変わらぬ朝

ちち、ち、と小鳥の鳴く声と同時に

じりじりと耳を劈くような

蝉の声が聞こえてくる。

爽快感と鬱陶しさを

同時に感じながら、

ゆっくりと重たい瞼を開いた。


澪「…。」


上体を起こすこともなく

近くのスマホを手に取る。

すると、既に8時を回っているではないか。

朝の光が部屋の隅に漏れている。

今年は受験生だし

本番のためにもと思い

6時には起きるようアラームを

かけていたのだが、

いつの間にか無意識のうちに

止めていたらしい。


たった数日間とは言えど

他人の家に泊まり続けたのだ。

それは気も休まらないし

疲れも溜まる一方だろう。

今日にしてようやく

体を休めることができたのだ。


澪「…。」


さて。

自分の手のひらを見つめて

ぐーぱーと閉じたり開いたりを繰り返す。

…自分であるという意識は

しっかりとあった。

昨日、過去のうちとお別れしたことも

ちゃんと覚えている。


大丈夫だと安心し切っていいはずなのに

未だどこか嘘が混じっているように

思えてしまって、

不安になってリビングへ向かう。


すると、これまで遮断していた

わけではないはずの鼻は

突如昨日を思い出したかのように

香ばしい香りを拾った。


雫「あ、おはよう。」


澪「……おはよ。」


雫「…!」


姉は…慣れていないのだろう、

これまでにないほど

嬉しそうな顔をした。

口角があがり、顔が綻んでいる。

…ああ。

うちの知ってる、素直すぎるくらい

素直なあねの表情だ。


雫「昨日ねー、鮭を買ってきたんだ。なんか安くなってて。」


姉はいつもの調子で喋る。

うちが返事をしないとわかっていても

これほどまでに話しかけてくるのは、

もはや狂気の域とも言えた。

うちはいつだって

ぬいぐるみになったような気持ちで

自室に入っていた。

しかし、今では全く違う。

返事をしてくれるかもしれないと

期待を持って話してくれている。


姉は未だ肩につく程度の

短い髪のままだった。

それをひとつにまとめて、

料理の妨げにならないようにしている。

慣れた手つきで準備をしていた。


澪「…何か手伝うことある?」


雫「えー、もう、夢見てるみたい。」


澪「…。」


雫「いーのいーの、ゆっくりしててよ。」


姉はそう言いながら

照れくさそうに笑っていた。

久々に姉らしいことができて

満たされていると言った様子だ。

確かに前々から人に尽くすことが

好きだった面があったように思う。

私にもよく世話を焼いてくれた。


私が自立するよう心がけて以降、

安心すると同時に

寂しいとも感じていたのだろう。

子離れできない親のようで

少しばかり笑いそうになってしまう。


姉に言われるがままに

今日は甘えてしまおうと思い、

テレビの前に座っては

電源をつけて眺めた。

こうしてリビングにいることだって珍しい。

いつも自室にこもっていたので、

リビングは姉のもの同然だった。

姉がテレビっ子でミーハーなことは

長年一緒に住む中で知っていたので、

自然のうちの方が

身を引いて行ったのだった。


スマホじゃない大画面で

テレビをゆっくり見れるなんて久々だ。

なんだろう。

心が擽ったい。


これを幸せと言うのだろうか。


それを考えていると、

どうしても頭は昨日のことに

引っ張られていく。


うち自身は、姉とは違った道を

歩んできたこと自体には後悔はない。

あるのは、姉に対しての

態度のみだった。

過去のうちは…今後、苦しむのだろうか。

それとも、今のうちよりも

幸せに生きるのだろうか。

姉を追ううちが幸せに

生きる未来がどうしても見えないが故に、

その選択をしたことをまだ迷っている。

曲がりなりにもうちなのだ。


澪「…。」


しかし、どうして国方や吉永のように

記憶が飛んだり別人になったり

しなかったのだろう。

ふと思うと、当時は別の世界線が確とあり

そちらに行き来していた。

だからそちらの世界線に

取り残されてしまったと言えば

いいのだろうか…。


例えば今回のお盆の事件が、

過去のうちと今のうちが

ひとつの時代に集まるのではなく、

いる時代が入れ替わってしまったのなら。

そしてうちが帰らないことを

選択したのであれば。

…そうしたなら、うちも消えていただろう。


消えていた、というのは言い方の問題だが、

他の人からすればうちは別人に

なってしまったように見えただろう。

性格がまるっと変わり、

見た目ももちろん異なる。


うちは…もし真面目なうちがいた

世界線に閉じ込められてしまったら

どう生きていただろう。

もう1度、姉と同じ道を

通らないようにと

全てを壊してやり直すのだろうか。

それとも、姉の好意に甘えて

真面目に生きることを

選ぶのだろうか。


澪「…よかった。」


それは、一体何に対してなのか。

理由は見つけなくていいような気がした。


じりじりと蝉は未だに鳴いている。

夏はまだまだ続くようだが、

お盆は静かに終わりを告げた。


2年にわたって漸く

死者は帰って行ったのだった。


さよなら、私。









さよなら 終

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