第八話 先輩とお泊まり ①

 結局、俺は紫奈先輩を家に泊めることにした。

 閑静な住宅街を歩いて、その道中でコンビニに寄って紫奈先輩は宿泊の準備を済ませた。


「コンビニで必要なものとか買ったけど、足りるかな?」

 

「心配だったら、一回家に帰って身支度を整えてもいいんですよ」


「いやあ、今は帰りたくないんだよ」


「さいですか」


 事情があるのだろうな。間違いなく。

 しかも他者が入って行きづらい家庭的な事情が。

 紫奈先輩の体に傷はないし、DVとかは考えずらいが、服に隠れて見えない箇所に傷をつけるのが加害者の常套手段だ。


「先輩、家に帰ったら一回脱いでくれませんか?」


「変態」


 紫奈先輩はジト目を向ける。

 これまた言葉のあやが出てしまったようだ。


「語弊があるようなので言いますけど、ただ単純に先輩の体を確認したいだけですよ?」


「語弊もへったくれもない変態だよ! おまわりさーん!」


 とまあ、じゃれ合いはさておき、


「先輩」


「ん?」


「俺の家庭事情は教えたんで、先輩のも教えてください。厄介なことになる前に」


 紫奈先輩の話を聞かないかぎりは泊めるわけにはいかない。親御さんと揉めているなら、その内実を包み隠さず聞いておく必要があった。こればかりは何も知らない、関与しないわけにはいかない。


 街灯の光が俺たちの影を長く伸ばし、重なる。

 沈黙の間が辛かった。無神経な言葉を何度も後悔した。聞くにしてももっとまともな聞き方があっただろう、と。


「……私のお母さんが再婚したんだ」


 先輩は喉につかえさせることなく、さらりと言ってのけた。


「それは……おめでとうございます?」


 俺は素直に祝福すべきか逡巡した。

 紫奈先輩の表情は芳しくなかったからだ。


「黙ってたの。私にも、あの人にも」


「あの人って言うのは再婚相手のことですか?」


「うん、そう。白川さん」


 その呼称には父親とは思えぬ距離感があった。

 紫奈先輩が「白川」の名字で呼ばれることを嫌がったのは、再婚相手の名字だったからだろう。


「黙っていたというのは……」


「私には再婚することを。あの人には娘がいることを」


「……あー、」


 紫奈先輩のお母さんは特大のしくじりをかましたらしい。


「私がいると家庭が上手く回らないんだ」


 つまるところ、紫奈先輩がいることで起きた家族問題か。本人はなにも悪くないのに災難だな。


「実は白川さんにも娘がいるんだけど、白川さんはちゃんと言ってたみたいで……」


「だったら黙っていたお母さんが悪いですよ」


「そうなんだよねぇ……」

 

 紫奈先輩は行き詰まったようで、ほとほと困り果てた声を絞る。


「なんで私のこと隠したんだろうって私、お母さんに詰め寄ったんだよね。だって正直に言えばよかったじゃん。なんで私が後ろめたいものみたいに扱われてるのって、それでお母さんと喧嘩した」


 俺も紫奈先輩と同じ疑問を抱いた。

 再婚する上で、連れ子は障害となるケースはたしかにある。あんまりこういう言い方はしたくないが。

 でも、相手側にも娘がいたんならお互い様だ。素直に話せばよかったんじゃないか?


「どうやらお母さん、ときどき私のこと忘れかけてるみたいなんだ」


「まさか……紫奈先輩と深く関わると、だんだん記憶から紫奈先輩の部分だけが抹消されるとか?」


 紫奈先輩はちょっぴり不思議な存在。

 なんだって、ありえない話ではない。例えば先輩が宇宙人だったとしても、UMAだったとしても、超能力者だったとしても。


「これはそんな不可思議な現象とかじゃないよ。もっと科学的なもの」


 紫奈先輩は俺の荒唐無稽な言葉に肩をすくめる。


「若年性アルツハイマー。当時は病状に気づけてなかったけど、たぶんそれが原因でお父さんと離婚した」

 

 記憶の混濁と、意識の不鮮明さ。それが夫婦に軋轢を生んだ。

 一番身近な紫奈先輩のことを忘れかけているということは、病状はかなり危うそうだ。


 先輩は本当に野良猫なんだ。

 幼い頃から体が弱くて入院がちで、友達が一人もいない。家では家族からのけ者にされている。

 帰る場所を失って、放浪するしかないんだ。


 


「兄さん、隣にいるのは誰?」


 自宅に帰るなり、厳格な声が飛んだ。


 一個下の妹、亜弥あやだ。


 亜弥は俺に似ても似つかないほどの美人で、中学三年生にしてはしっかりしてる方だと思う。


「野良猫だ。ちょっとデカくて重くて、二足歩行で歩いて、人の言葉を喋れるけど」


 俺が先輩を流し目で見ると、先輩はにゃーと鳴いた。


「ずいぶんと利口な猫だね」


「だろ? 箸も扱えるんだぞ、な?」


「任せてください、ご主人様!」


 紫奈先輩は勢いよく手を上げて、箸の持ち方を実践して見せた。亜弥の視線がさらに鋭くなる。俺たちは玄関の上がり框すら踏ませて貰えないでいた。

 

「……この野良猫をどうするの? そこら辺に捨てておく?」


「そんなかわいそうなこと言わないで、一日だけだから我慢してくれ」


「一日って、まさか泊めるの?」


「ああ、うん。今日はもう遅いし、明日は学校もあるし」


 俺は上目遣いで亜弥のご機嫌を伺う。

 両親がほとんど帰ってこないこの家では亜弥が主人みたいなものだった。


「……わかった。一日だけだよ」


 亜弥は軽くため息を吐くと、渋々だが玄関へと通してくれた。

 俺は紫奈先輩を伴って二階へあがる。拾ってきた野良猫の居住場所を作らないといけない。


「兄さん、夕飯なんだけど……」


 二階の階段を半分くらい踏んだ踊り場のところで、後ろから声がかかった。

 亜弥に言われて夕飯を作らなければいけないことを思い出す。いつもは帰ってすぐ作るのに、紫奈先輩のせいで失念していた。慌てて階段を下りる。


「ごめん、忘れてた。今すぐ作る」


「いやそうじゃなくて……」


 亜弥は困ったように眉を寄せる。


「兄さんにばっかり頼るの悪いから、自分で作って食べた」


 亜弥が、自分で? 

 思わず、目を見張った。


「……出来た妹さんだねぇ」


 紫奈先輩はうんうんと頷く。


「亜弥は自慢の妹です」


「ちょっと、恥ずかしいからやめてよ」


 俺は亜弥の頭を撫でる。

 撫でられた亜弥は恥ずかしそうに部屋着のフードを深くかぶった。


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