私は口をつぐんだまま、傍らで眠る紅子を見た。蝉も、私につられるように紅子の方に目をやった。

 眠る女。

 私の妹で、恋人。

 「サチもな、その男とは一回しか寝てないんだとさ。」

 蝉が半分おどけるような、ごく軽い調子で言った。

 サチも?

 ということは、蝉は私達が寝ていることを、そしてそれがたった一度の関係だったことも、知ってる。

 なぜ、と、私は驚いて、蝉の大きな目を凝視した。

 すると蝉は笑って、こいつから聞いたんだよ、と、顎先で紅子を示した。

 「え、だって、紅子はここに来てからずっと……、」

 「寝てるな。でも、こいつだって飯は食うし風呂にも入るだろ。」

 「それは、そうですけど……。」

 自分の中に確固として持っていた芯が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。

 理屈は分かる。

 紅子は人間だ。本当にずっと眠り続けていられるわけではない。わかってる、わかってるけど、その紅子が蝉と会話を交わしているなんて。それも、私達のたった一度の性交の話までしているなんて。

 蝉は、私の頭の中をすべて読み取っているみたいに、くく、と低く笑った。

 「お前もサチも、たった一夜に夢を見すぎだよ。お前たちはこれからずっと、一夜の触れ合いで恋愛ごっこをしなくちゃならない商売だって言うのにな。」

 蝉の言うことは、多分正しかった。

 私もサチさんも、一夜の恋に身を焦がしすぎているし、私達は、一夜の触れ合いで恋だの愛だのをのを売る仕事をしている。

 それでも、そんな理屈じゃ消化できないものもある。

 私は、拙くなる語調で蝉にそのことを訴えた。

 すると蝉は、大きな目をすいと細めた。

 その目を見て私は、蝉にもおそらく、忘れられない誰かがいるのだと思った。

 誰ですか。誰にどんな恋をしたんですか。

 そんなことを尋ねられるわけもなかった。

 蝉は、観音通りの遣手だ。男も女も寄せ付けないことで有名な、この売春宿の主だ。

 それでも蝉にも、忘れられない誰かがいて、だから身請けを断ったサチさんと、断らせた私に、怒りの片鱗さえ見せずに、ただ平然とした顔で売春稼業の心得を説いている。

 蝉も昔は観音通りの男娼だった。

 どこかで聞いた、そんな話を思い出した。

 

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