第4話

「津久井先生はね……」花梨が耳元でささやく。「……校長の愛人だという噂があるの。だから友永先生より年下の彼女が学年担任を任され、校長と県の教育委員会の会議に行くんだって」


 花梨といい、津久井といい、田舎の学校なのに乱れてるなぁ。……凛花はそんな感想をもった。当然、声にはしなかった。


「どうして関西弁じゃないんだ?」


 荒神が訊いた。


「両親は北陸の出で、家では標準語を使っていました」


「ウーン、澄んだ良い声ね」


 泰葉に褒められ、くすぐったい。


「やっぱりお姫様だ。美川さん、恋人はいるのかい? いないなら俺と付き合わないか?」


 荒神の唐突な申し出だった。


「エッ、私……」


 アホか!……頭の中で感情がさく裂し、その反動なのか、今度はスーッと血の気が引いていく。


「おいおい、荒神、教師の前でなんだ。不純異性交流は許さんぞ」


 中年教師が半笑いで言った。


「そうよ、やりたいなら、もっと優しくなることよ」


 花梨が言って、カラカラ笑った。


 なんでこんな学校に転校してしちまったんやろう!……凛花はめまいを覚えた。


「花梨がやらせてくれたら、優しくなるよ」


 なんや荒神、どの口が言うとんねん。アンタはたった今、私に告ったばかりやんか!……思わず拳を握っていた。


「そんなことを言っているうちは、誰もやらせてくれないわよ」


 ケラケラいう花梨の笑い声も気に障る。


「オイオイ、止めてくれ。そういう話は俺のいないところでやれ」


 友永が楽しげに言った。


「友永先生、何を甘いことを。ビシッと言ってやってください」


 静佳は真顔だった。


「まあ、そうはいっても、まだやったわけじゃないしなぁ」


「やれとかやった、だなんて……」


 彼女が頬を染めた。


「なぁ、花梨、俺の女になれよ」


 荒神が大人のような口をきいた。今度は、2人の教師も呆れて首を振るだけだった。


「おっもしろい冗談」


 花梨が笑った。


「俺、知っているんだぞ。おま……」


 言いかけた時、花梨がおしぼりを投げつけた。それは彼の顔に見事に命中、彼の口を封じるのに成功した。


「ごめんね、凛花ちゃん。こんなガサツな人間ばかりで」


 隣の泰葉が苦笑していた。


「あ、いえ。みんな仲がいいのですね」


 それはお世辞でもなんでもなかった。仲が良いから、本音をぶつけたり、強い言葉で拒否したりできるのだ。こんな人間関係の中に、入っていけるかなぁ?……不安だった。


 花梨がその場のムードメーカーだった。彼女は、あることないこと、歌うように話を広げてみんなを笑わせた。一番受けたのは、友永が離婚した話だ。それも彼女が導くように引き出した。


「……ある日、帰宅すると妻と子供の姿がなかった。最初は宇宙人にさらわれたのだと思ったよ。でもすぐに違うと気づいた。僕が集めていた本とがらくただけを残して、家具や預金通帳がなくなっていたからね」


 彼の物語は同情よりも笑いを誘った。


 どっと爆笑が湧いたが、そんな中でも凛花だけは笑わなかった。いや、笑えなかった。


「ねえ、お風呂、一緒に入ろう。泰葉さんも一緒だよ」


 歓迎会の後、花梨に誘われたが断った。彼女たちと風呂に入るということは、全てをはぎとられて心のひだまで覗かれるようで受け入れがたかった。


 耳を澄ませていると泰葉と麻利亜が風呂から上がってきたのがわかった。泰葉はE201号室に、麻利亜はE202号室に入った。花梨の声は聞こえなかったので、自宅に帰ったのだろうと思った。


「ヨッシ」


 彼女たちが部屋に入り、出てくる気配がないのを確認してから1階の大浴場に入り、手早く汗を流して自室に戻った。


 長くて慌ただしい1日が終わったのだ。窓を開けると爽やかというより冷たい風が忍び込んでくる。


 早く慣れなくちゃ。……そう言い聞かせてベッドに横になると、あっという間に眠りに落ちた。

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