第六話 バイト先にやってきた先輩 ①

 五月十四日。日曜日。


 休日の俺はバイトに勤しむだけの灰色な生活を送っていた。バイト先は学校近くにあるコーヒーショップ、「めい」。


 店内には観賞用植物が所狭しと並べられ、壁一面のウォールパネルが、フィトンチッドを得られそうな森林空間を作り出していた。名前の通り、迷路みたいな場所だ。


「最上君、ランチ二つね」


「わかりました」


 この店はあくまでもコーヒーショップであり、マスター手製のコーヒーがこの店の看板なのだが、一応、軽食も提供している。……しているというか、することになったのだ。


「ほんとだ! ここの料理、すっごく美味しい!」


「私も知り合いに紹介されてさー、コスパ良くて最高なのよ」


 軽食を提供するようになるまで、この店に来る客のほとんどが30代以上の男性客だったのだが、今では大学生から社会人になりたての女性が多い。


 特にランチが提供される週末は、ほぼ女性客で一杯になる。

 常連さんにとっては足を運びづらい店になってしまったかなと申し訳なく思いつつも、売り上げは好調なのと店長が喜んでいるのでこの路線は続けていくことになるだろう。


「ごちそうさま!」


「美味しかったよ!」


「ありがとうございます。またのご来店をお待ちしております」


 ランチタイムが過ぎ去ると、一気に女性客の客足が乏しくなった。

 代わりにこの時間はマスターのコーヒーが目当ての常連客が増え、マスターが忙しくなる時間だ。見事に棲み分けができている。


「今日はなんだか嬉しそうですね」


 暇になったからか、隣にいるバイト仲間が話しかけてきた。


 彼女の名前は本条ほんじょう若菜わかな


 俺の幼馴染で、高校は別々の学校に通うことになったが、こうして今も交流がある数少ない友人だ。


「若菜は偉いな」


「急に撫でないでください!」


 同じ年齢ではあるが、根っからの後輩気質で気が利く上に、あどけなさを残す容姿をしているのだからつい可愛がってしまうのも必然だ。


「てか、よくわかるな」


「幼馴染の観察眼を舐めないでください! 最上さんのことならなんでも知ってますよ!」


 どんな特殊能力だよ、とツッコミたくはなるが、言われてみれば納得だ。

 今日は心が晴れやかで波一つない。いつも週末の日曜日は、何一つ手をつけてない学校の課題に追われることで心労が絶えないというのに、今日はまったく苦に感じていなかった。


「なにか良いことでもあったんですか?」


「友達ができたんだよ」


「友達、ですか?」


 若菜はこわばった声を上げる。


「最上さんは生涯独り身だとか言ってませんでしたっけ?」


「そこまで深刻なことは言ってねぇよ。忙しくて恋愛とかしてる暇ないわ的なことは言ったけど」


「で、どんな人なんですか?」


「……猫だな」


「最上さん……そんなになるまで自分を追い詰めて……」


「……可哀想なものを見る目はやめろ」


 まあ、ようやく友達ができたとか言って、その友達が猫なんて言われればこんな反応にもなるだろう。


「その猫はメスですか? オスですか?」


「メスだ。ご飯をあげたら懐かれた」


「猫に人間の食べ物あげるのはよくないですよ。食べられないものがいっぱいあるんですから」


 そういえば紫奈先輩も好き嫌いが多かったな。

 俺はコーヒーカップを洗いながら明日の弁当のことを考える。


「ところで猫の種類はなんなんです?」


「……人間かな」


「——は? ニンゲン、なんて猫種ありましたっけ?」


「いやいや、ヒューマン。れっきとした人間だよ。俺たちと同じ」


「えぇっ!? 聞いてないですよ! 猫じゃないんですか!?」


「半分、いや八割くらいは猫だ。だから分類上は人間でも猫だ」


「いや生物的に人間なら人間ですって! 最上さんはその女の人に体を売ったんですか!?」


「人聞き悪いな。いやまあ、ご飯あげるだけでいいなら安い友情かなと」


 正直に言ってしまえば、ちゃんと友人するよりも屋上にいる間だけとはっきりしていたほうが楽だ。


「ほらほら、そこの二人。手が空いてるならお皿下げちゃって」


「あ、はーい!」


 若菜はパタパタとトレイを持ってキッチンを出る。

 その際、冷たい口調で、


「……最上さんはその女のご飯係にされてるだけですよ。今すぐ縁を切るべきです」


 そう言い残した。


「……ぶっちゃけ、飯係でもいいんだけどな」


 人間関係は複雑怪奇で厄介。

 目に見えない地雷がいたるところに潜んでいて、一度踏み抜くと色んなところが誘爆して大惨事になる。

 だけど、飯係の役割は単純だ。

 なんたって、ただご飯を与えるだけでいいのだからわかりやすい。


 そんなことを考えていると、


 ——カランコロンと店の扉についたドアベルが鳴った。


「おっ、ほんとにここでバイトしてるんだ」


 さらりと空気に溶け込むような白髪が揺れた。


 ……紫奈先輩だ。


 紫奈先輩は休日なのに制服を着ていて、キッチンから出て案内にきた俺を見とめると顔を綻ばせた。


「お腹減った。なにか食べさせて」

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