第十五話 先輩と風邪 ③
「兄さん、また女の人連れてきてるし」
玄関に迎えに来た亜弥の第一声がそれだった。
言外に「またか。この女たらしめ」と咎めてくる。しかし悲しいかな。誰とも付き合っていない。
「いや、今日は知らない女の人じゃないだろ? 受験前はよく家に来てた若菜だ」
「亜弥ちゃん、お姉ちゃんが来ましたよ」
「あ、若菜さん、いつも兄がお世話になってます」
若菜とは小学校からの付き合いだ。同じ町内に住んでて子供会などで亜弥とも昔から交流がある。
亜弥は若菜を目に留めると、フランクかつ礼儀正しく頭を下げる。久しぶりに会う仲だが、よそよそしさはなかった。
「今日は泊まるの?」
「いえ、お兄さんの看病に来たんです」
若菜がそう言うと、ようやく亜弥は俺が風邪を引いていることに気づいた。
「兄さん、顔真っ赤だし。どうしたの?」
「若菜から聞かされたとおり風邪だ。紫奈先輩にうつされた」
「うつされたって、二人でなにやってたの」
今度は質問ではなく、呆れた声。
詮索するような目を向ける。
「ただ屋上でずっと寝てただけだ」
「絶対原因それだよ。二人揃って仲良く風邪ひいただけじゃん。やっぱり紫奈さんと関わってから変だよ、兄さん」
「先輩から芋千本貰ったぞ。食べるか?」
「芋千本!」
亜弥は目を輝かせる。
「紫奈さんとはこれからも末永く仲良くして! 絶対!」
亜弥は小綺麗な包装を抱えると、自室へ消えていった。現金な妹だ。
「紫奈さんと仲がよろしいんですね」
「ちょっと変わった関係ではあるが……なんだその目は」
若菜は余裕を湛えた顔をしている。
幼馴染の余裕……なのか?
「最上さんが誰と付き合おうが構いませんよ。こうやって一緒に友人をやれていればそれで満足です。あ、でも、将来は一緒に住みたいとは思ってます」
「いや、そっちのが怖いんだが? 俺が結婚したらどうすんだよ」
「新婚宅に家政婦として住み込みます!」
「夫婦の仲が冷えるわ」
なんかもう振り切れてるじゃん。
というか、若菜が結婚した場合はどうするんだよと疑問に思って訊ねたら、さらっと「生涯独身を貫きます」と返ってきた。こういう人間ほど誰よりも早く結婚するのだと俺は知っている。
「そういや、二人は結局LINE交換したんだっけ?」
「しましたけど、毎日変なスタンプを送ってこられて迷惑してます」
紫奈先輩らしい絡み方だ。
若菜は他校の女子だし、関わりやすいんだろうな。
「今日は朝の十時五分にハシビロコウのスタンプを送ってきました」
「そんなマニアックな生き物のスタンプあるんだな」
「有名ですよっ」
珍しく若菜が語気を強めて反論する。
ゲンゴロウなら知ってるが、ハシビロコウは知らない。ゲンゴロウの親戚だろうか。
「俺は知らなかったが、若菜がそこまで言うってことは有名なんだな……」
愕然とする俺をよそに、若菜は冷蔵庫にある食材や調味料を確認していた。
生姜湯を作るに必要な材料なら揃えているはずだ。はちみつは妹がパンケーキ好きなので、欠かすことなくハニーポットに補充している。
生姜は帰り道にある大型スーパーで買ってきた。レモンはタッパーにはちみつ漬けにして常備してある。
「あ、最上さんは自室で休んでくださって大丈夫ですよ」
「実は生姜湯を作った経験がなくてな。ちょっと興味あるんだ」
「意外です。最上さんが作ったことない料理とかあるんですね」
「そりゃあるだろ。プロじゃないんだから。というかプロでも世界中の料理を作るなんて無理だ」
世界には数えきれないほどの料理がある。
俺が作れるのは、ほんの僅かなものだけだ。
「でも、生姜湯なんて簡単に作れますよ。というか、お家で作る機会ありませんでしたか?」
「自分が風邪ひいたら看病料理とかんなもん作る元気ないし、亜弥が風邪ひいた時は美味しいものを食べてほしくて出前とかとるしな」
こうして考えてみれば、俺の料理は妹中心だった。
和食より洋食が好きだった亜弥のために、洋食料理を覚え、今はそれをお客様に提供する立場にある。高校生になって変わったと実感するのは、やはりバイト生活だろう。
俺は料理が好きではない。自分一人なら絶対に料理は作らない。面倒くさいから。
亜弥がいて、今は「銘露」の人たちに必要とされるから料理をしているだけだ。
「最上さんは亜弥ちゃんが大好きなんですね」
「まあ、家族だしな」
「ふふっ」
俺がそう言うと、若菜は口元を覆って笑みを溢した。
「なに笑ってるんだよ」
「ごめんなさい、微笑ましくってつい。最上さんと亜弥ちゃんを見ていると、私にも妹がいたら、こんな感じなのかなって思うんです」
「姉妹だけど、うまくいってないとこもあるみたいだぞ」
あっちは義理の姉妹だけど。
突然にできた姉妹なせいか、姉は妹にどう接すればいいかわからなくて、妹は奔放な姉に悩まされている。
俺は心情的には姉の、紫奈先輩の味方だ。
ただ亀裂が入ってるように見える姉妹も、きっとお互いを本気で嫌いあってるわけではないと思う。
白川家で会った胡春先輩は、紫奈先輩のことで感謝してたし。
「……先輩にも生姜湯、作ってあげたいな」
ぼそりと小声で呟く。
紫奈先輩は俺の料理を美味しいと大袈裟に褒めちぎってくれる。俺も紫奈先輩の笑顔が見たいから張り切って料理を作る。
そうだ。俺が料理をする今一番の原動力は紫奈先輩だった。
「どうかしましたか?」
「なんもない。てなわけで見学させてくれ。風邪うつしたら悪いな」
「構いません。生姜湯だけでは味気ないので、卵粥でも作りましょうか」
「お粥か。そういや、お粥も作ったことなかったな」
意外にも料理に疎かった自分に驚きつつ、なんだか楽しい気分になってきた。料理にかぎらず、新しい知識が増えるのは楽しい。
だから俺は日本史、世界史みたいな覚える系の教科が好きだったりする。あとは公式に当てはめるゲームの数学とかも嫌いじゃない。英語は単語を覚えるのは好きだが、リスニングがあるから嫌いだ。
「では、ぱぱっと作りますね」
若菜はコンロに火をつけ、お湯を沸かし始める。
「生姜湯は名前にもあるように生姜をお湯に入れるだけです。人によって好みがありますが、生姜はだいたい小さじ半分くらいを目安に、はちみつは大さじ一杯分を目安にしてください」
生姜小さじ二分の一、はちみつ大さじ一。
携帯のメモ帳アプリにいつでも見直せるように記載しておく。
「あ、時間ぴったりですね」
生姜を切りおわると同時に、お湯が沸騰する。
刻んだ生姜を入れ、はちみつを投入すれば完成だ。レモンは、既に切ってはちみつ漬けにしてある。
「おかゆと雑炊の違いは、お米を炊くか炊かないかです。お粥は生米を使います」
「へー」
知らない学びが増えていく。
鍋に米を投入し、煮詰める。十分ほどの虚無の時間が訪れた。
「雑炊とおじやの違いはなんなんだ?」
「雑炊は一度水で洗ったご飯を使います。おじやはそのまま鍋に入れるので雑炊に比べて粘度があるんです」
「へえ、雑炊もおじやも食べたこと自体はあるが、あんま違いとか意識してなかったな」
煮えて形が崩れていく米を眺めながら、俺は呟いた。
雑炊もおじやも同じものだと思っていた。一品料理に仕立て上げたのが「雑炊」で、〆に食べるのが「おじや」そんな風に勝手にわけていたが、思ったよりも深いジャンル分けがあるようだ。
こういうのを学ぶのも料理の楽しみだな。
「完成です」
溶き卵を回しかけ、彩りにネギを加えて完成だ。
生姜湯と一緒にダイニングキッチンに配膳する。
「いただきます」
俺はまず生姜湯から口をつけた。
「うまっ。はちみつのおかげで飲みやすい。あとレモンがいいアクセントになってる」
美味しい。ただただ美味い。生姜が体を芯から温め、はちみつが滋養効果を促進させる。
「次は卵粥か」
れんげでお粥を掬って食べる。
「これも美味いな。胃もたれしてるからか、喉に通りやすいのがいいな」
「元気な時は具材いっぱいの雑炊を作ってあげますよ」
「いや、今日でレシピを教わったし、今度は俺が作るよ」
俺は体調不良も忘れ、ひたすらにお粥食べ進め、生姜湯を飲み干した。
「ふう、満腹だ」
そうして気づけば鍋とコップは空になっていた。
若菜は俺が食べ終わるのを見届けると、学生鞄を担ぐ。
「そろそろお暇しますね。お体に気をつけてください」
若菜はリビングを出て玄関に向かった。
玄関で靴を履き、扉に手をかける。
「ああ、またな。あと、たまには家に遊びに来い。……亜弥が会いたがってるからな」
「ええ、またお邪魔しますね」
面映そうにする俺を見て、若菜は笑みを深めた。
小学生の頃はなんとも思わなかったけど、高校生になると、幼馴染の女子と接するのが途端に気恥ずかしくなる。思春期特有の病だ。
「家まで送るよ。近所だし」
「いえ、そこまでして貰う訳には……」
「そんくらい気にすんな」
俺は若菜を家まで送り届ける。近所なので徒歩五分くらいの距離だ。
若菜のお母さんから作りすぎたと肉じゃがのお裾分けや旅行のお土産なんかを貰って、行きよりもだいぶ重くなった足で自分の家に帰ってくる。
「さてと、明日はなんとか学校に行けそうだな」
若菜の生姜湯と卵粥のおかげで体がポカポカしている。
鼻づまりも治ったし、咳もくしゃみも出ない。体の倦怠感もなくなった。
「問題は紫奈先輩か。あの様子じゃ明日は学校に来れないだろうな」
ちょうど明日はバイトも休みだし紫奈先輩のお見舞いにでも行ってやるか。
俺は空っぽになった鍋とコップを見つめ、明日の計画を立て始めた。
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