第七話 バイト先にやってきた先輩 ②

「先輩、どうしてここに?」


 お冷やとおしぼり、それとメニューを持って先輩の座る席に向かった。

 カウンター席の一番右。厚く彫った細工の窓ガラスに午後の光が差し込め、紫奈先輩の白い髪を照らしていた。


「どうしたもこうしたも、お客様よ。私」


 紫奈先輩はトントンと木製のカウンターを叩き、不満を溢す。


「ご注文は?」


「優斗の手料理」


「冷やかしなら帰ってください」


「へー、優斗の手料理は冷やかしなんだ」


 その言葉に俺は少しムッとする。


「……コーヒーセット、AかBのどっちにします?」


「優斗のオススメで」


「ならBですね」


 ウチの看板メニューであるコーヒーセット。


 店主特製のブレンドコーヒーにトースト(あんバター)と目玉焼き、自家製ドレッシングのサラダがついたのがAセットで、同じコーヒーにサンドイッチとスープついているのがBセットだ。どちらも五百円で、ご飯ものなら最安値となっている。


 俺の料理が食べたいと言うならBだろう。Aは高確率で後輩が作るし、なんなら料理を普段全くしないマスターでも作れる。


「少々お待ちを」


 俺はキッチンに戻って料理を作る。

 と言ってもスープは作り置きを保温してある。サンドイッチも具材を切って挟むだけだ。一番時間がかかるのはマスターが作るコーヒーだろう。


 こぽこぽと泡立つコーヒーメーカーを眺めつつ、俺は紫奈先輩を眺めていた。

 相変わらず黙っていれば絵になる人だ。だらしなく机に突っ伏す様もどこか超然としていて、この世の理の外にいる神様みたいに思えてくる。


「最上さん、あの人と親しげでしたけど……」


 食器を洗浄していた若菜が小声で訊ねる。


「あの人がさっき話してた人」


「美人ですね」


「美人って要素が霞むくらい癖強めな人だから気をつけろよ」


 若菜は袖を捲り、じゃぶじゃぶと水泡の中に綺麗な手を突っ込んでいた。自動食器洗浄機があればいいのだが、「銘露」は六十代のマスターが個人で経営の小さな店だから導入するのは難しい。


 宇田川にある方のスペイン坂、ごちゃごちゃした路地に隠れ潜むようにあるこの店は、SNSにも記載されていない。広がったのは口コミのおかげだ。


「最上君、コーヒーできたよ」


 マスターに呼ばれて意識が戻ってくる。

 つい俺は紫奈先輩に見惚れていた。はっとして頭を下げる。


「……あ、すみません、マスター」


「大丈夫だよ。どうせこの時間のウェイターは暇だしね」

 

 そんなどこまでも寛容なマスターの手は忙しく動いている。常連さんは相も変わらずマスターのコーヒーに首ったけだ。

 俺はトレイにサンドイッチとコーヒー、コンソメスープを乗せてキッチンを出た。


「お待たせしました。コーヒーセットのBです」


「待ってたよ。遅い」


「当店はすべて手作りとなってますので、お時間を頂いております」


「ずっと私のこと見てた癖に。私って男子から熱い目線で見られることが多いからわかるんだよ?」

 

 紫奈先輩はそう言ってサンドイッチを齧る。


「……お、美味しい。このサンドイッチ、この前のとはまた違うね」


 先輩は卵を頬にくっつけて、満面の笑み。

 コーヒーセットのBについてくるサンドイッチは昔ながらの卵サンドだ。


「この前のはまだ試作の段階だったので、メニューにはありません」


「じゃあ、私がこの世で一番最初に君の新作を食べたお客さんになるんだ」


「妹を入れると二番目ですね」


「そこは嘘でも一番って言うの。相変わらず細かいね、優斗は」


 紫奈先輩は頬を膨らませると、客席を見渡した。

 

「それにしても、優斗の料理をこうして味わうのには最適な空間だよね、ここ。落ち着いていて、かと言って暗いわけじゃない。なんか屋上と似た匂いがする」


「大袈裟ですよ」


「でも、めちゃくちゃ評判らしいじゃん。クラスメイトから聞いたけど、最近めっちゃ流行ってる有名店なんでしょ?」


「それはマスターのコーヒーのおかげです。ね?」


 俺はカウンターの奥でコーヒー豆を吟味している白髪が混じった壮麗の男性に声をかける。

 マスターは彫の深い、人生経験の多さに比例して皺が刻まれたかのような顔を崩す。


「いや、最上君のおかげだよ。ウチがこんなに繁盛してるのは君が来てからだ。ぶっちゃけコーヒーの良し悪しなんてほとんどの人はわかんないんだし」


「……ぶっちゃけすぎでしょ」


 まあ、俺もあんまりわからんけど。

 ただマスターのコーヒーは美味しいと思う。……美味しいというか落ち着く。それが情勢目まぐるしい社会を生きる大人には刺さるのだろう。


「うん、たしかにここのコーヒーも美味しいね。思わぬ収穫だ」


 紫奈先輩はコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて、ほう、と一息つく。

 砂糖の砂利とミルクの泥で濁ったカップを見つめ、


「……なんだか、自分の居場所のように感じる」


 そう呟いた。


「いや、ウチのお店は俺と若菜のものです」


 俺はそこだけは断固譲らなかった。カウンターの奥から「いやいや、私のなんだけど……」と困ったような呟きが聞こえる。


「んー、そういえば可愛い女の子がいるね。彼女?」


 紫奈先輩の視線がカウンターにいる若菜に向けられた。若菜は堪らずカウンターから飛び出して叫ぶ。


「あの、ウチは間に合ってますから!」


「若菜、この人は怪しげな勧誘とかじゃないから撃退しようとしなくていいぞ」


「え、じゃあ普通に友達なんですか?」


「むしろ、普通以外の友達ってなんだよ」


 愕然とする若菜に言う。


「で、この子は誰なのかな?」


 紫奈先輩の質問に、若菜が一歩前に進み出た。


「本条若菜です。最上さんとは中学が同じで」


「若菜ちゃんか、可愛い名前だね。てか可愛いね。LINEやってる?」


「え、あ、はい……まあ、一応は」


「じゃあお姉さんとLINE交換しよ……って、痛い! ちょっと優斗!」


「従業員に手を出さないで貰えますか?」


 俺は紫奈先輩の頭に手刀を落として言う。

 あと若菜も女同士だからって気軽にスマホ出すな。トラブルの種になるぞ。


「にしても同い年の女の子かー、友達いないって言ってたくせに慕われてるじゃん」


 紫奈先輩はあっという間にコーヒーセットを完食し、お皿にはパンの残り滓だけが散らばっていた。

 気を利かせた若菜がお皿を下げてくれる。やはりバイト先で持つべきは優秀な同僚だ。

 

「妹経由で知り合っただけなんで、俺に人望があるかは議論が必要ですね」


「そっか。優斗って妹ちゃんがいるんだったね」


 紫奈先輩は意味ありげに呟く。


「妹ちゃんのお弁当も優斗が作ってるって言ってたけど、両親とは離れて暮らしてるの?」


「いえ、そういうわけじゃなくて、共働きなのでほとんど家に帰って来ないだけです」


「両親は普段家にいない、と」


「……泥棒にでも入るんですか?」


「私も慎重に言葉を選んで聞いてるんだよ。私が誰かに気を配るって滅多にないんだからね」


「そんな変な角度からツンデレされましても」


 というか、話がなんとなく見えてきた。

 先輩は俺の料理を食べに来るのが目的ではないらしい。 


「先輩は俺になんの用事があって来たんですか?」


「……君さ、本当に名探偵だったりする?」


「いや、先輩が露骨過ぎるだけです」


 紫奈先輩はコーヒーを口に含み、苦い顔をする。

 冷めたことで苦味が増したコーヒーに砂糖とクリームをさらに追加する。もうこれじゃあカフェオレだ。


「……優斗にしか頼れそうにないんだ」


 紫奈先輩はそう一拍置いて、俺の心情に訴えかける。


「私を優斗の家に泊めてくれる?」


「だめっ! だめです!」


 第一声を上げたのは若菜だった。


「交際関係にない男女が、——いえ、たとえ交際関係にあっても! 未成年の男女が一つ屋根の下で暮らすなんてふしだらです!」


 静やかな店内に若菜の金切り声が響き渡った。

 常連客は趣深そうに会話の動向を、その終着点を探っている。いつもは嫁さんに振り回される世帯持ちではあるが、他人がこういう修羅場に巻き込まれているのを見るぶんには楽しいようだ。


「ふしだらって、別にえっちなことするわけじゃないよ?」


「当たり前です!」


 二人の会話に俺が入る隙なんかなかった。

 ただ常連の同情する視線だけが集まっていく。


「一日だけでいいの。たぶん、一日経ったら元に戻るだろうし」


 紫奈先輩は紫奈先輩で、らしからぬ切実さを全面に出してお願いをしてきた。

 さてはて、どうしたものか。なにやら訳ありそうだしな。

 

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