眠れない女

丼を持って、廊下の突き当たりにある食堂へ入る。

 店の女達が三度の食事をとる広い食堂には、大きな長机が川の字に並べられている。真っ白い電灯が灯るその室内に、女は一人もいなかった。真ん中の机の端に丼が重ねられ、その前の椅子に蝉がひとり座っていた。

 「お前が最後。」

 椅子を逆向きにして、背もたれに顎を乗せていた蝉は、軽い口調でそう言った。

 「……ごめんなさい。」

 私は短く詫びて、丼を2つ重ねた。

 蝉は笑っていた。いや、多分、笑っているというのは正確な表現ではない。

 蝉は、いつだって大きな両目を細め、赤い唇の端を持ち上げている。それはもう、蝉に張り付いた地の表情であって、その顔をしているからといって、蝉が笑っているわけではない。

 蝉は優しいと、ここに来たばかりの頃、私はそう言って女達に笑われた。その原因は、この蝉の表情にあるのかもしれない。

 「妹は寝た?」

 だって、こうやって蝉は、笑ったまんまの表情で、私の心を突き刺してくる。

 「……寝ました。」

 嘘もつけず、わたしはこくりと頷いた。

 この男と向かい合っていたくない、と思った。私は単純に、もうこれ以上傷つきたくなかったのだ。

 ぽんぽんと当たり前みたいに蝉と言葉をかわしていた紅子の姿を思い出す。

 私以外の人間を心のなかに入れた紅子。それがこの蝉なのだから、もう一言だってこの男と話したい事柄などなかった。

 「そう。よく寝るね、あんたの妹は。」

 背もたれに乗せた細い顎を軽く弾ませながら、蝉はにやりと笑みを深くした。

 「……疲れているんです。」

 本当は、放っておいてくれ、と言いたかった。でも、雇い主である蝉にまさかそんな物言いができるはずもなく、私は下を向いて誤魔化すようにそう言った。

 「そう。」

 蝉はまた笑みを深めた。

 私はじわじわと追い詰められながら、蝉をかろうじて睨みつけた。

 私と妹にあったことを、全て知っているこの男。

 「そんな怖い顔しないでよ。」

 蝉が茶化すように言う。

 「ここにはいろんな女がいる。あんたと妹だって、そこまで特殊じゃない。」

 嘘だ、と思った。蝉はけろりとしているけれど、その言葉は事実ではないと。

 すると蝉は、私の心の中を見透かしたみたいに、本当よ、と肩をすくめてみせた。

 

 

 

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