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風呂を上がった私は、自室に戻って身支度を整えた。

 着物も化粧道具も、どれも店に借金して買ったものだ。三枚しかない着物の中から、花車の柄の青い着物を選んで身につける。 

 着物を選んだのは、私ではなく蝉だ。見本を持ってきてくれた行商が広げた振り袖の渦を前に、どれを選んでいいのか全く分からず固まっていると、蝉が後ろから手を伸ばして、三枚着物を選びだした。どれも、銀色の柄の入った寒色の着物だった。色が白いからあんたには寒色が似合うよ、と、飄々とした口調でいいながら。

 村にいた頃、私も紅子も着たきり雀だった。だから、自分に似合う着物なんか分からなかったのだ。

 着たきり雀。

 口の中で呟く。

 今でも紅子は、浴衣を着たきり雀でずっと眠っている。早く彼女にも、似合う着物を着せてやりたいと思う。私と顔立ちはおんなじだから、多分紅子に似合うのも寒色なのだろうけれど、せっかくなら名前にちなんだ紅色の振り袖なんかを買ってあげたい。きっと、よく似合うだろう。顔だちも体型も同じなのに、昔から紅子は、私よりも華やかな色が似合った。

 布団をかぶって眠る紅子の横顔を暫くの間眺めた後、私は化粧に取り掛かる。

 村では化粧なんかしたことがなかった。せいぜい花の色で唇と爪を染めるくらいのものだった。だから、紅筆を持つ手はいつも震える。

 紅子が起きていたら、と思う。

 紅子は私よりも手先が器用だから、きっときれいに化粧を仕上げてくれるだろう。

 でも、紅子は起きない。ずっと眠ったままだ。

 「……紅子。」

 少し、寂しくなって彼女の名前を呟く。

 ここに来る前は、いつだって紅子と一緒だったから、寂しさなんて感情とは無縁だったのに。

 小声で名前を呼んだくらいでは、紅子は目を開けない。肩を揺すって大きな声を出せば起きるのだろうけど、それはできなかった。

 紅子は多分、すごく疲れているのだ。一週間ずっと眠り続けるくらいに。

 そこまで紅子を疲れさせたのは、私だ。

 紅子に向かう恋情を、抑えきれなかった私。

 私がもっと、理性的な人間だったら、紅子も私もここにはいない。優しい紅子は、私の恋情と欲望を払い除けきれなかっただけだ。

 そう思うと涙が零れ落ちそうになって、私は慌てて目尻を抑える。今泣いたら、お化粧がぐちゃぐちゃになってしまう。

 泣いてはいけな。泣いたらそれは、紅子と踏み越えてきた禁忌を否定することになる。

 

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