第九話 先輩とお泊まり ②

 脱衣所で紫奈先輩が脱ぎ捨てた服を洗濯機に出す。

 異性の衣服と言っても、ぐちゃぐちゃに投げ捨てられた惨状を目の当たりにすれば興奮も冷める。ただ作業的に脱いだ服を回収するだけだ。


「ふぅ、やっぱ外から帰ったあとのシャワーが一番気持ちいい〜!」


 当の本人は呑気にシャワーを浴びている。

 俺が脱衣所に入っても気にせず、なんなら話しかけてくる。


「制服は洗ったばかりだから洗濯はしなくていいよ。下着だけお願い」


「わかりました」


 扉一枚を隔てた向こう側には裸の紫奈先輩がいる事実。

 衣類を何も身につけていない産まれたままの姿を想像して、ちょっとした足音や肌の擦れる音すらも意識してしまうのは、やはりどう足掻いても男子高校生の性なのだろうか。


 手に持ったパンツが目に入る。つい数分前まで紫奈先輩が履いていたものだ。今日は水色柄。


「……下着をこっそり盗むのは論外だけど、その他諸々の痴漢犯罪行為は禁止」


 まるで心を見透かしたような一言。


「先生、匂いを嗅ぐのは犯罪ですか?」


「アウトに決まってんじゃん! 逆になんでセーフだと思ったの?」


「えー」


「えーじゃない」


 俺は惜しみつつ下着を洗濯機に放り込んだ。

 ごうんごうんとドラム式の洗濯機が回る、回る。淡々と繰り返される動作を見ていると心頭滅却されていくような。心が無心になる。


「先輩」


「んー」


「どうして屋上にずっといるんですか?」


 心が無になったからこそ、そんな質問が出た。


「屋上は私の居場所なんだよ。今は優斗が来るようになったけど、昔は誰も来なくて、だから、一人になりたい時によく行くんだ」


 屋上は一人になるには絶好のスポット。

 入学してから二か月が経つが、紫奈先輩以外に人はほとんど来ないし、来たとしても広い屋上なら人が密集しないから、息詰まるような苦しさはない。知る人ぞ知る楽園ともいえる場所だ。


「優斗と初めて出会ったのは部活勧誘があった時だね。二年生になると部活の更新があってさ、クラスメイトに『この機会に部活入らない?』って誘われるのが面倒で屋上に逃げてたんだ」


 部活動は二年生の初めに更新が必要だ。

 同じ部活に引き続き加入届を出す人がほとんどだが、稀に一年間で合わないなと悟って違う部活に入る人も、そのまま無所属になる人もいるらしい。

 逆に無所属だった人が友人からの誘いで、新しく部活に入るケースもあるとのことだ。

 

「部活には入らないんですか?」


「今日は質問ばっかだねー」 


「先輩とこんなに長く一緒に居られる機会なんてそうそうないですから」


 紫奈先輩とは屋上でしか会わない。

 昼休みの五十分をもう何回も繰り返したが、紫奈先輩については知っていることの方が少なかった。


 嫌いな食べ物はトマト、なす、にんじん、ピーマン、ごぼう、しょうが、鷹の爪、お酢、納豆、おくら。

 運動が得意だけど、体が弱い。家庭環境が複雑。母親と喧嘩している。履いているパンツは黒、白、ピンク、ベージュ、水色。


 挙げてみると結構多かった。でも、白川紫奈を構成する情報の一パーセントにも満たない。


「俺もクラスメイトから部活に誘われました。運動が得意な先輩のことですから、きっと沢山の運動部から声がかかったんでしょうね」


「まあね」


「部活勧誘が嫌なら、適当に緩い部活に所属して幽霊部員になれば誘われなくていいのに」


 紫奈先輩は正直すぎる。

 男に言い寄られる話を聞いて思ったが、偽の彼氏を作ったり、嘘でも部活に入っているとは言わない。

 俺は、紫奈先輩が嘘を言っているところを見たことがなかった。パンツの色さえも、紫奈先輩は正直に報告する。


「そうなんだけどさ、私ってば意外と不器用なもので」 


「そういうところが先輩の良いとこなんですけどね」


 その清廉潔白さが、紫奈先輩の一番良いところな気がした。

 不真面目で、他力本願で、どうしようもないほど面倒くさがり屋だけど、捻くれてない。


「はっきり言わないでよ。こっちが恥ずかしい」


 先輩はシャワーヘッドをこちらに向ける。

 照れ隠しの激しい水圧がパネルを叩き、漏れ出た水が下のマットを濡らす。


「部活か。んー、君一人ならまだしも、部活ってたしか最低何人はいないとダメとか決まってるんでしょ?」


「朝川高校はボーダーが四人ですね」


 運動部だと競技可能人数+ベンチとか、もっと厳しい制約があるが、文化部は規則が緩く人数が集まらなくても、同好会として身内で活動しているところも多い。


「私と君、それで顧問の先生を入れて後一人は……」


「顧問の先生は入りません」


「え~」


 紫奈先輩は落胆した声を出す。

 シャワーの音が止み、お風呂に体を沈める音が聞こえた。


「そもそも、なに部にするの? 優斗は料理ができるから『家庭科部』とか?」


 紫奈先輩は水面をパシャパシャ叩いて言う。


「屋上部とかどうですか?」


「屋上部?」


「屋上で日向ぼっこする部活です」


「……絶対に審査通らないよね?」


「やってみないとわかりません」


「やらなくてもわかるよ! 私が先生だったら絶対に許可しないよ、そんな部活!」


「むしろ紫奈先輩が先生だったら、喜んで顧問になりそうですけどね」


「それもそうだ。じゃあ、まともな先生なら絶対に許可しない」


「……自分がまともじゃない自覚はあったんですね。でも、人除けに部活という手段はありじゃないですか?」


「うーん。やっぱり部活の指針とは真逆なのがねぇ。部活ってみんなで集まって青春わっしょいするところでしょ?」


「まあ、たしかにそんなイメージはありますね」


「それに私は料理できないよ。自慢じゃないけど、カップ麺すら作ったことないし」


「本当に自慢にならないですね。でも、だからこそじゃないですか」


 部活動はなにも得意なことを突き詰めるだけではない。

 根本的な部活動の意義は他人と強調することで、人間としての成長を目指すというものだ。


「できないことをできるようにするのも、部活の目的だと思いますよ」


「それだ!」


 紫奈先輩は折りたたみ式の扉を開けて叫んだ。

 濡れた髪をぶんぶんと振りまき、水飛沫が飛んでくる。


「うわっ! 先輩! そのまま出てこないでください!」


 俺は咄嗟に目を伏せる。

 慌てて棚から大きめのバスタオルを取りだして、紫奈先輩に手渡した。羞恥心があるのかないのか、はっきりしてくれ。


「決めた! 私は部活を作るよ!」


 紫奈先輩はバスタオルを受け取ると、そう宣言する。


「屋上部! 本来は絶対にできない屋上の独占を二人で成し遂げようよ!」


 できないことをできるようにって、そういう意味で言ったつもりじゃないのだが、無気力な先輩が初めて見せたやる気を無下にするわけにはいかない。

 なんとか先輩のやる気を出そうと奮起したのだが、それに水を差すように脱衣所の扉が開いた。


「兄さん、何してるんですか?」


「あ、亜弥」


 洗面所にスキンケアをしにきた亜弥は、バスタオル一枚の紫奈先輩と俺を見て、冷たい視線を向ける。


「いや……あの、これは……」


「女の人を家に連れ込んだのって、こういうことするためだったんだ……っ、最低。二度と兄を名乗らないで」



 

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