第十話 後輩の妹と女子バナ

 私、白川しらかわ紫奈しなは恥ずかしながらお泊りを経験したことがない。


 生まれつき体が弱いせいで、旅行の前日には高熱を出し、合宿のバスでは気分が悪くなり、友達の家では嘔吐した。そんな女の子。

 自分で言うのもなんだけど、可愛さ全開の容姿と、人に取り入るのが上手いざっくばらんな性格がなければいじめられてたと思う。



 

 妹ちゃんの誤解を解き、機嫌を直すのに時間を費やしていると、あっという間に就寝時間となった。

 問題は私が泊まる部屋なのだが、これは妹ちゃんの部屋となった。


 私は優斗の部屋でもよかったんだけど、妹ちゃんが断固拒否。「ブラコンだねー」とからかったら、顔を真っ赤にしてぷしゅーっと行き場を失った熱が漏れる音が口から聞こえた。かわいい。

 私は来客用の布団を床に敷いて、その上に寝転がる。

 

「ねー、妹ちゃん、女子バナしない?」


 私は高揚していた。ハイテンションだった。

 だって初めてのことだもん。

 こういうお泊まりには縁が無くて、今日やっとその縁を掴めた。もしかしたら一生で一回きりの出来事かも。


 一応、高校二年生の秋になったら、修学旅行がやってくる。だけど、また体を壊して行けなくなるかもしれない……いや、今までの流れからして、行けなくなる確率の方が高い。


 あー、修学旅行に行けたらいいな。中学生の時は前日に高熱出していけなかったもん。私はほんとに肝心なところで運に見放されてる。


「明日は学校ですよ。早く寝たらどうですか?」


 勉強机に向かう妹ちゃんはそっけない。

 カリカリと、無機質で淡々としたシャープペンシルの音が等間隔で聞こえてくる。


「お姉ちゃんが宿題見てあげよっか?」


 私は妹ちゃんの課題を覗き込む。


 げ、式の証明だ。苦手なんだよね。というか忘れた。高校生になったら途端に影が薄くなって忘れるやつだ。


 そして忘れた頃合いに、式と証明という似たようなのが出てくる。私は理系だけど、数学が大の苦手。


 それでも、やっぱり高校生の威厳は見せたいし、私は一念発起して課題を手伝う。


「えっと、妹ちゃんは全体的に文章問題が苦手傾向にあるかな。公式を当てはめればあとは間違わないけど、その過程でちょくちょくミスしてる。式の証明と連立方程式。ここら辺は要復習だね」


 俯瞰的に見て、妹ちゃんはかなり学力レベルが高かった。


 数学に関しては都内のどの学校も視野に入るほどだと太鼓判を押せる。苦手な分野で文章題を挙げたけど、ぶっちゃけ一番難問が多いとこだからってだけ。ちょっと見せて貰ったテストだと平均九十点は超えてる。


 優斗に似たのかな? だとしたら優斗は頭良いのかな? 

 最近はよく優斗のことが頭に浮かぶ。

 ご飯を食べている時は、この料理は優斗ならどうアレンジするかとか、クラスメイトと話している時も優斗だったらどう返すかとか、そんなことばかり。

 私の生活は侵略的外来生物、「最上優斗」に蝕まれつつあった。


「む、悔しいですが、参考になりました」

 

「ね、お姉ちゃんがいたから宿題早くおわったでしょー?」 


「宿題じゃありません。自習です」


「自習だなんて偉いね」


「受験生なので。とは言っても推薦になりそうなんですが」


 そう言ってまだ飽き足らず勉強机に向かう妹ちゃん。


 私はふと妹ちゃんの部屋を見渡す。中学三年生と聞いていたが、年頃の女の子にしては華がない。


 例えば写真だ。

 女子という生き物は写真を撮るのが大好きだ。友達との思い出だったり、可愛い、綺麗な、美味しそうなものだったりを共有したがる生き物。

 なのに、妹ちゃんの部屋にはそんな思い出がない。妹ちゃんは私と違うはずなのに。お外にたくさん行けるはずなのに。


「宿題終わってるなら、女子バナしてもいーじゃーん。ねーねー妹ちゃーん」


 私は妹ちゃんにしなだれかかってダルがらみする。

 私の手を面倒くさそうに払いのけて、妹ちゃんは訊ねる。


「はあ……猫さんは勉強しなくていいんですか?」


 猫さん?

 猫さんって私のこと?


「猫は猫でも紫奈って名前があるよ」


「紫奈さん。しな……しなもん?」


「妹ちゃん、私をマスコットキャラにしようとしてない?」


「ぷふっ……ごめんなさい! つい癖で」


 妹ちゃんは笑いを堪えながら謝る。

 どうやら親しみやすいように人にあだ名をつける癖があるらしい。

 ふとした笑みの中に、妹ちゃんの素顔が垣間見えた気がした。


「もー可愛いからいいけどさ。どうせならお姉ちゃんって呼んで欲しいな」


「お姉ちゃんは将来、兄さんと結婚する人のためにとっておいてます。だからダメです」


「じゃあ、優斗と結婚する!」


「そんな邪な想いで兄さんは渡せません!」


 いいなー優斗はこんな可愛い妹がいて。

 私も妹がいるんだけど、ちょっと……いや、かなり……私のことを嫌ってるんだよね。


「そもそも女子バナってなにを話すんですか?」


「色々あるよ。使ってるコスメとかさー、使ってるヘアブラシのメーカーとか。あ、妹ちゃんは癖がなさそうな髪だからブラッシングしないかな?」


 なんなら、今こうして駄弁ってるのも女子バナだ。

 女の子が集まって話せばなんでも女子バナ。男子禁制の園になるのだ。


「あとは気になってる男の子とかさ」


「……っ」


 妹ちゃんに訊ねると、妹ちゃんの顔が苦悶に歪んだ。

 私は会話のチョイスをミスったことに気づいた。


「あー、ごめん! 妹ちゃんは兄ラブだったよね! 愚問か!」


 私はとっさに話を修正する。

 妹ちゃんにとって、交友関係の話は触れたくないもの。部屋を見れば一目瞭然だ。気づくべきだったのに、私は無神経にずかずか入り込んでしまった。

 しかし、私の後悔をよそに、意外にも妹ちゃんは話に乗ってくれた。

 

「……中学二年生の時に付き合ってた男の子がいました」


「どんな男の子?」


「同じクラスで、同じ委員会に所属してた男の子です。向こうから告白されて、告白されたことなんか一度もなかったし、話してて楽しい男の子だったんでお付き合いしてみることになりました」


 中学生だから恋愛は難しいよね、わかる。

 私は黙って話を先に促すように仕向けつつ、先行きの不穏さを感じとっていた。


「交際は順調で、恋人らしいことはデートくらいしかしませんでしたけど、だんだんと私の方も恋愛感情が芽生えてきました。……ですが、その関係は唐突に終わりました」


 ここまでくると、もう私は察していた。

 こんなにも悲壮に話すのは、その結末が破局だということ。


「私と仲が良かった女の子と裏で付き合ってたんです」


 妹ちゃんは最悪の形で失恋をしたらしい。


「……兄さんがバイト漬けになっている理由は、たぶん私にあります」


 どうしてそこで優斗が? 

 私の疑問は、すぐ妹ちゃんが納得のいく形で説明してくれた。


「私に気を遣って、家にあまり居ないようにしてるんです。私、別れた時にたくさん兄さんに八つ当たりしました。兄さんのせいだって」


「あるあるだよね。どうしようもなくなって家族に八つ当たりするの。その日のお風呂かベッドで後悔するんだ」


 そんなふうに事態を楽観視していたのだが、最後に爆弾が投下された。


「……その子は兄さんが好きだったんです。兄さんにふられたから、たぶん腹いせに私の彼氏に手を出したんです」


 私はもう何も言えなくなった。

 車に轢かれて亡くなった猫の話を聞いているような気分だ。やるせない気持ちでいっぱいになる。


「たぶん妹ちゃんのせいじゃないよ。だって、すごい楽しそうだったもん」


 これはなんの気遣いでもない本心。

 今日はバイト先にお邪魔して、優斗の働きぶりを僅かながら観察していた。


 優斗が「銘露」で働くのはお小遣いのためでも、妹の贖罪のためでもない。あの店が好きなんだよ、きっと。


「優斗が料理好きなのは昔から?」


「不可抗力なんです。お父さんもお母さんも夜勤で家にいないし、いても夜勤明けで寝なくちゃならないしで。うちは祖父母と離れて暮らしてますから、必然と兄さんが料理を作る環境が出来上がって……」


 妹ちゃんは体を抱き寄せて、引き裂かれるような苦しみに必死に堪えていた。

 兄を責め立てたことを、家事を兄に任せていることを、後ろめたく思っているみたい。


「今は楽しく料理してるよ。いっつも試作品を食べさせられて困ってるんだよねー」


「兄さんから聞いてます。いつも屋上でご飯をせびってくる野良猫がいるって」


「……」


「……」


 しらーっと冷たい目で妹ちゃんは私を見る。

 なるほど。妹ちゃんの好感度が低かった理由は優斗のせいか。


「さっきから、兄さんの話ばっかりですね」


「妹ちゃんが優斗の話ばっかりするからじゃん」


「紫奈さんです」


「いやいや、妹ちゃんだよー」


 不毛な言い争いが続く。こうやって世界から戦争はなくならないのだ。

 

「紫奈さんって、兄さんのこと好きですよね?」


「あー、うん。まあ、嫌いな人の家には泊まらないでしょーふつう」


 妹ちゃんの問いかけは異性として優斗のことが好きなのかどうかだったが、私は優斗のことを好きだと答えた。

 

「……いつか、本当の意味で「お姉さん」になりそうですね」


 してやられた。

 最初に「気になる男の子」の話を促したのは私で、妹ちゃんの話で完全に恋愛方面に誘導されていた。


 策士策に溺れる。これ以上は何を言っても恥の上塗りになるだけだ。妹ちゃんめ、中々のやり手だね。


「……そうだね。もしそうなったら、幸せかもね」


 私は部屋の隅に向かって呟いた。


 幸運を呼ぶ、白川紫奈。


 私は朝川高校でそう呼ばれている。

 でも、私は本当に幸せにしたかった人を幸せにしたことがない。傷つけて、苦しめて、迷惑ばかりかけている。


 

 

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