第十六話 先輩の看病 ①

 紫奈先輩の風邪は一日だけでは治らなかった。


 朝のホームルームが始まる前に紫奈先輩の教室を訪ねてみたのだが、そこに紫奈先輩の姿はなかった。

 昼休みにいつもの屋上に行ってみたが、やはり紫奈先輩の姿はない。

 念の為、教室にいた女子の先輩に訊ねてみると、「紫奈ちゃんは今日風邪だって。もしかして告りにきた?」と返された。


「……屋上以外の場所で昼休みなんて四月ぶりか」


 二年生棟から一年生棟に戻る道すがら、俺は一人そう呟く。別に紫奈先輩が居なくても、屋上で食べればいいのではあるが。


 そもそもの話、紫奈先輩に会いに屋上に訪れていたわけではない。

 屋上を根城にしている野良猫。それが紫奈先輩で、俺は屋上を利用する許可証代わりに、彼女のぶんの弁当を持参することになっただけだ。


 それがいつからか、紫奈先輩に会うために屋上に行くようになり、紫奈先輩に俺が作った料理を食べて欲しくて弁当を作るようになった。本末転倒だ。


「今日は先輩の好物ばかりの弁当だったんだがな。間違いなく大喜びするはずなんだけど……」


 最近、紫奈先輩の笑顔が頭の中によく浮かぶ。

 料理を作っている時も、お風呂に入っている時も、眠る前にも。そして胸が苦しくなるのだ。

 

「……あー、もう、なんか変な気分だ!」


 結局、俺は紫奈先輩と会えない屋上には行く気にはならず、自分の教室で弁当を食べることにした。


 もう五月の折り返し。教室内はほぼクラスカーストが固まっている。

 よく喋る女子グループが誰も使わない机と椅子をふんだんに使って中央を占拠し、いわゆる二軍女子らがその脇を固めていた。


 男子はというと、食堂を利用する男子が大多数のようで、教室にいる男子は少なかった。女子の声に圧倒され、隅っこで携帯をいじりながら購買パンを齧っている。


「優斗が教室にいるなんて珍しいな。いつも昼になると、どっか行くのに」


 机で一人寂しく弁当を食べていると、声をかけてくる人がいた。

 先週の木曜日にあった席替えで離れ離れになってしまったが、未だに交流のある知人、『三谷みたに隼也しゅんや』だ。


 女子グループが幅を利かせる教室内で堂々と「その椅子、俺のなんだけど。貰っていいか?」と言えるほど胆力があり、かつ「その代わり、こいつの机なら使っていいから」と気配りもできる。

 硬派な俳優顔も相まって、気の強い女子グループも彼に対しては「あ、三谷君! 全然いいよ!」と甘々になる。


「隼也、他のみんなはどこ?」


 俺の机の前に座った隼也に訊ねる。

 知り合って一ヵ月も経つ頃には、お互いに下の名前で呼ぶようになっていた。もうよそよそしさはない。


 隼也について新しく知ったことも幾つかある。

 一つは視力はあまり良くないらしく、席替えで後ろの席になってからは眼鏡をかけるようになったことだ。

 もう一つは一人称。隼也は「僕」と上品に言う。成績も相まって優等生のイメージが型にハマっていた。

 

「あいつらは昼練だ」


 他のみんなとは、菱川ひしかわ辰巳たつみ沖田おきたまことのことだ。そこに隼也と俺を加えた四人で教室内ではグループを形成している。


「隼也は?」


「僕は部活辞めてる。入って三日で」


 不名誉なことなのに、なぜか隼也は得意げになっていた。

 高校生くらいの年齢だと、人がしないようなことをするのがカッコいいという風潮はある。しかし部活を早く辞めるのは、そんな風潮の中ではむしろダサく思われそうだ。


「最速記録じゃん」


「顧問も驚いてた。三日で辞めるやつなんか初めて見たって」


「そりゃ驚くでしょーよ。なんで三日で辞めるような部活に入ったの?」


「なんか合わなかった」


「仮入部で気づきなよ」


 だが、隼也が部活を辞めてフリーだという情報は値千金だった。


「あ、そうだ。部活入ってないんなら、俺たちが作る部活に入らないか?」


「優斗はバイトがあるんじゃねーの?」


 隼也は購買で買ってきたカレーパンを頬張り、もごもごと口を動かした。周囲にカレーの匂いが広がる。

 俺はいつものグループメンバーからの遊びの誘いを「バイトがあるから」と言って断っていた。そんな人間が突然部活を作るなんて言い出すのはたしかに不自然だった。


「ああ。だから活動は不定期だし、同好会のように軽く思ってくれればいいよ」


「ならまあいいか。どんな部活だ?」


「屋上部だ。別名は家庭科部」


 そう伝えると、隼也の眉間に皺が寄る。


「屋上と家庭科の因果関係がよくわからん」


「屋上はバイブルで、家庭科はモットーだ」


「もっとわからん」


 カタカナ言葉を交えると、隼也の額がしわくちゃになった。

 

「どうして屋上部なんて突飛な話が出てきたんだよ」


「紫奈先輩と屋上を私物化しようってなってな」


 俺がそう言うと、隼也は目をしばたたかせる。


「……前々から思ってたんだが、優斗は白川先輩と付き合ってんのか?」


「なんだよ今更になって。ただのお気にだよ」


「お気に入りにしては、ずっと仲いいだろ。校内でも噂になってる。あの白川先輩が一年の男子に靡いたってな」


「朝川高校の学生は噂大好きだよなー」


「白川先輩が好きなんだろ」


「あ、そうか」


「それに、噂が嫌いな人間なんかいないじゃねーのと僕は思う。人間は情報を伝播させることで過酷な自然界を生き抜いてきた。噂が嫌いな人間のグループはとっくの昔に絶滅してるよ」


 すごい壮大な話ではあるが、納得できる話であった。

 学校生活でも当てはめられる。話ついていけないやつは空気が読めない扱いされて、「〇〇さんって、あんまりこっちの話題興味ないよね。付き合わせるの悪いから来なくていいよ」と気遣いされつつ、自然と居場所を失っていく。


 教室の女子グループも「韓国のさー、〇〇が可愛いよねー?」とか「あの最新曲聴いたー?」とか多いに情報で盛り上がっていた。


「生物のどこの範囲? それ」


 次の中間考査までに復習しておかないと。


「安心しろ。テストには出ない」

 

「よかった。生物は前回のテストでクラス順位一位だったから、誰にも負けられん」


「優斗は記憶系の教科強いよな」


「それだけが取り柄なもんで」


 俺はからあげを頬張りながら言う。

 料理が得意なのも、記憶力の延長線だ。


「で、白川先輩とは結局どうなんだよ」


「だから、何もないって」


「嘘つけ。青春を絵に描いたような顔してるぞ」


 何度否定しても、隼也は納得してくれなかった。

 結局、昼休みが終わるまで、隼也からの取り調べは続いた。



◇◇◇



 その日の学校帰り、俺は紫奈先輩のお見舞いで、再び白川家を訪れることにした。場所は学校近郊の住宅街。緑に囲まれていて、ランニングなどの運動に最適そうな場所。

 俺はマンションの管理人に友達のお見舞いであることを説明し、入り口のオートロックを開けてもらった。

 部屋は二階の204号室。俺は扉の前に立ってインターホンを押した。


「どちら様ですか?」


 しばらくして、紫奈先輩の声でも、胡春先輩の声でもない女の人の声がした。

 俺は軽く咳払いをして、他所行きの声を作る。


「最上優斗です。紫奈先輩のお見舞いに来ました」


「娘の後輩さんですか。わざわざありがとうございます」


 相手は紫奈先輩の母親だった。

 はドアスコープから俺が朝川高校の制服を見て確認したのだろう。ガチャリと音がして、扉が開く。

 応対してきた女性のその顔には見覚えがあった。


「あなたは……」


 銘露にいた女性客だ。

 泣きぼくろ、垂れ目。なによりもこんな美人を間違えるはずがない。


「……もしかして、どこかでお会いしましたか? 私、もの覚えが悪くって」


 俺が見知ったような顔をすると、紫奈先輩のお母さんは困ったように作り笑いをする。


「あ、すみません。先日、喫茶店でお見かけしまして」


「喫茶店……ああ、えっと……渋谷にある……はい、たしかに昨日は病院の帰りにそこでお茶をしてました」


 紫奈先輩のお母さんはアルツハイマーを患っている。喫茶店に行ったことは覚えているが、店の名前など細かな情報は覚えてないようだった。


「喫茶店で何度も訊ねてきたのはそういうことか」


「え?」


「ああ、いえ。喫茶店で見かけて紫奈先輩に似ているなーっと思っていたら、本当にお母さんだったなんて驚きです」


「……ええ、娘は私に似てしまいました」


 娘が母に似ると言われるのは、母親からすれば喜ばしいことのはずだが、紫奈先輩のお母さんは口惜しげに言う。

 表情が翳ったように見えたと思ったら、それを悟られぬためか、次の瞬間にはぱっと明るく表情を作った。


「っと、立ち話もなんですし、中に入りませんか?」


 紫奈先輩のお母さんはチェーンを外した。玄関の扉を大きく開けて、招き入れる体制に入った。


「お邪魔します」


 ご厚意に甘えて俺は靴を脱ぐ。

 紫奈先輩の家に訪れるのは二度目だが、やはり緊張する。


「娘とはどういったご関係で?」


「餌係です」


「え、餌?」


 予想外の返答に紫奈先輩のお母さんは狼狽する。

 だが、心当たりがあったようだ。メモ帳を取り出してページを捲る。


「もしかして、前に紫奈が泊まったというのは……」


「あの時は連絡もなしに勝手なことをして、申し訳ありませんでした」


「いいんですよ。むしろこちらの方こそ感謝してます。えっと、紫奈にお礼のお菓子を持たせたと思うのですが」


「芋千本、美味しかったです。妹が大変気に入ったみたいで、あれからせがむようになりました」


「それは良かったです」


 紫奈先輩のお母さんは上品な笑みを浮かべる。

 このわずかな所作だけでもわかる育ちの良さは、紫奈先輩と似ていなかった。


「では、紫奈が話してくれた料理上手な男の子というのもあなたですか?」


「お弁当を毎日作っているので、たぶん」


「そうですか。本当に、本当に、娘と仲良くしてくださってありがとうございます」


 紫奈先輩のお母さんは深くお辞儀をした。

 

「これからも紫奈のことを任せてもいいでしょうか?」


「ええ」


 俺は頷き、紫奈と書いてある部屋の前に立つ。

 紫奈先輩のお母さんは外に出かける用事があるのか、玄関の方に消えていった。

 俺は慌てて玄関に声を投げ入れる。


「あの、非常に厚かましいお願いなんですが、キッチンを借りてもいいですか?」


「構いませんよ。キッチンの調理器具も冷蔵庫の食材も好きに使ってください」


 返ってきたのは非常にありがたい申し出だった。

 食材はこちらで揃えてはいるが、調理器具までは持ってきてなかった。

 キッチンの使用許可を得たところで、俺は紫奈先輩の部屋をノックする。

 

「先輩、大丈夫ですか?」


「……え、もしかして優斗?」


 くぐもった声が部屋から聞こえた。

 紫奈先輩の声だ。


「入ってもいいですか?」


「う、うん」


 俺は一呼吸を置いて、扉を開ける。

 前にも見た寒々しい部屋。隅っこにあるベッドに紫奈先輩は寝ていた。

 頭には冷えピタを張って、寝苦しそうにしている。


「ごめんね。こんな格好のままで」


「いや、むしろこっちの方が助かります」


「ほんと、優斗はいつだって優斗だね」


 紫奈先輩は少し表情が和らいだ。


「紫奈先輩、体調はどうですか?」


「喉痛い! 鼻水出る! 汗が気持ち悪い!」


「……意外と元気そうですね」


 それぐらいの元気があれば、まだ心配はいらなさそうだ。


「待っててください。今から風邪に効く料理を作ってあげますよ」

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