蝉は大きな目で、面白がるように私を見ていた。この人に、紅子はなにをどう話したのだろう。どんな表情で、どんな声色で、どんな思いで、私達のたった一度の性交について話したのだろう。

 「……紅子は、なにをどんなふうに、あなたに話したんですか?」

 恐る恐る、と言った感じの声が出た。本当は、もっと毅然とした声を出すつもりだったから、自分でもびっくりした。

 蝉はいつものにやにや笑いを浮かべたまま、色々ね、とだけ言った。

 私がさらに問いを重ねると、彼はひょい、と肩をすくめる。派手な着物に隠された肩は、随分と薄くて華奢なようだった。

 「紅子本人に聞けばいい。」

 そんなこと、聞けるわけがない、紅子は、私の前ではずっと眠り続けているというのに。それは、会話を拒むように。

 「……紅子はきっと、私とは話したくないんです。だから、ずっと眠ってる。」

 声がぎすぎすと喉奥で掠れた。

 その声を聞いても、蝉は全く表情を変えなかった。

 いつかの夕方、風呂に入りながら、私が蝉は優しいと言うと、周りの女郎たちが揃って笑ったことを思い出した。

 蝉は私達のことなんてどうでもいいのよ。

 たしか、そんなことを言われた。

 私は、ようやくその言葉の正しさを知った。

 蝉は、私と紅子のことなんてどうでもいい。ただ一度だけ寝た身であろうが、数え切れないくらい肉欲に溺れた身であろうが、そんなことはどうでもいい。ただ、今、少し時間ができたから、私と紅子にちょっかいを出して暇をつぶしているだけだ。

 出てってください。

 そういいたかった。

 けれど蝉は、私の雇い主だ。そんなこと言ってここを追い出されたら、私と紅子にはもう行く場所がない。

 ここまで辿り着く前の、惨めで冷たい旅路を思い出した。常に空腹で、屋根の下で眠れることのほうが珍しくて、私は随分身体を安売りした。あの日々には、絶対に戻りたくはない。

 黙り込んだ私を見て、蝉は笑った。にやにやと、いつもどおりの笑みを浮かべた。

 そして、ちんどん屋みたいな、それでいて妙に身体になじんだ派手な衣装の裾を引きずり、部屋の襖に手をかけた。

 出て言ってほしいと、私が望んだことすらお見通しなのではないかと、少し怖くなる。

 「じゃあな。今日も稼げよ。」

 背中越しにふらりと手を振って、蝉はそのまま部屋を出ていった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る