音をさせないように静かに襖を開けると、細い人影が布団の上に座してこちらを向いているのが見えた。差し込む光が細すぎて、その人影の顔までは伺えない。

 それでも私には、それが誰だかひと目でわかった。

 ずっと目で追い続けたひと。私と同じ顔と体を持つひと。

 「お姉ちゃん。」

 人影が、ポツリと口を開いた。

 「紅子。」

 私の声は、その人影のそれと全く同じ響きをした。

 「……雨ね。」

 紅子が長い黒髪を片手で梳きおろしながら、呟くように言う。

 私は、ただ頷いた。胸がつまって、うまく言葉が出なくて。

 「雨は嫌い。」

 昔からずっと隣りにあった、紅子の声と喋り方だった。声は私と同じでも、喋り方は少しだけ違う。紅子はいつだって、私が妹よ、とでもいいたげな口調で喋り、私に言うことを聞かせた。

 「雨は嫌いよ、お姉ちゃん。」

 不機嫌そうに言った紅子が、痩せた両腕を持ち上げてこちらに伸ばした。

 私は花の匂いに誘われる虫みたいにふらふらと、紅子に近寄っていった。

 紅子は、黙って私の背中に腕を回すと、私の胸に顔を埋めた。

 それはまだあの村にいた頃、雨の日には決まって取っていた姿勢だった。

 「ごめんね。」

 その言葉は、自然に私の口から転げ出た。

 あんたが雨を嫌いなのは知っているのに、一人にしてごめんね、と。

 ふふ、と、胸の中で紅子が笑った。呼気が着物越しに肌に触れ、私はぞくりと背中を泡立たせた。

 あの頃、私達はただの姉妹だった。抱き合って眠る、仲のいい姉妹。

 でも今は、私はもう、この女と抱き合って得られる快楽を知ってしまっている。

 脳みそに霧がかかったみたいに、ぼんやりとした思考しかできなくなる。

 この女と抱き合いたい。

 それしか考えられなくなる。

 どこに持って行っていいのか分からず、だらりと垂らしていた手を、私は紅子の背中に回した。

 そのまま彼女を布団の上に押し倒す。

 紅子は、また笑った。ふふ、と、どことなく含みがあるような声で。

 その含みが何であるか、私には分かったはずだ。少し気を張り詰めて、彼女の様子を探りさえすれば。けれど今は、その余裕がなかった。

 紅子。

 唇だけで名前を呼ぶ。紅子も同じように、私を呼んだ。銀子、と。

 抱き合ったあの夜だけ、紅子は私を銀子と呼んだ。いつもの『お姉ちゃん』ではなく。

 

 

 

 

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