3
蝉と話したその日から、私は眠れなくなった。
私が眠っている間に、紅子がどこかに行くのではないか、どこかで誰かと心を交わすのではないか。
そんな思いに胸が取り憑かれて。
眠れない私は、ずっと紅子を見ていた。布団に横たわって、じっと息を潜め、紅子の白い横顔を見つめていた。
紅子は、死んだように眠った。時々私は恐ろしくなって、紅子の顔に手をかざし、彼女が息をしていることを確かめた。
すうすうと、紅子は安らかに呼吸していた。
私はその度深く安堵し、また、深く絶望した。
同じ理由で、私は客がはけるたびに紅子の部屋を覗きに行った。
客を取り、紅子の部屋を覗き、また客を取る。その繰り返しだ。
いつ見ても、紅子は変わらない姿勢で眠っていた。
人は、こんなに眠り続けられるものではない。
分かっていた。どこかのタイミングで紅子は目を覚まし、寝たふりをしている。けれど私には、どのタイミングで紅子が目を覚ましているのかまるで分からなかったし、そのことが怖かった。
紅子のことが分からない。それは生まれてはじめての経験で、私を心底怯えさせた。
その恐怖が、私の足を紅子の部屋へ向かわせた。本当は、こんなことをしてはいけないと分かっていた。これでは、紅子は動けない。飲まず食わずで眠っているしかなくなる。身体がもたない。
それでも私は、紅子の部屋へ通い続けた。恐怖に背中を押されるみたいに。
誰かに、やめろと言ってほしかった。殴ってでも、止めてほしかった。そうでないと、私はもう止まれない。紅子の監視を続けてしまう。
「銀子ちゃん、ひどい隈ね。」
私の目の下をなぞりながら、サチさんが言った。私は、大急ぎで身体を洗って、風呂から飛び出そうとしているところだった。
風呂から飛び出して向かうところは、紅子の部屋。自分でもうんざりしているのに、やめられないのだ。
眠れないの? と、サチさんは優しく私の顔を覗き込んだ。
「ここにいるとね、心が均衡を崩すことがあるわ。」
静かな、サチさんの言葉。
心が均衡を崩す。
確かに私の心は均衡を崩しているけれど、原因はサチさんが案じているような、売春のストレスではない。
だから私は、ただ曖昧に頷いた。
「サチさん。そのこは多分違うよ。」
ぽつんと、低く落とされた言葉。女達の声が反響する賑やかな風呂場なのに、その声はすんなりと私の耳に届いた。
削げた頬と、短い髪が目立つ、まだ若い女郎だった。
彼女は私を、憐れむような目で見ていた。
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