第3話・点Pとたかしくん

「もしかして白子さん、数学は結構好き?」


 今日も今日とて何時もと同じ空き教室で、里見が口を開いた。


「うーん、まあ少しは。英語とか国語といった外国語に比べれば全然楽しいわね」


「国語は日本語だよ白子さん」


「そんな細かいことはどうでも良いわよ。で、何が言いたいわけ?」


「どうでも良くないと思うけど、まあ今回は放っておくよ。いや、数学は点数に開きがあるから気になって。ほらっ、今回は余裕で10点超えてるし」


「この私がそんな毎回人に見せられないような点数を取るわけないでしょう」


「10点台も大概人に見せられないと思うよ」


「それは世間一般の常識でしょ? 私には当てはまらないわ」


「白子さんの感覚は飛び抜けてるからね」


「へぇ、とうとう君も私の素晴らしさに気付いたようね」


 馬鹿にしたことに気付かない白子に対し、里見は国語の勉強時間を増やそうとひっそりと思った。


「褒めて貰っておいてなんだけど」


「褒めてないからね」


「良いから黙って聞きなさいな。生きる上で数学は中学校までの範囲で問題無いと思う」


「またそういうこと言って。ピタゴラスが聞いたら裸足でぶん殴ってくるくらいの暴言だよ、それは」


「はっ、古代ギリシア人のパンチなぞ私の札束でどうにかしてくれるわ!」


「もしかして、お金が万能の力だと思ってる?」


「当然。お金は裏切らないわ」


「白子さんは1回ぶん殴られた方が良いかもね。話を戻すけど、ぱっと思いつくのは確率とかは? あれは社会に出ても良く使う方なんじゃないかな」


「逆に言えば、確率くらいでしょ。余弦定理なんて何処で使うのよ」


「浅い、浅いなぁ白子さん」


「ほー。今日はやけに喧嘩を売ってくるわね里見君」


「だってさー。自分が知らないというだけで不要だと唱えるのは小学生のすることだよ」


「じゃあ余弦定理が何処で使われてるのか君は知ってるの?」


「勿論。例えば測量で使われるみたいだよ」


「ぐぬぬ、これだから勉強フェチは。あーあ、勉強意欲が薄れちゃったわ」


 白子がペンを離し、椅子の背もたれに大きく寄りかかる。

 その姿は本当に子供のようだった。


「ごめんごめん、変なこと言い過ぎた。謝るよ。だから勉強に戻ろう」


「私じゃなくてアルキメデスに謝りなさい!」


「何で!?」


「偉大なる数学の祖に謝罪するぐらい出来なくて私に本気で謝れると思って!」


「偉大な数学者と並列に語られる白子さんの存在イズ何!?」


「数式の問題は結構解けるんだけどねー。証明問題がイマイチなのよねー」


「急に話題を戻さないでよ。温度差で風邪引いちゃうから」


「大体なんでわざわざ証明されているものを説明しないといけないのよ。そっちが勝手にググりなさいな」


「それを言い出したらおしまいだよ」


「大体数学は変な問いが多過ぎなのよ。勝手に動く点Pとか有り得ないスピードで歩くたかしくんとか」


「後半は算数では? ただまあ、点Pは共感出来るよ」


「でしょ! 図形問題にしても半端な位置に交点取って何様なの一体」


「そこまで文句があるのに解き方を勉強しようとはならないんだね……」


「だって腹が立つ相手にせっせと努力なんてしたら負けたみたいで嫌じゃない」


「結果解けないならそれはそれで負けてるからね!」


「分かってないね、君は」


 白子がわざとらしく鼻から息を吐く。


「な、何が!?」


「解けたかどうかは問題じゃない。問いから逃げていない時点で負けじゃないのよ」


「お前は解かないと留年確定負けやろがい!!」


「ひゃ!? そ、そんな大きな声出さなくとも良いじゃな──」


「いいや、まだ自分の状況が分かってないようだから出すね!!」


「ふぇ!?」


 萎縮する同級生を畳み掛けるように里見が言葉のマシンガンを放っていく。


「今日は理解するまでテスト漬けでいくよ!」


「そんなご無体な! 慈悲は無いの!」


「無い!」


「私、今日は見たい生放送があるのだけれど」


「僕の作ったテストで30点以上取れたら帰すよ」


「30点!? 絶対出来ない条件を出すのは人間のやることじゃないわ!」


「高一レベルの問題だし、今まで教えたことを思い出せば充分解けるはずだよ」


「解けないからここにいるんでしょうが!?」


「解けると思って教えてたんだけど!? もう少し自分を信じなさいな!」


「里見君は私がどれだけ出来ないか散々見てきているでしょうに。そんなに私と夜を共にしたいの」


「勘違いされるようなこと言わない。良いから解いて」


 言って、昨日夜なべして作ったプリントを彼女の前に置く。


「こんなの出来るわけ……」


 文句を言いながらも手を動かす少女。

 所々詰まりながらもその手は長い時間止まることはなかった。


「嘘。こんなの嘘よ」


「おー、ちゃんと解答埋められてるじゃない?」


「まさかそんな。私は数学の才能に目覚めてしまったというの」


「そうかもしれないね」


「怖いわ里見君。私自分が怖い」


「驚きすぎだよ。はい、これ採点結果」


「きゅ、95点。里見君、採点ミスは良くないわよ」


「どんだけ信用してないの! 白子さんの力だよ」


「そっか。これが私の学力なのね」


「これでもっと好きになってくれると良いけど……」


「? 何か言った?」


「いや、何にも」


 心底嬉しそうに微笑む彼女を前にして、問題の作成者は小さな笑みを作った。

 本来やるはずだったプリントを後ろ手に隠して。

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