第二話 先輩と肩を並べて

 屋上の扉を開くと、休み時間の慌ただしい喧騒が熱波のように広がった。


 むわっと、振り撒いた制汗スプレーとか、内履きの臭いとかが混ざった変な匂いが蔓延してる。

 俺は思わず鼻を塞いだ。嗅いでて嫌な匂いじゃないんだが、生理的な拒否反応を呼び起こすものだ。具合が悪くなるタイプの匂い。


「うへえ、二年生棟から三年生棟まで歩くのだるいー」


「はいはい、俺に体重を預けてこないでください。重いです」


「女の子に重いは禁句」


「汗臭いのでやめてください」


「臭いはもっとダメー」


 廊下で移動教室に向かう生徒の団体にさりげなく合流した。

 二人きりで歩くのが恥ずかしかったのもあるが、流れに沿ってると人にぶつからなくて済む。


「人の波に溺れる〜」


 うちの高校―公立朝川高等学校は生徒数が多い。一般的にマンモス校と呼ばれるような学校だ。


 生徒人数は千二百六十七人。入学式の全校集会で校長先生が何度も口にしていたから覚えている。


 ちなみにうちの校長先生はみんながイメージするような校長像そのままで、日々の飲み会ででっぷりと肥えた腹に頭の頭頂部がバーコードみたいに禿げている。


「先輩、次の授業は何ですか?」


「こっちは政経だった……はず」


「ちゃんと覚えててくださいよ」


「だって、私の中での午後のスケジュールはずっと屋上でお昼寝で埋まってたんだよ」


「そんなふざけたスケジュールは今日をもって廃止です」


 もしかして紫奈先輩って、ずっと屋上にいるのだろうか。

 最初に会った時もまるで家みたいにくつろいでたし、俺が想像しているよりもずっと屋上歴が長いのかも。


「こっちは次が体育なんで、先輩と同じ経路ですね」


 一緒に行きましょうではなく、同じ経路である事実を伝える。

 紫奈先輩を攻略する場合は適切な距離感を保ち続けなければならない。


「だね。じゃ、途中までは一緒になるのか」


 紫奈先輩とは屋上以外では話したことがないから、新鮮な気分だった。

 出会ったばかりで日は浅いし、まだ接点が少ないのは当然なのだが、なんとなく紫奈先輩とは屋上だけの関係のまま終わると思っていた。


「ところで、優斗は運動できるの?」


 次の授業が体育だと言ったので、先輩がそう訊ねてくる。


「中学の時のスポーツテストの成績はいつも真ん中かそれよりちょっと上くらいで、一番良かった反復横跳びが10点取れたぐらいですね」


「反復横跳びか。あれってさ、測ってなんの意味があるんだろう?」


「俺の自信を打ち砕かないでくれませんか!?」


 一番得意だと胸を張った矢先に「それって何の意味があるの?」と返されると流石に落ち込む。


 俺はまだ一年生で文理の選択が終わってないからわからないが、感覚的には理系なのに現代国語で良い点数をとった時みたいなものだろうか。「でも君って理系でしょ?」みたいな。


「あとは、料理してるからか握力はよかったですね」


「料理関係あるの?」


「ハンバーグを作るときにボウルにひき肉を入れて混ぜる作業あるじゃないですか? あれで結構掌を使うんですよ」


「へえー」


 興味無さそうに相槌を打つ。

 紫奈先輩の反応はわかりやすい。お世辞とか取り繕いの言葉とかなしに、正直にものを言ってくれる。ありがたいと思っていた矢先、紫奈先輩らしい気まぐれが発動した。


「握ってみて」


「え?」


「ほら、手」


 紫奈先輩は早く手を出せと急かす。

 俺の手とは違う細長い手。俺のは料理ばかりしているせいか、厚ぼったくて先が丸い。


 努力の証だと誇るべき俺の手は、紫奈先輩のすべすべした工芸品みたいな手に比べて、図工の授業レベルのハリボテにしか見えなかった。

 

「はい、じゃあ力込めて」


「んー!」


 俺は全力を振り絞る。

 血管が浮き出るくらい。紫奈先輩の手がやや赤らむ。


「それで全力?」


 だけど紫奈先輩は涼しい顔。

 俺は悔しくなってもうやぶれかぶれに力を込める。だけど紫奈先輩の表情を崩せないと悟って、 


「は、はい」


 大人しく降参した。


「……えい」


「っぐあ」


 お返しと言わんばかりに紫奈先輩は手に力を注ぐ。俺は首を絞められたアヒルのような声を出した。


「よわよわだねー」


 悔しいが、なにも言い返せない。


「……なら、紫奈先輩のスポーツテストの成績はどうなんですか?」


「ふふん、実は毎年表彰されてるんだよ」


「嘘だ」


 ありえない。屋上でぐうたらしてるだけの先輩が、校内でもトップの人しか貰えない賞状を貰ってるなんて……


「ほら、証拠」


 紫奈先輩が見せてきたスマホの画像には、たしかに賞状が、しかも「白川紫奈」とはっきり書かれている。


「まじか」


「まじまじ。私、中学生までは滋賀県に住んでたんだけど、土日にビワイチとかしてたから」


 紫奈先輩は吹けば飛ぶような華奢な見た目に似合わず、あり余る体力の持ち主らしい。


「高校生になったばかりの君だったら、女子の私でも勝てるんじゃないかな」


「……これから成長して先輩のことを追い越します」


「もう背は抜かれてるけどねー」


 先輩はこつんと俺の肩に体を寄せる。

 俺の方が若干背が高いため、先輩の頭が肩にぶつかるかたちとなった。


「あの、見られてますよ」


 周りにいる生徒は俺を……いや、紫奈先輩と親しげな俺を見て、「あいつが白川先輩の新しいお気に入りか」とか「次はいつまで保つかな」とか、したり顔で囁き合っていた。


「見られてるね」


 紫奈先輩は気にした様子もなく、視線を周囲に散らす。そしてぱっと距離をとると、


「じゃ、更衣室はあそこでしょ? 私はこっちだから」


 紫奈先輩は二年生棟へと繋がる渡り廊下を指差した。


「午後の体育頑張ってね。一年だと体力測定の時期だよね、うひー」






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