第一話 先輩は孤高な野良
紫奈先輩と始めた屋上の密会だが、端的に言って上手く行きすぎていた。
お互いの生活圏を侵害することなく、昼休みのわずか一時間にも満たない時間のみを共有する。それ以上の関係は望まないし、かと言ってその関係が自然に消えることもない。人間関係の理想郷がここにあった。
「うんうん、優斗の手料理は毎日食べても飽きないね」
紫奈先輩は俺が作ってきたお弁当を軽く平らげると、満足げに目尻を下げる。
「まだ二日目ですよ」
「大丈夫! この調子なら明日も、その次の日も、そのまた次の日もきっと美味しいよ!」
「そういう人に限って三日坊主になるんですけどね」
調子よく口を回す紫奈先輩に呆れた声を上げる。
人付き合いすら長続きしない飽き性の紫奈先輩のことだから、俺の料理にもすぐ飽きるんじゃないか……そんな不安を抱えているのは紛れもない事実だった。
「優斗こそ三日坊主にならないでよ。私は優斗のこと信じて購買のお金持ってきてないんだから」
「聞こえはいいですけど、ようするに丸投げじゃないですか」
「にへへ、まあそうとも言うかもね」
まったくこの先輩ときたら。
俺はご飯粒一つ残らず空っぽになった弁当箱を回収しながら相好を崩す。
自分が丹精込めて作った料理を残さず食べてくれるのを目の当たりにするとつい嬉しい気持ちになる。
「そういえば、嫌いなものとか聞いてませんでしたけど、大丈夫でしたか?」
「うん、まあ、今日の料理だとトマトとピーマンと、あとごぼうと生姜とお酢が苦手だったんだけどね」
「子供か!」
嫌いなもの多すぎるだろ。
よくそれで完食できたな。逆に尊敬するぞ。
「だけど、優斗の料理だとなんか自然に食べられたんだよね。どうしてだろ?」
紫奈先輩は不思議そうに小首を傾げる。
「俺に遠慮してるからじゃないですか?」
「優斗に遠慮? ないない。今の状況見てからいいなよ」
紫奈先輩は寝っ転がり、俺の膝に靴を脱いだ足を置いていた。
足とは真反対にある頭には愛用のタオルケットを丁寧に折り畳んで枕にし、俺の膝は杜撰な足置きにして、文字通り、足蹴にしていた。
「食べてすぐ寝ると太りますよ」
「もーまんたい。優斗の料理は健康的だし、そもそも私は太らないし」
こんな不摂生でよくもまあ体型維持が出来てるな、と感心する。
女子高生が大好きそうな甘いデザートを食べないからだろうか。
うちのクラスにいる女子なんか常にポッキーやカントリーマアムなんかを食べ歩いているイメージだ。鞄からはいつもお菓子の箱や袋がはみ出している。
「……たしかに、俺に遠慮はないみたいですね。足どけてください」
「いーや。ほれほれ、美少女の生足だよー」
先輩は器用に足の指だけを使って靴下を脱ぐ。
生足派な俺にとっては垂涎ものの光景だ。
「最近は生がつく料理が流行りだから、私も生足ー」
などと意味不明な供述をしている。
「生チョコとか生どら焼きとか色々ありますよね。たまに、なにが「生」なのかわからないのもありますけど……なんなんでしょう?」
「そうそれ。あれって普通のと何が違うんだろ? 違いがよくわかんないのに、みんな買ってるよね」
巡り巡って話題は似たような疑問に着地した。
最初のとっかかりも、俺が作った料理と紫奈先輩が普段食べる料理との違いだった。
「マーケティング戦略が身を結んでの流行か……もしかしたら中毒性があるものでも入ってるのかも?」
ジャンクフード依存症なんてものがあるらしい。
どこかの大学がそんな研究結果を発表していた。それと同じように「生」がつくものは人が欲してやまないなにかがあるのかも。
「じゃー優斗のご飯が美味しいのも、やばいものを入れてたりするから?」
「入れてるわけないでしょ」
「むむ。怪しいなあ」
「そんなに疑うんなら、明日から作りませんよ」
心外にもほどがある。
あと生チョコとか生どら焼きにもやばいものは入ってない。たぶん、きっと、おそらくは。
「わー! 嘘嘘! 優斗のご飯無しじゃもう生きていけない!」
紫奈先輩は慌てて飛び起きて、俺の肩を揺さぶった。
無遠慮で不躾な人だが、それはお互い様なので、こっちの方がやりやすい。
「でも、本当にどうしてなんでしょうね。俺の料理は特別苦手を克服できるような調理工夫もないですし、素材も普通にスーパーで買ってきたものですし」
苦手な食べ物を克服するには、素材または調理方法のいずれか二つが肝心だ。
本当に美味いものを知るか、知らないうちに食べ慣れさせるか。俺はそのどちらの趣向も凝らしていない。
「愛情かな。優斗の愛が私に届いたんだよ」
「ロマンチックですね。先輩、付き合ってください」
「えへへ、無理ー」
告白は簡単に断られた。
ただの軽口だし、傷は浅いけど、それでも袖にされたショックはあるにはある。だから皮肉を込めて聞いてみた。
「……先輩って初恋キラーなんて呼ばれ方してますよね」
「およ? 今のガチ告白?」
「半々ってとこですね」
「半分は本気ってこと?」
「先輩みたいな美人と付き合えたら男冥利に尽きるんだろうなってだけです。学校外でも先輩の世話するのはキツイんで」
「酷い言い草だね。あと私は別に男子の初心をもてあそんでるわけじゃないんだよ」
「でも、告白にはきっぱり断ってるらしいじゃないですか」
「だって、私のお眼鏡に叶う男子はいないんだもん」
「運動部のエースとか、校内でも屈指のイケメンとか、そういうハイスペックな男子からも告白されてるって聞きますけど?」
「いやあ、あんなのと付き合うんだったら優斗のが何倍もいいよ」
紫奈先輩は口角を下げ、苦々しく歯ぎしりをする。
威嚇するように「うー」と喉を鳴らした。
「ああいう男にかぎって束縛激しいよ。いい加減に俺以外の男と話すのやめろとか、LINEは何秒以内に返信とか」
「うわ、面倒だな」
「でしょー?」
紫奈先輩の実体験だろうか。
しかしながら紫奈先輩に彼氏はいないという話は有名だ。フリーだからこそ、ずっと男子に言い寄られている。
嘘でも彼氏がいるって言えばいいのに、それすらも面倒臭がるから、余計に面倒な状況を招き入れていた。
「優斗はもう知ってるだろうけどさ、私って人と深く関わるのが苦手なの」
俺は黙って聞き流す。
紫奈先輩にまつわる話を聞いた時点で、紫奈先輩は人付き合いが苦手なんだと察していた。
「こんくらいが丁度いいよ」
「俺も先輩とのこの距離感がいいです」
俺も同じだった。
この関係が心地よかった。
「……っと、そろそろ時間だね」
昼休みが終わるチャイムが鳴った。
俺はペントハウスの壁に預けた背中を浮かし、重い足を地面に突き立てた。
その際、背中で壁を擦った拍子に、ざらざらとした壁の塗装がこそげ落ちた。
ブレザーを脱いでて正解だった。
フランネル素材で作られたブレザーは傷みやすいし、剥げ落ちた塗装が貼り付いてなかなか取れなくなる。が、カッターシャツならその心配はない。
屋上は一年前に改装されたとのことだが、このペントハウスだけは昔のままらしい。ところどころ塗装が剥げて黒い肌を晒している。
「先輩、今日は午後の授業出られそうですか?」
「んー、眠いから無理っぽいかな」
先輩はふわあと欠伸をして空を見上げた。
ゴールデンウィーク明けの空は雲が少なく、生温い風がとぐろを巻き、校門前に植えられた並木の匂いを運んでくる。
転落防止柵から下を覗くと、体育が待ち切れない元気な男子がサッカーボールを蹴り合っている。
「大丈夫そうですね」
「うえー」
俺は、なにかと理由を見つけ出して午後の授業をサボろうとする紫奈先輩を連れ出した。
紫奈先輩はいやいやと手を前に伸ばすが、すかっと軽い空気を掴むだけだった。
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