だってぇ……」


 家に入るのは3カ月ぶりだった。中学生の時は毎日のようにここに来て、時には彼の母親におやつをごちそうになり、時には彼とゲームをしたものだった。藍森町に越して来た頃は人間嫌いの花梨だったが、俊介が引きこもり傾向のオタクで、生身の人間に興味がないと知って以来、彼は怖い存在でなくなった。むしろ、救ってやらなければならない相手だと感じた。それから、花梨は人に馴染んでいった。


「……入るわよ」


 花梨の勢いに負けて、森村は自分の部屋に花梨を入れた。


 彼の部屋は綺麗に片付いていて、大きなデスクトップパソコンが机を占領していた。


「うわっ!」


「なんだよ?」


「3カ月前は散らかっていたのに。……もっと散らかっていると思った。マンガとかフィギュアとか……。森村君のイメージ、変わったわ」


「オタクがゴミだらけの部屋でネトゲーにかじりついていると思ったら大間違いだぞ」


 彼はパソコンの前に座った。他に椅子がないので、花梨はベッドの端に座る。


「俊介君の場合は、半引きこもりだけどね。学校には来るから」


「計画表、出したんだろう?」


「出してないわよ」


「なんで?」


「班長がいないんだもの。先生に延期してもらったわよ」


「勝手に出してくれたらよかったんだ……」


「だって行先が決まっていないじゃない」


「みんなで持ち寄って、多いものから入れるって決まっていたじゃないか。3人分、……希望は集まっているんだろう?」


「え?……ナイ……」


 テヘヘと花梨は笑った。


「笑ってごまかすなよ」


 彼の声がとがっていた。


「あ、凛花さんは作って来たよ」


 彼女に預かった計画表をカバンから出して、森村に渡した。


「へー」


 彼がそれに目を落とす。


 ブーンというパソコンのファンの音が妙に大きく聞こえた。モニターには、白い髪、赤い瞳で、胸の大きなキュートな少女が露出度の高いバトルスーツで虫型のモンスターと戦う姿があった。


「それが俊介君の今の恋人?」


 モニターを指した。


「かわいいだろ?」


「まあね」


 花梨はアニメキャラに関心がない。それどころか、そんなファンタジーの世界にすがる森村を理解できない。花梨はリアリストなのだ。話が広がることはなかった。


 再び、ファンの音が大きく聞こえた。


「生身の人間の方がいいと思うけどなぁ」


「話を合わせるのとか、面倒だよ」


「まぁ、それはね。でも、代わりにこっちの話も聞いてくれるし、希望もかなえてくれるじゃない」


「どんな?」


「んー、いろいろ」


「僕に修学旅行に来いというのは花梨の希望だろ?」


「まぁ、そうなるのかな」


「でも、僕は行かない。花梨の希望は叶わないんだ」


 彼は凛花が作った予定表を机に放った。ふわりと、それは机に着地した。


「それを叶えるために、わざわざやって来たというわけよ」


「どうやって?」


「今、話しているでしょ」


「説得しているつもりなのかい?」


 花梨はコクンとうなずく。


「誰かと話すなんて、面倒だと思わないか? まして他人のことで」


「ネットに友達がいるんでしょ。話さないの」


「ネットは文字だけだよ。音声チャットは言葉以外のものが見えて嫌なんだ」


「言葉以外のものって?」


「相手の感情」


「そっか。文字だけなら、嘘も楽だもんね」


「花梨は他人と一緒にいて疲れないか?」


「うん」


 花梨は嘘を言った。実は、友達といるといつも緊張していてとても疲れた。だけど明るく振舞って、友達も自分も騙した。その方が平和、……誰も傷つかないと思うからだ。


「僕といても疲れないか?」


「うん」


「僕は疲れる」


「どうして?」


「花梨の希望を叶えなければならないんだろう? そうしなければならない理由が分からない」


「お互い様、っていうやつよ」


「花梨は、僕の希望を叶えるつもりがあるのか?」


 森村の瞳の中に黒い欲望が浮かんだ。同じ年齢の男子の希望など皆同じだから花梨にもわかる。


 貞操ていそうの危機だ。……言葉ほど、花梨は真剣ではなかった。下半身にムズムズするものを感じた。


「……うん」


躊躇ためらったな」


 彼の口元に笑みが浮いた。


 俊介の心を開くためには、私がひと肌脱ぐしかないかぁ。……花梨は文字通りのことを考えた。


「約束を守ってくれるなら、……してもいいよ」


 セックスは人間関係の潤滑剤じゅんかつざい、それは母が酔っ払い相手に話すことだった。ところが、森村の反応は想定と違った。


「軽い女だな」


 あれれ、なんか変だ。……花梨は戸惑った。何故か、闘争心に火がついた。


「そうかな……」


 膝を持ち上げて両足を抱える。ベッドがギシギシいった。スカートがずれて太ももが露出する。


 音に気づいた森村の視線が花梨の全身を走る。が、彼は動かなかった。


 私の魅力が通じない。……花梨は傷ついた。


 ――ブーン――


 ファンの音が、虫の羽音に似ていると思った。それに気を取られていると、いつの間にか森村の姿が目の前にあった。


「花梨……」


「エッ?」


 彼は上体を折り、顔を近づけた。


 彼につけられた傷口を、彼の唇がふさいだ。


 俊介が求めている。怯えている。俊介は初めてなんだ。……花梨にはよく分かった。彼の唇は震えていて、2人の歯がぶつかった。


「アッ……」


 彼の重みに耐えかねてベッドに倒れた。刹那、2人の唇が離れた。彼の肩に手を当てて、力一杯押した。


 森村は覆いかぶさるような状態にあったけれど、強引に進んでくることはなかった。2人は目と目だけで繋がっていた。


「班長」


 そう呼ぶと、彼は「ウン」と素直に応じた。


「どうするの、計画書?」


「ウン……」


 彼の目が泳いだ。それから何かに驚いたようにパッと上体を起こして立ちあがった。


「どうするの?」


「これがある」


 彼が手にしたのは、凛花が作った計画書だった。

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