誰も心のなかに入れないために、ずっとふたりでいるために、ここまで来た。

 確かにそうだ。あの狭く、住人同士が癒着し合っているみたいな村ではかなわないその願いをかなえるためだけに、私達はここまで来た。

 そして私は、ここでサチさんを心の中に入れたのだろうか。

 分からなかった。少なくとも、そのつもりはなかった。誰も信用しないできたつもりだった。

 ただ、サチさんは私に優しかった。とても。

 その優しさが嬉しかったのは事実だ。あのひとの素直な厚意は、いつだって私の胸に染みた。身請け話について相談をされたときも、信用されているみたいで単純に嬉しかった。

 でも、だからといって、心の中にサチさんを入れたつもりはなかった。私の心の中には、紅子しかいない。そのはずだ。

 「……紅子だけよ、私には。」

 だから、その言葉にも嘘はなかった。

 けれど紅子は、嘘つきのこそ泥でも見るような目で私を見た。

 「……私だって、お姉ちゃんだけよ。」

 言われた私も、紅子のことを、同じような目で見返したのかもしれない。

 少なくとも、視線は交差した。

 交差したのに、お互いの気持ちがすれ違っていた。

 村にいた頃は、こんなことはありえなかった。私には紅子がなにを考えているのか常に分かっていたし、その逆もまたそうだった。

 なのに、当たり前のように繋がっていた心が、なぜだか今は繋がらない。ぷつりと、糸が切れてしまったみたいだった。

 「紅子。」

 その寂しさと不安に耐えられなくなって、私は妹の名を呼んだ。いつもなら、その一言で気持はぴたりと通じたはずだ。

 「お姉ちゃん。」

 紅子も私を呼んだ。その声は、震えていた。だから多分、紅子を呼んだ私の声だって、震えていたのだろう。

 鏡みたいに同じ顔かたちを持ち、心だって常に通じていたはずの私達が、なんでこんなふうに一人と一人に分かれて、名前を呼び合わなくてはいけなくなってしまったのだろうか。

 私は腕を伸ばし、紅子を抱きしめた。

 私と同じ、痩せた身体。感触は、あの村の炭焼小屋で抱き合った日からなにも変わらない。

 紅子も私の身体を抱き返した。腕の力さえ、ぴたりと釣り合う。

 「……眠るわ。」

 私の耳元で、紅子が囁いた。

 「眠りたい。もうずっと、眠っていたいの。」

 分かった、と、それ以外私に、なんと応えられただろうか。

 私は紅子の丼と自分の丼を重ねて持ち、食堂へ向かった。きっちりと、紅子の部屋の襖を閉めて。

 


 

 

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