亡き骸へ
夕方ともなれば
台風もいつの間にか過ぎ去り、
雲は多いものの風は無くなっていた。
気温もいつもよりも低く、
過ごしやすいとすら思ってしまう。
スマホを見ていると
どうやら悠里があれこれ
動いていてくれているらしい。
2年前から来たうちのことについて
話し合いをしてくれている。
結局何をどうすることにしたのか
全くもって検討はつかないが、
いつ姉に電話してもいいように
スマホの充電は満タンにしてきた。
澪「…ふう。」
緊張する。
姉に、うちの覚えている限りの暴言を、
それ以上のことを言わせるのだ。
姉が淡々と従い言うわけがない。
説得しなければならないだろう。
そう思うと気が重くて仕方がなかった。
失敗できないと言う重圧が
うちの爪先から少しずつ潰していくよう。
うちの知る周期であれば、
うちはどこからか姉に電話する。
悠里には予め
姉に会わせる時に連絡してくれと
頼んでおいた。
しかし、悠里からの指示は
何故かうちの近所の公園で
待っていてくれとのことだった。
4月当初、それこそまだ春休み
だっただろうか、
ここで嶋原とばったり出くわして
しまったことが想起される。
懐かしい、と漠然ながら思う。
ベンチに座りぼうっとしてるようにしか
見えないだろううちは、
まるでリストラされた
サラリーマンのようにも見えるだろう。
スマホを見るにも飽きてしまい、
そっと画面の電源を落とした。
涼しさどころか
最近の暑さになれてしまったのか
寒さすら覚えるのではないかと思う中、
すさりという靴音が
確と耳に届いた。
車や自転車、そして子供のはしゃぐ声が
ほぼ絶えず聴こえていたはずなのに、
その音だけはしっかりと
掴んでしまった。
澪「悠里、なんーー」
スマホから顔を上げて
足音のした方を見た。
悠里、何の用事があって
ここまで呼んだんだって。
問おうとした。
口に出そうとした。
何故って。
…。
ミオ「…。」
澪「………え…っ…?」
何故。
……何故…?
どうして、どうして?
こんなことなかった。
なかったはず。
ぷつんと意識がショートしかけるも
何とか持ち直す。
改めて正面を見る。
そこには過去のうちがいた。
うちは未来のうちとなんて会ってない。
会った記憶なんて微塵もない。
過去のうちの後ろには
悠里と結華が遠くで並んでいた。
こちらを見ているのだが、
悠里に至っては後ろめたそうに
やや下を向いていた。
結華はというと何を考えているのか
わからないいつもの能面で
こちらのことをじっと見つめている。
まるでこれからの展開に
健闘を祈っているようだった。
改めて目の前に立つ過去のうちを見る。
そうだ、こんな見た目だった。
コンタクトなんてしたこともなく
ずっと眼鏡をつけていた。
髪も姉を意識して伸ばさなかった。
スキンケアもしたことがなくって
結構荒れていたっけ。
この時期はたまたま
酷くなっていなかったのか
ニキビは目立っていなかった。
ファッションセンスも
今から見れば興味がなかったことがわかる。
うち、こんなだったっけ。
ミオ「…えっと…私、ですか。」
澪「……そやけど。」
ミオ「初めまして。」
澪「…久しぶり。」
ミオ「私、こんな感じなんだ。」
さすが同一人物。
見た目は違えど思うことは
一緒だったようだ。
妙に感心するも、目の前の人物から
目を離すことができなかった。
第一に驚きががつんと降ってきたが、
数秒、数分経てば
それはもう気持ち悪いの感覚になってくる。
想像してみてほしい。
2年前の自分が目の前に立っている。
共感性羞恥にも似た
恥のような、はたまた極度の緊張のような
居心地の悪さが充満する。
気持ち悪い、と再度頭の中でこぼした。
過去のうちは何かを言うわけでもなく
しばらくの間うちをじっと見つめた。
きっと驚き慄いているだろう。
スカートは短く足を見せ、
ベンチに座っては足を組んでいる。
お化粧も薄らしており、
髪だって緩やかに巻いている。
側から見ればややガラの悪い人。
ナンパ師以外は
声をかけようとすら
なかなか思わないだろう。
交わす言葉はそれ以上なく、
虚無な時間が通り去っていく。
遠くから見ている2人は
一体何がしたかったのだろう。
今何を思っているのだろう。
それを疑問に思うと同時に、
うちは過去、2年前に
どのようにしていたかを
思い出そうと躍起になっていた。
姉に遠くながら暴言を吐かれ、
そしてその後。
…確か、確かだが
悠里の元へと走ったのだ。
マンションの下で待ってくれていた
悠里の元に駆け寄って、
わんわんと子供のように
泣きじゃくったのだ。
泣き止んでからようやく
会話できるようになったものの、
その理性は子供同様の程度しか
なかっただろう。
°°°°°
澪「お姉ちゃんが……わ、たしのこと…っ。」
悠里「大丈夫、大丈夫だよ。…少し落ち着こう。」
澪「お姉ちゃんが言ったの、さっさと消えればいいって…っ。」
悠里「…そんな…何かの間違いじゃ」
澪「言った、聞いたの、ちゃんと。」
悠里「…。」
澪「…元の時代に帰っても…どうすればいいの…。」
悠里「澪ちゃん…。」
澪「…帰りたくないぃ…。」
悠里「…っ!」
澪「帰りたくない、よ…ぉ…。」
悠里「…帰らなきゃ駄目だよ。」
澪「でも、でも…どこにいたって…!」
悠里「澪ちゃん、よく聞いてね。」
澪「…ぅ……。」
悠里「澪ちゃんは、澪ちゃんらしく歩いていいんだよ。」
澪「……お姉ちゃん…が…。」
悠里「…澪ちゃんはお姉さんじゃない。澪ちゃんはもっと自分を守っていいよ。自分を捨てなくていいんだよ。」
澪「でも…でもっ。」
悠里「お姉さんが最低なやつだって思ったなら、軽蔑したっていいんだよ。」
澪「…っ!?…そんなこと…。」
悠里「現に裏切ったって思ったんだよね。」
澪「……。」
悠里「軽蔑してもいい。ただ、ひとつ約束して。」
澪「……。」
悠里「澪ちゃん。自分らしく生きて。」
澪「…自分らしく…。」
悠里「最初は難しいかもしれない。ずっとお姉さんの模倣をしようと頑張ってたんだから、仕方がない。でも、お姉さん以外の生き方もあるんだよ。世界ってもっとずっと広いの。」
澪「…。」
悠里「誰かにならなくていい。」
澪「…悠里ちゃん……。」
悠里「私も頑張るから、澪ちゃんのこと、応援してるから。」
だから。
…自分のためにも、帰ってあげて。
°°°°°
ミオ「…。」
澪「…。」
今のうちが目の前の人物に
あの時の悠里と同じことを言ったって
きっと響かないだろう。
あれは姉に裏切られたからこそ
心臓の核にまでぐさりと
刺さった言葉なのだから。
こんな見た目で、たった数回しか
言葉を交わしていないうちから言ったって
適当に遊んだ人の言葉だとしか
受け取ってもらえない。
ましてや未だに姉の影を
追い続けているのだから、
そんなちゃらんぽらんと
していそうな人の言葉など
響かないに決まってる。
うちだって、自分の変化に気づいているし
過去のうちが考えることだってわかる。
そうなれば。
今のうちが言えることは何だろう。
何も言わなくていいだろうか。
そうであれば、きっと楽。
楽を選んでいいのであれば
選びたかった。
しかし、目の前のうちは
立ち去ることをしようとしない。
そいつもそいつなりに
何かしら言おうと考えているのだろう。
…何せ、うちはこいつの
2年分だけだが人生の先輩なのだ。
細く長く息を吐く。
空気を吸うも、喉は震えていた。
うちだって怖かったんだって
今更ながら知った。
うちとして後悔があるなら。
…たったひとつだけ。
澪「…姉のこと、大切にしい。」
ミオ「…!もちろん。」
2年間、酷く反抗的な態度を取ったこと。
当時の姉からすれば
理不尽極まりないものであり、
困惑し続けていたに違いない。
全ての要因がわかった今、
後悔しているのはそこだけと言っても
過言ではないだろう。
過去のうちは迷いもなく
大きく頷きながらそう言っていた。
本当に迷いがないのだ、と。
本当に心の底から姉を慕っており、
姉を目指し続けるのだ、と。
定められてしまったであろう未来に
口を出すことはもうできなかった。
澪「…パン屋のあたりを境に未来まで来たやろ?帰りもそこを通れば勝手に帰れる。」
ミオ「ありがとう。」
澪「はよ帰り。」
言葉単体では強めの言い方だったというのに
子供をあやすかのような
穏やかな声が出ていたことに
自分ですら驚いた。
素直じゃないな。
うちはいつからか俯いており、
最後まで過去のうちを
見送ることはしなかった。
すた、すたんと靴音がして
それは徐々に通り去っていく。
あまりにもあっけない終わり方に
思わず笑いそうになってしまった。
口角が自然と上がる。
ああ。
何故だろう。
安堵と不安が入り混じっている。
今は、遠くに行ってしまったうちと
2人の影を眺めなければと。
お別れだもの。
最後、パン屋まで見送りはせずとも、
ここで別れを惜しまなければと
一種使命感にも似た何かが湧いた。
ぱっと顔を上げると、
悠里はこちらを見て
手を大きくあげていた。
それから、こっちに来るように
手招いているように見えた。
否、実際に手招いていた。
もう何も話すことはないと言うのに
一体何の用事だろう。
もう逃げ出してしまいたい気持ちで
いっぱいだったが、
気づいてしまったからには仕方ない。
重たい腰を上げて3人の待つ方へと
足を引き摺るようにして向かった。
悠里「パン屋のところまですぐそこだから、見送るだけでいいの。」
澪「…はいはい。」
今日のうちの会話はワンテンポ遅い。
過去のうちに見られているからだろうか、
何を話すにも緊張してしまうし、
ひとつひとつの単語が
頭に残ってしまうのだろうと
危惧してもいた。
…。
…いや、こいつの頭の中は
姉のことでいっぱいいっぱいなんだっけ。
なれば、うちの言葉なんて
微塵も残りはせず、
影も灰も残らないことだろう。
パン屋までは徒歩5分もせずたどり着く。
その間、誰もひとことも
話すことはしなかった。
たった数分の出来事が
無限に続くかと思うほど
長く長く感じた。
1歩進む。
別の足音が1歩進む。
同じように、それを何度も。
何度も何度も繰り返す。
同じ音が響いていく。
ふと、雨が降る海の上を
歩いているような気分になった。
どこまでも続く海。
歩いて対岸まで行こうなんぞ、
一体どれほどの時間がかかってしまうだろう。
そんなことを考えていると、
段々と香ばしい香りが
ふんわりと漂ってきた。
あ、と思う。
近づいてきたんだ。
うちの、または過去のうちとのお別れが。
パン屋の前で立ち止まる。
3人は少し先まで進み、足を止めた。
先までの悠里と結華のよう、
僅かながら遠くからその姿を眺む。
悠里「元気でね。」
ミオ「うん。2人も元気で。」
結華「…またね。」
悠里「また2年後。」
ミオ「…!…うん!」
ああ。
うちの時はこんな明るい
別れじゃなかったな。
もっと重苦しくて、救いようがなくって。
どうすればいいかわからなかった。
もがいてももがいても
沈んでいく一方のようで、
帰り道すら忘れるのでないかと
思うほどのショックを抱えていた。
ミオ「…。」
澪「…。」
ふと、目が合う。
素直だった頃のうちがこちらを見ていた。
笑うこともせず、ただ見つめる。
うちは、手を振ることもしなかった。
過去のうちも、何もしなかった。
もう違う人間なのだ。
互いに互いの考えを共有できず
受け入れることなんて到底敵わない、
言わば最も馬が合わない人間なのだ。
ああ。
嫌いだな、真面目な人間は。
あんたみたいな馬鹿真面目な奴は特に。
こち、こちと誰かの腕時計が
莫大な音量でなっているのかと思うほど
耳に明瞭の届く。
時間が迫っているのがわかった。
いつ、何分何秒に帰るんだったか
正確には把握していない。
ただ、これ以上言葉は要らなかった。
あいつが背を向ける。
向けて、短い髪が僅かにゆれた。
…。
…。
次の瞬間、うちらの前から
1人の人間の姿が消えた。
過去のうちは無事、
元の時代に戻って行ったらしい。
肩の力がやっと抜ける。
体全身の緊張が解けて、
ここでお尻をつけて座り込みたく
なるほどだった。
悠里も大きく深呼吸をすると、
こちらをばっと振り返った。
そして、満面の笑みで言うのだ。
悠里「おかえり。」
澪「…。」
あまりに綺麗な笑顔だったもので、
どう反応すればいいのかわからなかった。
ただ、肩を少しばかり上げて、
仕方のないやつとでも言うような
反応だけを返した。
ただいま、はうちの返事じゃないから。
澪「数日間、面倒見てくれてありがとうな。助かったわ。」
悠里「それならよかった。どうする、今からご飯とかいっちゃう?」
澪「…ごめん、考えたいことがあるからまた今度な。」
悠里「1人で平気…?」
澪「1人がいいと。」
悠里「…わかった。」
悠里は寂しげにそういうと、
結華と目配せをして1歩退いた。
悠里「何もできなくてごめんね…。」
澪「悠里の優しさで救われた部分があった。本当にありがとう。」
悠里「…じゃあ、ごめんじゃなくてどういたしましてだね。」
うちが出会ったのは
4月当初の悠里ではなく、
記憶を失った悠里だった。
タイムスリップしていた当時は
そんなこと聞いていなかったし
知らなかったけれど、
今思えば言葉一つ一つの重みが
大きく違うように思う。
あの時…うちの時に言った
「私も頑張るから」の言葉の意味は特に
全く違った味がした。
悠里も自分の在り方に悩んでいたのだ。
不安だったのだ。
そんな彼女だからこそ、
うちを救う言葉を渡すことが
できたのだろう。
悠里「じゃあまたね!」
澪「ん。」
またね、と返せなかった。
返さなかった。
それとなく嫌な予感がしてしまったから。
悠里と結華は踵を返り、
2人仲良さそうに隣を歩いて
うちの家とは反対の方向へと歩いて行った。
2人の影が角を曲がるまで
立ち尽くした後、
ようやくうちの足は動いてくれた。
日暮れが過ぎようとしている。
雲の隙間から黒黒しい赤がのぞいた。
何度も繰り返した今日の終わりが、
今ばかりは惜しく感じてしまう。
ああ、ああ。
本当に終わったんだ。
お盆が終わった。
過去のうちは帰って行った。
全く違った過去になった。
全く違った未来が訪れる。
それは、どう言う形で訪れるのだろう。
安堵と不安。
軽々しい安堵と、重々しい不安が
見事なまでに入り混じる。
白色の安堵と黒色の不安のせいで、
綺麗混ざると白なんて僅かな影響しかない。
不安だった。
酷く心臓の奥底から
冷えていくような悍ましさがあった。
理由はわかっている。
わかっている。
わかってる。
澪「…。」
うちがタイムスリップした時は、
姉から暴言を吐かれた。
姉に電話をしていたのは
間違いない、未来のうち。
ここにいるうちの中では、
姉を模倣しようと愚直に頑張る
真面目なうちが亡くなった。
しかし、今回はどうだろう。
姉を崇拝するうちが生き残ったのだ。
姉を嫌厭し、全く違う道を歩こうと
曲がりなりにも…国方の言葉を
借りるのであれば努力してきた自分が
亡くなってしまったのだ。
これまでの努力を否定されたような
それでもって真面目な道を選んだ
うちの方が正解だと
言われているようにすら感じてしまった。
うちはどうなるのだろう。
過去が変わってしまうのであれば、
当然ながら未来は変わる。
そうなれば…。
…。
澪「……消えちゃ…う、のかな…。」
自分でも聞いたことがないほど
細くが弱い声が漏れた。
私、消えるの?
本当に?
まだうちだという自覚はあるものの、
これがいつまで持つのかわからない。
明日になったら別人になっている?
これまだのことも忘れて、
全く違う人間になっている?
うちは、うちじゃなくなるの?
うちは死んでしまうの…?
いつにだって消えてもいいと思ってた。
自分の嫌なところばかり目についていた。
国方と話す中で、自分が消えたいなんて
思っていたことに本当の意味で
気づけたような気がした。
けれど、実際のところ
本当にそうなってしまうとしたら。
肩がぶるりと震える。
足が止まりそうになる。
…死にたくないと思ってしまう。
澪「…。」
性格が変わってしまった
…あるいは本当の意味で
別人になってしまった
国方と吉永の顔が浮かぶ。
うちもああなってしまうのだろうか。
自分を忘れて、何をしていたかも忘れ
忘れたことも忘れて生きていくのだろうか。
…やっぱり、悠里にただいまなんて
言わなくてよかった。
うちがもし言えるのであれば、
きっとさよならだけだった。
おぼつかない足取りで家にたどり着く。
ことことと僅かながら
音が漏れているような気がする。
隣の部屋だろうか、
それともうちの家からだろうか。
焼き魚っぽいいい匂いが
じんわりと漏れ出ていた。
まるで泥棒のように
静かに鍵を開いて家に入る。
2年前と同じようなことを
している自分に笑みと吐き気が
同時に込み上げてきた。
リビングに行くと、
姉が調理をしていた。
いつものエプロンをしている。
姉とのいざこざがあって以降、
できるだけ自分のことは自分でしていたが、
姉の帰宅が早い時は
彼女が2人分の食事を作るのだった。
うちはいつだって
自分の分しか作らなかったのに。
雫「あ、澪…っ!」
姉はうちに気がつくと
すぐに火を止めこちらに飛びついた。
そしてぎゅっと肩をつかまれる。
痛いほどに力が入っていた。
澪「…。」
雫「おかえり、おかえり…!怪我はない…!?」
澪「…。」
雫「どこ行ってたの!」
澪「…。」
関係ないやろ。
そうひと言、これまでのうちなら
言っていたに違いない。
そう言えばこの光景、見たことあるな。
そうだ。
2年前と一緒だ。
2年前、姉に憎悪を抱いたまま帰ったうちは
この手を払いのけたんだった。
その時は警察沙汰になっていたんだっけ、
それともなりかけていたんだっけ。
姉は酷く心配し、その場で泣き崩れて
しまっていた気がする。
あれ、それはうちが
冷たい態度をとったからだっけ?
…あまり、覚えてないや。
姉もそのことを思い出したのか、
はっとしてうちから手を離す。
姉はばつが悪そうに
その場で目を逸らした。
雫「ごめん…。」
澪「…っ!」
そうだ。
今のこの姉は、何故うちが
豹変してしまったのか
理由がてんでわからないのだ。
もしうちの経験したルートを通っていれば、
姉はこれまでの全ての行動に
納得していただろう。
…ただ、説明するにも
信じてもらえないだろう。
もし信じてもらえるにしても
困惑させてしまうに違いない。
何より、姉からすれば
嘘か誠かもわからぬことを
言い訳に使うようで、
説明することは憚られた。
姉はうちに背を向けて、
またご飯を作ろうとした。
…このままでいいのだろうか。
もし明日、うちがうちじゃなくなったなら。
けろっと姉のことが大好きな
うちになり変わってしまうなら。
…謝罪もないままにして
けろりと何もなかったことにするなんて、
逃げではないだろうか。
自分の行動くらい
自分で蹴りをつけなければ、
最後まで自分の嫌いな自分でいてしまう。
澪「待って。」
雫「…?」
姉が振り返る。
怪訝そうな顔をしていた。
顔を見ている。
目を逸らさないまま、
ゆっくりと口を開いた。
澪「…これまでのこと、ごめんなさい。」
顔を合わせるたびに睨んだこと。
姉の作ったご飯を食べず
ずっと残していた時もあったこと。
姉のことを大切にしなかった
その全てのことを思い返していた。
姉はみるみるうちに目を見開き、
何を言うかと思えば
口を僅かにぱくぱくとするだけだった。
その代わり、目からは大粒の涙が
ぽたぽたと溢れていた。
ぎょっとして硬直してしまう。
それは姉も同じだったのだろう。
涙を拭うことなく、そのままうちのことを
じっと眺めていたのだから。
雫「…うん、いいの、いいよ。」
澪「…。」
雫「ごめんね…お姉ちゃんには覚えがないことで、きっと傷ついちゃったんだよね……。」
澪「…違うよ。」
雫「…でも…力になれないことばかりだったよね……ごめんねぇ…。」
澪「…理由は聞かんと?」
雫「いいよ、いいよ。理由なんてどうでもいい。」
澪「…。」
雫「はああ…安心しちゃった…よかったよお…。」
姉はやっと自分が泣いていることに
気づいたようで、
袖でぐしぐしと頬から目元を拭った。
姉は姉なりに相当のものを抱えていたのだ。
それこそ、今日の今日まで
うちのことを好いていてくれたからこそ。
雫「罪悪感もね、ものすごくあったの…あったんだよ…。」
澪「…。」
雫「でもね、酷いよね、安心してもいたんだよぉ…。」
澪「…安心?」
雫「澪ったら、私のことばかり考えてたでしょう…?私のせいで将来の視野を狭めてるんじゃないかって…。」
きゅう、と心臓が鳴る。
姉はいつまでもうちのことを
考えていたのだ。
雫「けど自分のやりたいことをするようになって、お姉ちゃん、嬉しかったんだ…。」
澪「…。」
雫「もー、心配させすぎだよー…。」
澪「…ごめん。」
雫「もう、もうー…大きくなったねぇ。」
ぎゅっと腰と後頭部に
手が回るのがわかった時には
既に姉の香りで包まれていた。
同じシャンプーを使っているはずなのに
何故か全く違う香りのようにも思う。
堰を切ったように、
目頭が熱くなるのを感じた。
ああ、消えたくないな。
せっかく和解できたのにな。
まだ消えると決まったわけでないのに、
これが最後のような気がしてならなかった。
眠らなければ今日であると言った
言い訳が通じるのであれば、
今日ばかりは…これからずっと
眠りたくないとすら思ってしまう。
ただの心配事で終わって欲しい。
願えば願うほど胸騒ぎは止まらない。
姉としては複雑な心境だったのか。
うちが自分を選んだこの未来を
嬉しくも思っていたのか。
…。
ついさっき帰って行ったうちは、
一体どうなってしまうのだろう。
どちらが死人なのだろう。
どちらが抜け殻で、
亡き骸になるのだろう。
蝉が遠くで鳴いていたのに、
刹那声が止んだ。
お盆は静かに終わりを告げたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます