第2章 謎の転校生、凛花
第5話
花梨にとって、高校2年の1学期は心地の良い時間だった。同級生は気心の知れた友達ばかりだったし、教師もそうだ。ただ一部を除いて……。
そこに転校生がやって来た。5月に転校だなんて、不可解だ。よほどの事情があるのだろう。
当の凛花は口数が少なく形式的な物言いばかりで、最初は興味津々声をかけていた同級生もひいた。ついに、花梨だけでなく全ての同級生から、凛花は浮いた存在になっていた。
本来ならみんなと馴染むように気遣わなければならないのだろうけれど、本人がそれを気にしていないから仕方ないよね。……花梨は気にとめないことに決めた。
もう1人、花梨が馴染んでいない人物がいる。この春転勤してきた音楽教師、
琴音が町営住宅に引っ越してきてひと月と立たないうちに、町中の大人の男たちは、彼女の家や学校に、その姿を鑑賞しに足を運んだだろう。ただ、男たちを失望させたのは、琴音は既婚者で小学生の子供がいたことだ。
2年生の音楽の授業は週に1度、花梨が琴音の声を聞く機会は少ない。妖艶な見た目と異なり、琴音は無駄話をしないたちでポンポンと物を投げるように授業を進めた。
4月も後半になると藍森町にも桜や菜の花が咲き、虫が飛ぶ。そして5月。一羽の蝶のように凛花が窓辺に座った。
その日の音楽室には休憩時間に迷い込んだモンシロチョウが舞っていた。
生徒たちは蝶の動きに意識を奪われ、授業に身が入らない。琴音は、時おり指揮棒で黒板をパンパンと叩き、生徒たちに授業に集中するように促した。
パン!……また大きな音が響いた。
「授業に集中して、ちゃんと聞きなさい!」
ヒステリックにも聞こえる声は、音楽の授業には似つかわしくない。幾人かの生徒が同じ感想を持ち、多くの生徒が指揮棒の音に
「質問していいですか?」
同級生たちは、凛花が自ら質問するのを初めて聞いた。しかも、挙げた腕は耳元にぴったりと沿い、指先はバレリーナのようにピンと伸びている。美しい挙手だった。
「何ですか、美川さん?」
凛花が立ちあがる。
花梨には、彼女のしなやかな姿が戦いを挑む
「どうして人を殺してはいけないのでしょうか?」
凛花が発した質問に、琴音の眉間に皺がよった。美しい彼女が、初めて醜いものに変わっていた。
怒った!……花梨の背筋が震えた。
教室中の視線が凛花に集まっていた。
花梨の席から凛花の顔はよく見えなかったが、きっと彼女は表情を変えていないだろう。そう確信していた。
「音楽の授業に関係ないことは、口にしないでほしいわね」
琴音の返事は冷ややかだった。
「人の生き死にと、音楽は密接に関係している。私はそう感じるのですが……。そうでなければ、音楽を聴いて心が躍るなんてことはないと思う。間違っているでしょうか?」
すげー!……花梨は胸の内で唸った。
「そういうことなら……」
モンシロチョウが琴音の視界を遮る。
パシン!……空気を切った指揮棒が教卓を打った。
「ゲッ……」
生徒たちの唇から濁った呻きが漏れる。
指揮棒は、空気だけでなくモンシロチョウの身体をも真二つに切り裂いていて、教卓の上には、ヒクヒクと萎れた羽をひきつかせるモンシロチョウの上半身と、どろりとした深緑色の内臓を覗かせる下半身が乗っていた。
生徒の視線は、モンシロチョウの死体から琴音の顔に移る。
「気持ちが悪いでしょ?」
琴音の視線が凛花に向いた。
「怖い……」その声は凛花のものではなく、着席している女子生徒のものだった。
「そう。怖い……、恐ろしい、気分が悪い。それが、人間が生き物を殺した時の感情です。殺したものが蝶ではなく、自分と同じ人間なら尚更のこと。……だから、人は人を殺さない。特別な場合を除いてね。これで、回答になっているかしら?」
琴音は半ば誇らしげに
「ありがとうございます」
凛花が感情のない礼を述べて着席した。
「さあ、授業に戻るわよ」
琴音はティッシュで蝶の死骸を包むとゴミ箱に投げ入れた。
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