第2話 とある書簡


 ぽう、と浮かぶ、ほのかな灯火。


 みなそれぞれ、手に燈明をもっている。

 すでに陽は地平線の向こうに落ちている。大地はくろく、空は、地平のうすい紅から天頂の深い紺にいたるしずかな階調に染められている。雲は、ない。

 頭上の巨大な空城を目指して、たくさんの灯火が、ゆっくりとのぼってゆく。


 きれいだなあ、と、トゥトゥ・リンはひとごとのように考えている。


 灯火は、行列だった。

 行列の先頭を務めている彼女の養父が、ときおり、振り返る。いまだに今日のことが信じられないでいるのだ。トゥトゥがたしかにいま、彼のうしろで、花嫁衣装に身を包んで竜の背におさまっているのかを、いくども確認している。

 もっとも、トゥトゥ自身も、夢をみているような心持ちなのだ。


 ここしばらく、白薄荷しろはっかの宮は、二度の驚愕にみまわれた。

 ひとつは、予期せぬ婚姻の申し込み。もうひとつは、その承諾。

 いずれも発端は、ふた月前の、ある朝のことである。


 発端は、書簡だった。

 それは、トゥトゥが竜舎の裏で、生まれたばかりの幼竜の世話をしているあいだにもたらされた。

 軒先で受け取った彼女の養父、ジンハは、書簡の封印の紋章をみて首をかしげた。ウォジェ家の紋だったためだ。


 ウォジェ家は、竜捌りゅうさばきの家である。


 竜は、交通なり物流の要であり、あるいはその死するときに生じる竜の珠から、ひとびとは火力や浮力といった、いわゆる竜の力を得ていた。世界は竜の力なくして成立し得ない。

 竜捌きはそうした竜の取り扱いに関する秘伝の技術をもつ専門家であり、その家柄は、この世界における竜の重要性にしたがって、一定の地域の領主のような立場となっている。世界にはそうした竜捌きの家がおよそ三百あり、合議制により、統治を実施している。

 ウォジェ家は、地竜を扱う竜捌きでは、筆頭ともいえる家柄だった。竜はいまだ、地で生まれ、空で育つ地竜が主流である。空で生まれる星竜せいりゅう、海で生まれる水竜すいりゅうもあるが、性質において安定している地竜が実用においてはたっとばれる。


 そうしたウォジェ家であるから、竜の宮、すなわち地竜を産み育てる家である白薄荷の宮とは、縁がないわけではない。

 白薄荷の宮も、他の宮と同じく、竜のほこらを持っている。祠がいつ、どうしてできたのかは、誰にもわかってない。ともかく竜を産むちからをもつ祠ひとつごとに、宮がひとつ、存在する。そこで生まれた竜を育み、竜捌きに納めることが、宮のものたちの主たる生業であった。

 だから白薄荷も、ウォジェ家に竜を納めたり、あるいは竜の治療のためにウォジェ家の空城へ出入りすることはとうぜん、ある。


 が、数が少ない。

 白薄荷の主要な顧客は中小の竜捌きであり、筆頭格であるウォジェ家のような大身たいしんに直接、出入りすることはそう多くはない。ことにここ数ヶ月は、ウォジェ家はあたらしい竜の導入を行っておらず、かといって白薄荷の方から売り込みをするようなこともないから、しぜんと交流が減っている。


 それでも先日はひさしぶりに竜の薬の注文があったから、家長、ジンハ・リンは、養女むすめのトゥトゥを使いに出した。

 その商いは、無事に完了したときいている。

 だから、書簡を受け取る心当たりといえば、その薬に齟齬でもあったか、あるいは、支払いについての交渉か、という程度なのである。


 ジンハは玄関先で受け取った書簡を奥へもちかえり、食卓に座って、茶をのみながら開封した。茶は、即座に彼の大きなくちから噴射され、食卓をおおいに汚した。

 ジンハは叫び、たちあがり、書簡をもったまま、走った。


 屋敷を出るとすぐに広大な竜舎がある。現在は幼竜、成竜をふくめて十五頭が飼育されている。その竜舎の裏に、生まれたての竜を世話する小屋があり、トゥトゥは早朝からそこで作業をしていたのだ。


 竜の世話をするのは、竜の縁、すなわち竜の気持ちを感じ取ることができる能力の持ち主があたることが多い。白薄荷の宮には縁を受けたものがいく人も住み込みで働いている。

 が、やはり生まれたての幼竜の世話ともなると、竜の声そのものを直接聴き取る能力、祝縁しゅくえんを受けたトゥトゥがあたることが多い。

 まして、トゥトゥの能力は強かった。竜のみならず、さまざまな生きものの感情に触れることができた。だからいまだ思考の定まらない幼竜の世話は彼女のもっとも得意とする仕事なのである。


 いまトゥトゥは、やっと寝ついた幼竜の額をやわらかく撫でていたのである。

 が、ばん、と小屋の扉が乱暴に開け放たれたから、舌打ちして立ち上がり、眉を逆立てて指をくちにあてた。


 「しっ……寝てるから!」


 彼女が指差す先では、たしかにちいさな幼竜がまるくなって眠っている。

 ジンハは、すまん、という形に手をつくり、そろりとトゥトゥに近づいた。足元で竜の寝藁がかさかさと音をたてる。


 「これ、手紙が……おまえの名前が」

 「手紙? どこから?」

 「ウォジェ家だよ。トゥトゥ、おまえ、いったい」


 わなわなと震えながら書簡を差し出すジンハに、トゥトゥは首をかしげてみせた。


 「ウォジェ家? なんだろ。いま、手、汚れてるから。広げてみせて」


 ジンハはいわれたとおり、書面の左右をつまみ、トゥトゥに向かって広げてみせた。薄暗い小屋のなかだが、ちいさな明かり取りから差す陽光が、ちょうどその先頭部分をあかあか、照らし出した。

 照らされた箇所に記載されていた文字の意味は、こうである。


 婚姻、申し入れ。


 トゥトゥは、ふうん、といった。


 「すごいじゃない。ウォジェ家っていったら、ご大身だよ。誰だか知らないけど、うまくやったのね。お祝い、用意しなきゃ」


 ジンハが頭をふるふると左右に振っているので、トゥトゥはもう一度、首をかしげた。


 「なに? 白薄荷うちの家中のだれかじゃないの?」

 「お、おまえ、だよ」

 「……なにが?」

 「婚姻の、申し入れの、相手……おまえ、トゥトゥなんだよ! ウォジェ家の次男、セイランさまからっ!」


 しらず叫んでしまったジンハの顔をぼうっと眺めて、トゥトゥは、ぷっと吹き出した。


 「あははっ。なにそれ、手がこんだいたずら。おとうさん、考えたの?」


 が、ジンハは目をみひらき、震える手で書簡をしめしたまま、動かない。


 「……え? いたずら、じゃ、ないの……?」


 ゆっくりとうなづく、ジンハ。

 その表情をじっと見ていたトゥトゥは、やがて小屋の外に足音をしのばせながら走り出て、流し場で怒涛のように手を洗い、作業衣にばんばんと叩きつけながら、ふたたび走って戻ってきた。

 ジンハの手から書簡をうばいとる。

 百をかぞえるほどのあいだ、なんども、なんども、繰り返し読み込む。


 「……なん、でぇ……?」


 やがて顔をあげたトゥトゥは、泣きそうでもあり、笑い出しそうでもある、たいへん珍妙な表情をうかべていた。


 「こっちが聞きたいよ……おまえ、セイランさまとどこかでお会いしたのか?」

 「んん、しらない……会ったこともない。あれだよね、セイランさまっていったら、あの、堕ちた英雄、の」

 「こら、そんなこと軽々しくいうもんじゃない。けど、そのとおりだ」


 堕ちた英雄、というのは、竜に関わるものたちの間でウォジェ家の次男について囁かれる、陰口だった。


 セイランは、兄である長男ディオラとともに、将来を嘱望された竜捌きだった。幼時から竜の扱いに非凡な才をもち、騎乗技術のみならず集団としての竜の制御に特に優れていた。

 彼の名声をとくに高めたのは、年にいちど行われる騎乗技術を競う大会、飛演祭ひえんさいにおける活躍だった。すべての竜捌きが参加するその大会において、彼は参加したほとんどの種目で毎年、首位を独占した。

 その活躍はかれ個人のみならず、ウォジェ家の誉れとなり、彼は英雄とまで呼ばれるようになった。


 が、あるときを境に、彼は、名声を失った。

 兄とともに出場した、飛演祭。そこで彼の過失により生じた事故は、兄の脚をくだき、竜の騎乗ができない身体にしてしまったのだ。

 その事故以来、かれ自身もまた、騎乗の能力を喪失したといわれている。騎乗すれば、竜を堕とす、と噂された。


 ウォジェ家の家業である竜の運用も、くしくもその頃から不遇となる。扱う地竜の能力が下がりはじめ、これまで占めていた竜捌きのなかでの地位を、他の竜捌き、とくに新興勢力である星竜の竜捌きたちに奪われるようになっていた。

 そのことはけしてセイランの責めに帰するべきことではなかったが、くちさがないものたちは、堕ちた英雄が家運を傾かせた、と、噂した。


 そうしたはなしは、トゥトゥたちはよく知っている。

 知っているが、とおい世界のお伽話のようなものだ。

 トゥトゥはジンハとしばし、呆然と目を見合わせた。が、やがてあることに思い至り、ああっ、と、声をあげた。


 「そういえば……あの、白銀の竜のひと……セイランさまって、呼ばれてた、かも……」


 くちに手を当て、そろりとジンハの顔をみる。養父は紺色のおおきな瞳をいからせて、彼女の顔を覗き込む。

 そのときになって彼女は、あの日のことをジンハに報告していなかったことを思い出した。理由はない。

 たんに、面倒だったのだ。


 「……はは」


 トゥトゥはわらって誤魔化そうとしたが、失敗した。

 後ずさるが、迫るジンハに腕をつかまれ、引きずられるように小屋を出た。


 

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