第四話 先輩と放課後
放課後、今日はたまたまバイトが休みになったので屋上に向かった。
この時間帯の校内は静かな空気に満ちていて、吹奏楽部の演奏と運動部のかけ声だけが遠くから響いている。
俺が歩いている職員室前の廊下は閑散としていた。千人の息遣いが聞こえてくるような廊下も放課となってからは、どこまでも膨張しているように錯覚する。朝高が広いのは知ってたけど、こんなに広かったんだな。
屋上へと続く階段を上り、ドアノブに手をかける。
「お、優斗だ。放課後になんて珍しいね」
ペントハウスの扉を開けると、今日は上からではなく横から声が聞こえた。振り向くと、紫奈先輩の整った顔が間近にまで迫っていた。
「うわっ」
「なにその反応ー? まるで私がおばけみたいじゃん」
紫奈先輩は冗談っぽく笑う。
一方で俺は深刻な顔をして俯いた。
「ええ、紫奈先輩はつい一時間前に……心臓発作で……」
「え、うそ、じゃあ……私は……優斗のご飯をまだ全然堪能できてないのに……」
「早く成仏してください。いくらお腹が空いたからって死んでまで……」
俺は空腹に彷徨う亡霊に告げた。
紫奈先輩はため息を吐く。
「……茶番はもういい?」
「せめて成仏するシーンまで付き合ってくださいよ。光の粒子になって消えるまでがお約束でしょ」
「いや物理的に無理だから」
紫奈先輩は真顔で言う。
俺はこほん、と咳ばらいをして。
「先輩、午後の授業サボりましたね?」
「え、」
「クラスメイトから先輩が屋上にいたと聞きました」
「あー」
やはり真偽を確かめるまでもなかった。
こうやってわかりやすいのも、この人の良いところだ。もっとも本人にとっては悪いように働いているが。
「あ、あれだよ。君がサボらずちゃんと授業に出席してるかなって空高く見守っていたんだよ!」
「それで先輩がサボっちゃ本末転倒じゃないですか」
紫奈先輩はしゅん、と体を縮こまらせる。
こっちが悪者みたいになるので、この辺で紫奈先輩を言い詰めようとするのはやめておこう。
「あとついでに先輩のパンツの色も聞かれたので白だと答えておきました」
「いや今日はピンク! 誤情報を流すな!」
「そうなんですね」
今日はピンク色なのか。
俺は紫奈先輩のスカートに目線を送る。
「あっ! 待って! 今の聞かなかったことにして!」
自分の失言にようやく気づいた紫奈先輩は、顔を真っ赤にして訂正するが、
「もう遅いです。ちゃんと聞きました」
「っ……まあいいよ。どうせ優斗にはパンツ盗み見られてるし」
「先輩が見せびらかしたんですよ」
「それだと私が痴女みたいじゃん」
「違うんですか?」
「違うよ!」
紫奈先輩は十分に痴女であるのだが、本人にその自覚はなかったらしい。
「で、今日はまたどうしてこんな時間に屋上に来たの?」
「バイトが急遽休みになったからです」
「そんなこと言って、ほんとはサボりなんじゃないのー?」
「先輩と一緒にしないでください」
俺は紫奈先輩と違って、無断欠席はしない。
まあ、紫奈先輩も無断ではないのだろうが。
「店長の腰痛が悪化したみたいで、昼一杯で店を閉めることになったらしいです。同じバイト先の子から連絡が回ってきました」
店長は一年ほど前にヘルニアの手術を行ったと聞いていたが、その後遺症なのか最近になってまた腰痛が悪化してきてるらしい。
個人経営の小さなお店だし、店長の裁量でいくらでもなるのだが、それはそうと体調が心配だ。
腰痛に良い食べ物ってなにかあるのだろうか。
ヘルニアは骨からと言うし、カルシウムが摂れる食べ物を作って差し入れしようかな。
「じゃあ、今日は私専属の料理人になってくれるってことなんだね?」
「……先輩の面倒は見ませんよ。もうお昼ご飯はあげたじゃないですか」
「いやいや、交渉内容は『毎日私にご飯を献上すること』だよ。一日一回だなんて契約書には書いてありませーん」
「屁理屈ですね。契約書なんて作ってないでしょうに」
「あるよ! ほらこれ!」
紫奈先輩は紙切れを制服のポケットから出した。
小さなポケットに押し込んでいたせいでくしゃくしゃになっている。
「プリントの裏って……しかも手書きだし、字汚いし」
「ちゃんとサインも書いてあるよ!」
紫奈先輩が指差したのはプリントの右下。
ミミズが這いずり回った後みたいなくねくねした文字。かろうじて「shina」と読める。
「これ、もしかしてアイドルとかのサインを真似て考えたんじゃ……」
いくら紫奈先輩でも、そこまでバカなことはしないだろう。
「そ。いつか私がビッグになったらプレミア価格つくよ!」
想像を絶するバカだった。
「あのですね。公的な書類で使うサインってのは、ちゃんとしたものじゃないと役所に突っぱねられますよ」
「でも、本人だってわかるよ?」
「こんなバカは紫奈先輩しかいないですもんね」
よれよれになったプリントの皺に指を添わせる。
気づいたのだが、最初は授業プリントなのかなと思っていたそれは処方箋だった。
「ひとまず契約書はこちらで預かっておきます」
ぐうぅ、と紫奈先輩のお腹が鳴る。
体育で走ったせいか、俺もお腹が空いていた。
「……お腹空いたんなら、外に食べに行きますか?」
「優斗のご飯は?」
「昼休みに先輩が平らげたじゃないですか」
「えー、じゃあもうないの?」
「ありません」
無慈悲な現実に、紫奈先輩のお腹はぐぅぅ……といじらしく鳴き声を上げた。
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