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じゃあ、と、軽く手を上げ、マリさんは風呂を出ていこうとした。その動作はあまりにさらりとしていて、本当に彼女は私を見ていてくれはしたのだろうけれど、それ以上の余計な情は寄せていないのだろうと、はっきり分かった。
私にとって、それくらいの間隔は心地よいとすら言えた。心のなかにまでは踏み込まない冷静さ。
だから咄嗟に私が彼女の手を掴んで引き止めたのは、その冷静さに縋るみたいな気持ちだった。
「だめなのは、分かってるんです。」
私の声は、ぎすぎすと掠れていた。風呂場には女郎たちの嬌声が反響していたけれど、私の声はそこに紛れられず、すとんと床に落ちた。
サチさんも、マリさんも、他の女郎たちも、一気に私を見た。
私はその視線に怯みはしなかった。怯むほどの心の余裕がなかったのだ
「ずっと紅子を見張っているなんて、だめだって、分かっているんです。でも……、」
上手く言葉が組み立てられなかった。
私が黙ると、女郎たちはまた銘々のおしゃべりに戻っていった。サチさんは心配そうに私を見ていた。マリさんは、風呂から上がろうと立ち上がった姿勢のまま、ただ無表情で私に掴まれた右手を見下ろしていた。
「でも、……そうしないではいられないんです。どうしても。怖いんです。紅子がいなくなるんじゃないかって。」
なんとか言葉を絞り出し、私は半ば怯えるようにマリさんを見上げた。彼女はあっさり私の手を振り払って、去っていくのではないかと思っていた。
けれどマリさんはそうはせず、ちゃぽん、と湯に浸かり直し、そう、と呟くように言った。
「いくら怖がって見張っていてもね、いなくなるときはいなくなるのよ、人って。」
マリさんの声には、妙に実感がこもっていた。わたしは、この人は多分、大切な人をなくしたことがあるのだろう、と思った。
「だから、今あなたがしてることは、結局無駄なのよね。」
突き放すような、マリさんの言いぶり。驚いたように、サチさんがマリさんの腕を掴んだのだから、普段彼女はこんな物言いはしないのだろう。
「……無駄。」
私は、ただ彼女の台詞を繰り返しだ。それ以外できなかった。そう、無駄よ、と、マリさんが軽く頷いた。
「人間は、一人と一人よ。いくらあなたたちが似ていてもね。」
じゃあ、と今度こそ軽く手を上げ、マリさんは風呂から上がり、脱衣場の引き戸の向こうに消えていった。
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