第二十七話 先輩に告白 ①

 世の中には知らない方がいいこともある。

 関わらない方がいいこともある。

 見て見ぬふりをしなければならないこともある。


 俺が見たものは、その類だったのかもしれない。

 試験明けの木曜日。昼休みに俺は学校にある図書館で調べた。人が消える現象。医学でも、科学でも、化学でも、オカルトでも、なんでも。


 ただ、闇雲に探すのでは時間が足りない。俺はひとまず健忘症候群のアプローチを行った。

 図書館の司書さんに訝し気な目を向けられながら、大量の精神医療の本を持ってきて読書スペースでぱらぱらページを捲った。

 気になる箇所はメモし、複数の参考書からより細かな情報を収集した。


「やっぱ医学生でもない僕らじゃ無理がある」


「……まだあきらめるには早いんじゃない?」


「もう何度目だよ。その言葉」


 開始からしばらく経って、協力者として招集した隼也が息を吐いた。

 眠気覚ましに買った缶コーヒーから垂れた水滴が時間を物語っている。

 これでも頑張ってくれた方だろう。もう一人の協力者は早々に諦めている。


「こいつの意見に乗るの癪だけど、私も賛成。こんなの意味ないし」


 胡春先輩は山積みになった本をどけて言った。

 活字とにらめっこが肩に響いたのか、首を回す。


「そもそも、お母さんの書いたものが消えたって話も信じらんない」

 

 胡春先輩は洋子さんがいなくなったとき、歌舞伎町にある、洋子さんの勤め先であったバーをあたっていたらしい。

 事情は話した。洋子さんの遺した筆跡が消えたと。


「消えるって、あれ? 消えるタイプのボールペンとかあるでしょ」


 俺の頭がおかしいんじゃないかと疑われている。


「洋子さんがそんなもの使わないことぐらいわかるだろ」


「まあ」


「本当に消えてたんだ。まるで初めからなかったみたいに」


「新品を買っただけじゃないか?」


 隼也も疑っている。


「それはない。あのメモ帳は確認用だ。洋子さんは絶対に手放さない」


「相手は健忘症候群の患者だろ?」


 二人とも釈然としていない。

 最後の紫奈先輩の表情を見なければ、俺も今頃は自分の考えを疑っていた。

 ただ単に、もとあったメモ帳をどこかで噴出し、新しいメモだけが鞄にあっただけなんじゃないかと。

 あの、すべてを諦めたような紫奈先輩の顔を見なければ。


「とは言っても、こんなことやっててもしょうがないか」


 そもそも、医者ですらはっきりわからないことを俺たちが調べても意味がない。

 考えれば考えるだけ沼にはまる。俺は本を本棚に戻して言った。


「すこし休憩したら?」


「そんなひどい顔してる?」


「三徹した顔」


「そりゃひどいですね」


 俺は重い頭をふらふら揺らす。

 眠ろうと努力はしてるし、実際に寝てはいる。

 でも、寝ても脳裏にこびりつく不安が俺の心を削っていた。


「休憩がてら、こっちの本でも読むか」


 俺は怪談本があるコーナーから取ってきたオカルト雑誌を見せて言う。

 二人の表情が露骨に俺を心配するものに変わった。


「あのな。それは……いくらなんでも」


「不思議なことが起こったって言いたいのはわかるけど、怪しいオカルト雑誌はちょっと」


「大丈夫。まだ頭はおかしくなってない」


「変な宗教には入るなよ」


「わかってる」


「あと持ってるだけで幸せになる壺とかも買わないでよね」


「今時そんなのに引っ掛かる人いないですよ」


 どうも紫奈先輩が引っ越すことになって自暴自棄になっていると思われている。

 こうなると俺だってむきになる。


「神隠し」


 オカルト雑誌には、人が突然消える現象の総称としてそう書かれていた。


「知ってるか? 人は七つまで神の子らしいぞ」


「それ、間引きを正当化するための言い訳じゃなかったか?」


 神隠し。昔の村だと子供がいなくなるとだいたい天狗とか神様の仕業にされたらしい。

 自分たちには理解できないことを納得するために生み出された存在。

 まさにピッタリだと思った。


「神隠し、ねえ」


 説明を終えても、胡春先輩はいまいち納得できていない様子だった。

 俺も同じだ。



◇◇◇



 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 屋上以外の場所でこのチャイムを聞くのも、もう慣れた。

 中間考査が明けてから紫奈先輩は屋上に来ることはなくなって、必然と「屋上部」は解散した。

 最初、紫奈先輩が屋上に来なかったときはまたいつもの風邪かと思った。

 でも、探してみると学校には来ている。紫奈先輩の教室に行ってみたら、紫奈先輩は普通に女子と話をしていた。


「あ、優斗。ごめんねー忙しいんだ。じゃね」


 初日はそう言って断られた。


「今日も屋上には行けないんだ。ほら、あれだよ。小テストがあるんだ」


 二日目は小テストがあるからと。


「今、どーしてもはずせない用事があってさ! 先生のお手伝い!」


 三日目は先生のお手伝いらしい。

 呼びかけるといつものように紫奈先輩は逃げていく。こんなふうに色々と理由をでっちあげて。

 学校では一年のお気に入りがまたフラれたと噂された。

 今回は長かったなと言われる程度で、いつものことのように周囲から処理された。

 俺は、どうすればいいかわからなくなった。

 おそらくは、俺も他のお気に入りと同じ末路を辿ったのだろう。

 そうなると、あとはもう俺も知ってのとおりだ。一度、彼女にすげなく扱われたらおわり。


 八方ふさがりだった。

 教室に戻る。なにをしたらいいかすらわからない。

 吹きさらしの廊下から下の階を覗く。玄関前で紫奈先輩の白い髪が目に映った。

 美しいなと思うと同時に、美しくて怖いなとも思った。人間離れしているとも。

 あの白い髪はなんなんだろうな。今更ながらに思う。

 まるで生命力を吸われているみたいだ。ひどいな。オカルト雑誌の読み過ぎで頭おかしくなったか?

 紫奈先輩は泡のようだ。かすみのようだ。雲のようだ。形があやふやでしっかりしてないものに例えてしまう。

 目を離せば消えてしまうような……


「――白川さん、いまから滋賀に帰るんだって!」


 クラスメイト女子のなにげない言葉が思考を中断させた。

 机に座っていた俺はいつもの四人メンバーとの会話を脳の隅にやって、その女子グループの会話に全神経を集中させた。


「滋賀?」


「白川さんの実家があるっぽい」


「ふーん。なんで?」


「なんか家の事情らしいよ。早退するってさ」


「実家が滋賀だから帰省になるのかな」


「学校は?」


「しばらく休むんじゃない?」


「いやいや、転校するって話だって」


「えー! 転校ー!?」


 そこまで聞いて、俺は席を立ちあがった。

 もう紫奈先輩は俺に会う気はないんだ。追いかけてどうする? 会ってなんになる? 悲しませるだけじゃないのか?

 心の中で冷ややかな自分が、これからバカをしようとする自分を否定する。

 知るか。

 会いたい。まだ紫奈先輩に自分の気持ちを伝えられてない。

 それだけで十分だ。


「優斗、行くのか!?」


「ああ!」


「気張れよ!」


「わかってる!」

  

 隼也の声が遠くに聞こえる。

 俺は廊下を走り抜けた。生活指導の先生の怒鳴り声が響いた。

 早退届すら出さずに玄関で靴を履きかけ、下駄箱に内履きを投げ捨てて走った。

 さっき玄関で見かけた先輩の姿はもうない。たぶん車で東京駅に向かってる。

 東京駅から東海道・山陽新幹線に乗って滋賀に向かうという話は、胡春先輩から聞いていた。


 肺が空気を求めている。横腹が痛かった。全速力で走ると、全身が鉛のように重かった。

 五月にあった体力測定以来、俺の体力は緩やかに下降していっている。

 だけど、今日、この瞬間だけは人生で一番速かったと思う。それぐらい死ぬ気で走った。

 

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