第9話

 花梨たちの第5班は難題に直面していた。3泊4日の修学旅行は、初日が大阪、2日目は奈良、3日目は京都に宿泊して帰路につく。ほとんどの行程は教師と旅行代理店とで決めるが、奈良では班別行動になり、各班が1日の見学コースを自分たちで決める必要があった。チームワークの悪い第5班には難しい課題だった。


「ガイドブックには主な神社仏閣が出ているので行先を決めるのに参考にしてくださいね。今日と明日のホームルームだけはスマホの利用を許可しますから、ガイドブックにない場所を調べてコースに盛り込んでも構いません。……1日、タクシーを貸し切っているけど、奈良県は藍森町より広いから、移動時間をしっかり検討すること。計画書が出来たら先生に提出してください。期限は明後日のホームルームです」


 静佳の話が終わるより早く、生徒たちはガイドブックを広げて話し始めたが、第5班だけは違った。ガイドブックを見るだけで沈黙している。


 花梨は時間が流れるという感覚を初めて経験していた。周囲では言葉が風のように飛びかって物事が決定していくのに、第5班だけがガラス箱の中に閉じ込められているようだ。時計を見るとホームルームの残り時間が10分ほどになっている。


「班長、何とか言いなさいよぉ」


「何を?」


 無理やり班長にされた森村はすっかりやる気を失っている。


「行先を決めるんでしょ?」


「うちには美川さんがいるんだ。奈良のことなら詳しいだろう。決めてもらえばいいさ」


 彼が投げやりに言った。


「なるほど!」


 視線が凛花に集まった。


「奈良県民だけど、小学校の遠足で行った奈良公園と春日山くらいしか覚えていません。私、奈良は嫌いなの。田舎だし……」


 凛花が窓の外に視線をうつした。打ち合わせから離脱するとでもいうふうに。


「奈良って藍森町より田舎なのか?」


 佐藤が目を丸くした。


「そんなはずないだろ。ショッピングモールがある」


 森村が地図に眼を落とす。


「ここにだって藍森商店街がある」と、佐藤。


「ユニクロがある」


「こっちには黒田衣料店がある」と、花梨。


「ファミレスがある」


「藍森にはアキコがある」


 佐藤が声をあげ、花梨は身を縮めた。


「電車が走っているよ。近鉄」


「あー、それはないな」と佐藤。


「もう止めようよ。あと5分しかないよ」


 不毛な漫才を花梨は止めた。


「宿題にしよう。明日のホームルームで、行きたい場所を各自5カ所出し合う。いくつかはダブるだろうから、多い順番に行先にしよう」


「ナイスアイディア! さすが班長だ」


 佐藤がさっさと帰宅の準備を始めた。


 花梨たちの話を黙って聞いていた凛花が、わずかに首を傾げた。


「一郎、はやっ」


 花梨は笑った。


「田の草取りを手伝えって言われてるんだ」


「長男は辛いね」


「仕方がない。これは宿命だ」


「大げさね」


「花梨だって跡を継ぐんだろ。居酒屋アキコ」


「まさか」


「アキコがなくなったら、商店街もなくなるぞ」


「まったくぅ、冗談言わないで。そんな責任、背負えないわ」


「冗談じゃないぞ。今だってギリギリなんだ。みんなアキコでだべるのが楽しみで商店街に集まるんだ。友永先生だってそうだろう」


「そうかな……」


 友永先生は母が好きなのではないか?……手がとまる。それは昨年から頭にこびりついた疑惑だった。脳内の友永がニヤッと笑った。


 ナイナイナイ。……消しゴムで脳内の友永を消し去る。


 ――カランコロン……、チャイムが鳴った。

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