ひとり

その後サチさんは、私を彼女の部屋に連れて行き、化粧を施してくれた。

 涙が伝えばそれを拭い、唇を噛めば紅を引き直し、とにかく短時間で私の顔を仕上げてくれた。

 そしてそれが終わると、サチさんは自分の顔に化粧をし始めた。手早くおしろいを塗り込み、眉を引き、紅を刷く。

 その手を止めないまま、彼女は言った。

 「早く、ここを出ないといけないわ。それも、あなた一人で。」

 私は黙っていた。金を貯めてここを出ろと言ったのは、蝉も一緒だ。けれど蝉は、一人で、とは言わなかった。ただ、ここを出ろと言っただけだ。そして私は、その言葉に頷いた。

 サチさんは私の顔を見なかった。じっと鏡を見つめて紅のゆがみを直しながら、続けた。

 「恋と依存を履き違えたら、いけないわ。」

 恋と依存。

 それがどう違うのかが私には分からなかった。でも、それをサチさんに訊くとこもできなかった。それは、サチさんも確かな答えを持っていないと分かっていたからだ。

 サチさんは私を見て、恋と依存を履き違えていると思った。

 それは確かなことだろう。

 けれどサチさんにも、恋と依存の違いなんて分かっていないはずだ。だってサチさんも、浩一という男に恋だか依存だか分からない感情を持って、身請け話を断りさえしている。

 恋と依存の違いってなんですか。

 それは一撃でサチさんを仕留められる魔法の言葉だ。だから私は、口にはできない。

 「……どっちでもいいんです。」

 ぎりぎりの台詞が唇から洩れた。

 「恋でも依存でもいい。私は紅子を手放せないし手放したくないんです。」

 一緒に生まれ、一緒に育ち、一緒に禁忌を踏み越え、一緒にここまで堕ちてきた。今更私に、紅子を手放せるだろうか。

 「だめよ。」

 低く、サチさんが言った。

 「一人でここを出なさい。なるべく早く。今夜でもいいから。」

 「できない、そんなことは。」

 「できる。あなたはそんなに弱くない。」

 「弱いです、私は。」

 半ば言い合いみたいになった。それでも私は引けなかった。

 頬を涙が伝う。白粉が剥げてしまう、と慌てていると、サチさんが懐紙でそっと押さえてくれた。

 「紅子ちゃんも、そんなに弱いと思ってるの?」

 「……紅子?」

 「ええ。」

 黙る私を見て、サチさんはワンピースの裾を払って立ち上がった。

 「行きましょう。仕事の時間よ。」

 私は内心でほっとしながらサチさんに従った。

 紅子はそんなに弱いのか。

 考えたくなかった。

 本当は、多分私だってちゃんと理解している。

 紅子がたとえひとりで歩けたとしても、いや、歩けるからこそ、その足を奪ったのは私だ。

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