第十二話 先輩と妹

 申請届は早川先生に言えば簡単に貰うことができた。

 またたらい回しにされるのではと危惧していた自分を嘲笑うかのように、あっけなく「あ、申請届ね。いいよ」と机の棚から取り出して手渡された。


 申請届はA4サイズの用紙で、部活名と顧問、運動部なら外部コーチ、そして部長と部員の名前を書く欄があり、活動目的やスローガンなど自由記載の欄がある。

 部長は俺ではなく紫奈先輩の名前を書いて貰おう。


 午前の授業が終わり、昼休みになったので、俺はいつものように二人分のお弁当を手に屋上へと向かった。


「また紫奈さんはそうやって!」


 屋上に行くと、女子生徒の怒声が聞こえた。

 見ると、俺より先に屋上に来ていた二人の女子がなにやら言い争っている。

 片方は紫奈先輩で、もう一人は今朝会ったばかりの書記、胡春先輩だ。


「うん、ごめん。白川さんには迷惑かけた」


「連絡ぐらいしっかりしてよ! あんたのそういうとこが嫌い! だから私は再婚なんか嫌だったのよ!」


 胡春先輩は、読書をしていた時の静かなイメージとうって変わって、火花のような苛烈さを露わにしていた。

 思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い声で、紫奈先輩を責め立てている。


「あんたら揃って、男に取り入ることばっか。お父さんもなんであんなのと……」


 胡春先輩はもう疲れたのか、それとも暑さに耐えかねたのか、捨て台詞を吐いて出口に向かって歩いてくる。

 俺はとっさに出口を閉めて隠れようとしたが、間に合わず。


「どいて。邪魔」


 昇降口に立っていた俺を押しのけて、屋上を降りていった。

 残された俺は胡春先輩と入れ違いで屋上に入る。


「……優斗」


 紫奈先輩とは気まずい空気になった。

 怒られた後の相手に声をかけるのには、一息の間が必要だ。

 俺が黙っていると、先に先輩が場の膠着を決壊させる。


「見られちゃったか……」


 紫奈先輩は困ったように転落防止柵に体を預けた。

 空に浮かぶ雲よりも白い髪が風に揺れる。


「綺麗だな」


「え?」


「紫奈先輩の夏服姿」


 衣替えの時期は年々早くなっている。

 もう朝川高校に通うほとんどの生徒が夏服にシフトチェンジしていた。


 朝川高校の生徒は、男女共に黒のネクタイを身につける。

 夏服だと黒のワンポイントが強調され、紫奈先輩の髪とコントラストを成し、より美しさを際立たせていた。


「ありがと」


 紫奈先輩は注射する前みたいに腕にぎゅっと力を込める。

 さっき胡春先輩から言われた「男に取り入ることばっか」という言葉が響いているのかもしれない。


「まったく、僻み性ですよね。男にモテて、なにが悪いんだ」


「再婚したことを未だに根に持ってるんだよ。げんに家庭が上手くいってないし」

 

「やっぱり胡春先輩は紫奈先輩の妹だったんですね」


「胡春ちゃんのこと知ってたの?」


 紫奈先輩は今更ながらに訊ねてくる。


「つい今朝方、部活設立の件で会いました」


 その時は単なる偶然だと暗示をかけ、見て見ぬふりをしようとした。

 でも、屋上での二人の会話は白川紫奈と白川胡春が姉妹だと決定づけるものだった。


「あちゃー」


 目を覆いたくなるのは俺もだ。

 こっちも対応に困る。胡春先輩とは部活の設立であと一、二回は関わりそうなのに、どんな顔して会いに行けばいいのやら。


 最悪、今の会話を聞かれたせいで機嫌を損ね、二度と生徒会に口聞きして貰えないかもしれない。


「家族に黙って泊まりに行ってたんですね」


「だって、それが家出じゃん」


「家出とは聞いてませんでしたが?」


「親と喧嘩して、友達の家に転がり込むのは家出でしょ。言わなくてもわかるじゃん」


「まあ、たしかに。ちなみになんですが、もし俺の家に泊まれなかったらどうしたんですか?」


「んー、野宿かなぁ」


「絶対にやめてください」


 紫奈先輩みたいな美人な女子高生が野宿なんかしたら不埒な男に狙われる。


 というか、都会でよく野宿なんて発想が生まれるな。ああ、そういえば元は滋賀県に住んでたんだっけ? いや滋賀でもダメだろ。

 非常識に呑まれそうになる頭を切り替える。


「わかってる。たぶんビジホ辺りに泊まってたよ」


「もしなにかあれば、いつでも俺の家に来ていいですから」


「優斗の家は今やもう私の家と言っても過言じゃないからねー」


「それは過言ですよ」


 俺は持ってきた弁当箱を広げる。

 今日の試作品は昔ながらの喫茶店風オムライスだ。


 本当は切ったら卵が溢れてくるようなふわとろオムライスが作りたかったが、弁当に不向きなのと、店で作り続ける難しいという理由で却下となった。

 裏では何回も作ろうとして卵の残骸を積み上げてしまった。


「あー、私も優斗のご飯が毎日食べられたらなあ」


「今のプロポーズですか?」


「ん、なにが?」


「……相変わらずの初恋キラーっぷりですね」


「優斗だって、妹ちゃんの友達の初恋もブレイクしたんでしょ」


「誰から聞いたんですか……って、一人しかいないか」


 亜弥がそこまで話すなんて、紫奈先輩との女子バナはよほど盛り上がったんだな。亜弥と仲良くしてくれる人が増えて良かった。


「どうして付き合わなかったの? あんまり好みのタイプじゃなかった?」


「めっちゃ可愛かったです。でも、妹の友達とは付き合えないでしょ」


「えー、なんでよ?」


「そりゃ、家でエッチなことするのに気まずいからに決まってます」

 

「外でしなよ!」


「先輩は外でエッチなことするのが好きなんですね。流石、屋上でパンツを見せびらかしてるだけはあります」


「いや、その……どっかのホテルとかで……って、はぐらかそうとしてない?」


「妹の友達だから付き合えなかったとこは本当ですよ。エッチなことするのに気まずいってのも実際そうでしょ?」


「いや、私は付き合ったことないしわかんない。というか妹ができたのも最近だし。だけど……」


 紫奈先輩は俺を見据えて、しっかりと伝える。


「妹ちゃんのことを思うなら、優斗はもっと家での時間を大切にすべきだよ。亜弥ちゃんが別れたのは優斗のせいじゃない。あれは浮気相手の女と、浮気した男が悪い。亜弥ちゃんも、優斗をもう責めてない」


「……まさか家出した先輩に言われるなんてな」


「さっき自分のこと棚に上げて、私のこと初恋キラーって言ったお返し」


「俺は一人だけで先輩は不特定多数じゃないですか。同列には語れませんよ」


「若菜ちゃん」


「若菜からは告白されてません」


「いやいや、どう見ても優斗にガチ恋じゃんあれ!」


「いやいや、あれが若菜の平常運転なんです!」


「いーや、優斗はなんも乙女心をわかってない! この女たらし!」


「俺より若菜のこと知った気にならないでください!」


 俺たちは口論を続け、最終的に若菜がどれほど可愛いかの褒め合いに発展した。


 もしこの場に若菜がいたら、顔を真っ赤にして、穴でも掘っていただろう。


「……今でも、もしあの時に告白を断らなければと考えることがあります」


 どのみち浮気をするような彼氏だ。長くは続かなかっただろう。


 でも、悔やまずにはいられない。俺が妹の恋愛を破局に導いた罪悪感はどうやっても拭えないのだ。


「恋愛は義理でするようなもんじゃないよ。ほら、バレンタインにも本命チョコと義理チョコがあるでしょ?」


「先輩は食べ物の話ばかりですね」

 

「悪かったなー! もうっ!」


 紫奈先輩は不貞腐れて、俺の弁当を奪った。


「ほら、早く取り返さないと、食いしん坊の私が優斗のお弁当も私が食べちゃうよ!」


「あ、こら」


「掴まえてみなよ。言っとくけど、私は五十メートル走六秒台だからね!」


 俺たちは予鈴が鳴るまで鬼ごっこを楽しんだ。

 もどかしい感情をなにか別のもので紛らわせたかった。


 紫奈先輩から弁当を奪う目的なんか早くも忘れ、俺は汗だくのまま屋上のアスファルトに背中を預けた。


 見渡すかぎりの雲と青空。六月から七月にかけて発生する梅雨前線が、この乾いた空を洗い流していくのだろう。梅雨は嫌いじゃないけど、屋上が使えないのが難点だ。


 屋上でないと先輩とは会えないわけではない。でも会える機会はぐっと減る。そして夏が始まれば夏休みで学校にも行けなくなる。

 中学までは毎日が夏休みならと願っていたが、今は夏休みなんて来なければいいと願っている。


「ねえ、優斗」 


「どうしましたか?」


 先輩も汗だくで寝転がっている。横を向けばきっと汗で透けた紫奈先輩のブラのラインを覗けるのにその気力すら湧いてこない。


 午後の授業はサボることにした。五限目の授業は苦手な国語だ。

 退屈な授業を聞けばきっと余計な詮索だったり、ことばっかり考えてしまう。

 先輩も午後の授業は出席できないだろうし、今日はずっと先輩の隣にいたかった。


「屋上部、きっと楽しいよ。作れるといいね」


「ですね」






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次回から諸事情につき、投稿時間が二十一時になります。

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