一縷

悠里「じゃあ行ってきます!」


ミオ「行ってきます。」


お母さん「はあい、いってらっしゃい。」


お母さんに手を振って

玄関に背を向けます。

ミオちゃんは私とは違って

ぺこりとお辞儀をしていました。


台風接近の影響で空はどんよりと

重たげな色をしていますが、

傘を携えたので大丈夫と

腹を括っていたのです。

びゅう、と強い風が

時折頬を殴るかのように吹いてきます。

その度に足をやや止めながら

進むのでした。


…やはり、今日は家を出るべきでは

なかったのでしょうか。


悠里「風強いね。」


ミオ「うん、でも、雨が降ってなくてよかった。」


心底安心した声を出すミオちゃん。

その姿を見て、天候のことを

気にする余裕ができたのだと

ほっとする自分もいました。


昨日、ミオちゃんが

何時に寝たのかまではわかりませんが、

朝すっきりした顔で

おはようと言ってくれました。

目元はそれほど腫れていませんでした。

もしかしたらいらぬ

心配だったのかもしれませんね。

1人勝手に肩をすくめながら

食卓について一緒に朝食を食べました。


両親はミオちゃんがいることを

自然と受け入れており、

寛容な方々だと感じました。

親であったとしても人間、

急な来客には身構えるはずなのです。

その点、感謝しなければと

深く思うのでした。

衣服も鞄も貸したので、

もしかしたら普段着ないような系統の服を

身につけているかもしれません。

ミオちゃんはお化粧はしないようで、

一応しないかと声をかけてみましたが

やったことがないから、と

断られてしまいました。


今現在いる18歳の澪さんは

どんな感じでしたっけ。

大人っぽいという印象が

強く残っているがために、

お化粧もしていたような気が

してきてしまいます。


今にも泣き出してしまいそうな

空を見上げながら

ミオちゃんの隣を歩きます。


結華は今日は予定があるようで、

出かけるのは私とミオちゃんだけ。

どうしても来れないのかと

やんわり聞いてみたのですが、

外せない予定があったようです。

こんな不可解な状況になってしまったし、

少しだけでも不安を払拭して

楽しかったと感じる思い出が作れたらと

みんなで出かけることを

提案したのですが…。

みんなでいけなくて少しばかり残念です。


横浜駅の方へと向かう電車の中。

今日はお盆だからというよりも

天候のせいもあって

人はずいぶん少なく、

余裕を持って2人で

座ることができたのでした。

がたんと揺らぐ感覚に身を任せていると

段々と眠くなっていきます。

ふと隣に座るミオちゃんを見ると、

近くの窓から外を眺めていました。

遠い目をしているな、と

刹那感じ取ったのです。


ミオ「…この辺りは何も変わらないんだなぁ。」


悠里「変わらない…?」


ミオ「うん。2年間で街並みはそんな変わらないみたい。」


悠里「そっか、実際あんまり考えたことなかった。」


ミオ「大型の施設が建ったとか、大好きだったパン屋さんが潰れたとかだとまだわかるけど、こう、全体的に街を見てると本当にわからない。」


悠里「…。」


ミオ「…お姉ちゃん、心配してるだろうな。」


俯き、小さくそうこぼす

ミオちゃんの姿がありました。

ミオちゃんのスマホは

時間は確認できるものの

どのアプリも開くことが

できなくなっていました。

当然お姉さんと連絡を

とることもできません。

ミオちゃんにとって、

お姉さんはとても大切な存在なのでしょう。

親よりも真っ先に

出てくる人なのです。

相当大切な人に違いありません。


悠里「お姉さんと仲がいいんだね。」


ミオ「うん。今年から一緒に住んでるんだ。」


悠里「別々に住んでたんですか?」


ミオ「えっとね、お姉ちゃんが上京するタイミングで私も高校生になるから、一緒についていったの。」


悠里「そうなんだ。」


ミオ「元々は福岡にいたんだよ。」


悠里「へえ!でも方言ってあまり言わないよね。」


ミオ「うん、気をつけてるの。お姉ちゃんが綺麗な標準語使うんだよ。一瞬で方言とも切り替えられて、すごいなあって。」


悠里「そっか。じゃあミオちゃんの行動の軸はお姉さんにあるみたいな感じなんだ。」


ミオ「そう!」


福岡から神奈川までの移住は

そう簡単なことではありません。

すぐに帰ることだって難しいでしょう。

そうだとしてもお姉さんとの

生活を選んだのです。

ミオちゃんはにこりと笑っていました。


電車を乗り継ぎ、

動物園へ辿り着くと、

そこには人が疎ながら存在していました。

過去の私は動物園に

行ったことはあったのでしょうか。

行ったことがあったとしても、

今の私にはその時の記憶はありません。


中には色々な動物がいました。

ゾウやキリン、ライオンはもちろん、

赤ちゃんのトラを見れるブースがあったり

犬を散歩させることができる

ブースがあったりと様々です。

散歩ができるブースは

台風の影響により残念ながら

できなかったし、

ところどころ動物たちは

雨風を懸念して内部に入れられたり

自主的に隅にいたりして

あまりじっと眺めることは

できませんでしたが、

ミオちゃんは目を輝かせながら

辺りを見回していたので、

これでよかったのかなと思います。


他愛のない会話をしていると、

不意にミオちゃんが

笑ってくれることが

多くなりました。

徐々にですが、私との距離感も

測ることができてきたのでしょう。


楽しくなる反面、

天候はどんどんと荒れていき、

強風が吹く回数が増えていきます。

2人で前髪を押さえながら

流石にまずいかな、と顔を合わせました。


ミオ「室内の方行かない?ちょっと風が強すぎる気がして。」


悠里「あ、ミオちゃんもそう思う?」


ミオ「うん。もう髪の毛吹っ飛びそう。」


悠里「あはは。大変大変、すぐ入ろう!」


室内に入ると、むしっとした空気も

冷房のおかげで霧散していきます。

たまたま入った施設では

うさぎと触れ合えるコーナーがあり、

元より室内だったためウサギたちが

どこか別の場所で待機することもなく、

運良く体験することができました。


何匹かいる柵の中に

そうっと立ち入っていきます。

近づいてくる子もいれば

さっさと跳ねて逃げる子もしばしば。


ミオ「わあ…!」


悠里「かわいいっ!」


ミオ「ね、めちゃくちゃかわいい。」


悠里「うさぎ好き?」


ミオ「うん!でもね、お姉ちゃんの方がもっとうさぎ好きなんだ。」


悠里「そうなんだ。」


ミオ「気づけばウサギをモチーフにしたグッズをたくさん買ってるの。」


ミオちゃんはうっとりとした目で

近寄っていた茶色のうさぎに手を伸ばし、

優しく優しく撫でていました。

うさぎ特有の獣臭も

その数となれば流石にするだろうと

思っていたのですが、

思っているほどはきつくもありません。

私もうさぎに近づこうとしゃがむと、

ぐんと地面が近くなって

不思議な気分になりました。


周囲にはたまたま人がおらず

貸切状態のまま、時は緩やかに

経ていくのを感じます。


悠里「ミオちゃんにとって、お姉さんは大切な存在なんだね。」


ミオ「え?」


悠里「え?って…その、お姉さんの話をよくするものだから、そんなのかなって。」


ミオ「私、そんなにお姉ちゃんのこと話してた?」


悠里「話してたよ。嬉しそうにね。」


ミオ「…やだなぁ、恥ずかしい。」


悠里「そんなことないよ?姉妹の仲がいいって素敵なことじゃん。」


ミオ「そうかな。」


悠里「そうだよ!間違いない!」


ミオ「…えへへ。」


悠里「あのさ、お姉さんのどんなところが好きなの?」


ミオ「えっとね。まずは頑張り屋さんなところ。んで、その頑張ってる姿を周りにはあんまり見せないところ。」


悠里「影の努力家さんって感じ?」


ミオ「そうなの!忙しくてもそんな顔せずゆとりのありそうな態度をしてるし、いつも余裕がある感じ。それがかっこよくってさ。」


悠里「うわあ、憧れちゃう。」


ミオ「えへへ、私も。それに、どんな困難なことでもまずはやってみようって考えるんだ。」


悠里「うんうん。」


ミオ「それから…人が困ってるのを見捨てない優しさとか。」


悠里「自慢のお姉さんなんだね。」


ミオ「うん!」


ミオちゃんは満面の笑みで

こちらを振り返っては

大きく頷きました。

その反動で彼女の眼鏡が

かたりと揺れるほど。


しかし、ミオちゃんが楽しそうに

話すのとは裏腹に、

自分の話はほぼしないと

感じ始めていました。

お姉さんが大切なことは

十二分にわかりますし、

憧れていることもわかるのですが、

どうにもそこに影を感じずには

いられません。

まるで、自分の劣等感を

姉という存在が原因なのに

姉の存在で隠し見えなくしているような。


ミオ「はあ、私の未来はどうなってるかな。」


悠里「さあ。」


ミオ「お姉ちゃんみたいになれてるといいけど。」


悠里「…。」


ミオ「…あのね、昨日の夜からずっと考えてることがあってさ。聞いてもいい?」


悠里「何?」


ミオ「……2年後の私ってこの時代にいるの?」


ミオちゃんはこちらを見ることなく、

何を感じているのかわからない目で

ウサギを直視していました。


ミオ「私と、数年後の私が入れ変わったのかな。それとも今この時代に私ともう1人いるのかな…って。」


悠里「…。」


ミオ「悠里ちゃん、何か知らない?」


ゆっくりと振り返る彼女。

ミオちゃんの差し出したままの

手の近くには、

うさぎがわらわらと集まってきていました。


悠里「…私はわからないや。」


ミオ「…そっか。」


悠里「でもね!」


ミオ「…?」


悠里「…私、今のミオちゃんの、2年後の澪ちゃんに会ったことがあるよ。」


ミオ「どんな感じだった?大人っぽくなれてたらいいなぁ。」


悠里「聞いちゃったら未来への楽しみが減っちゃうでしょ?」


ミオ「うーん…そっかぁ…。」


悠里「だから内緒。」


ミオ「少しだけ!どんな外見だったとかでもいいから。」


悠里「そんなに知りたいの?」


ミオ「うん。だってもしお姉ちゃんとかけ離れるようであればその…ちょっと嫌だな、とか思うし…。それに、タイムパラドックスだっけ、が起こるのも良くないでしょ…?」


悠里「あー…。でも、結局はなるようになると思うよ。だから知らない方がもしかしたらいいのかかもしれないね。」


前者が本当の理由でありそうなのは

容易に想像できてしまいました。

一種の危険すらも感じてしまいます。


タイムパラドックスの件に関しては

高校3年生の方の澪さんに

この夏に何があったか

詳細に聞くべきだったのかもしれません。

そもそもこの子がどうやって

こんなところにまできてしまったのか、

未だに理由はわかっていませんし。

不安ばかり募る一方です。


悠里「…ミオちゃんは帰りたいんだよね?」


ミオ「え?うん、もちろん。」


悠里「そうだよね…。ミオちゃんってどうしてタイムスリップしたのか、思い当たるところはある?」


ミオ「うーん…お姉ちゃんと何度も行ってるパン屋さんの前を通った時にね、今日みたいな風が吹いたの。」


悠里「強めの風?」


ミオ「うん。でも台風だからとかじゃなくって、なんかこう、違ったんだよね。」


悠里「…?」


ミオ「強めの風ってことは一緒なんだけど…なんていうかな、ちょっと嫌だなって感じ。酔う感じ…かな…。」


ミオちゃんは言葉が見つからないようで、

うさぎの顎を指で撫でながら

言葉を紡いでいきました。


ミオ「そしたらもう2年後だった…みたいな。実際、詳細な場所はわからないんだけど、違和感があったとすればそこなの。」


悠里「そのパン屋さんの場所は覚えてる?」


ミオ「うん、ばっちり。」


悠里「そっか、わかった。」


ミオ「早く帰らなきゃなのに、こんなところにまできちゃって…面倒も見てもらっちゃってごめんね。」


悠里「謝ることじゃないよ。…。」


すぐ帰らないとね、と言おうとしたのに、

何故かその言葉が口から

出てきませんでした。

それはきっと、彼女の危うさを

前面に感じているからだと思います。

このままお姉さんの元に帰ったら

彼女はこれまで通り

お姉さんになろうとして

頑張っていくのでしょう。

お姉さんに成り代わる存在になるのか、

理想からかけ離れていることに

絶望するのかまではわかりませんが、

あまりいい未来を想像できなかったのは

私の想像力げ乏しいせいでしょうか。


悠里「…少し、このミオちゃんの件について知ってる人がいるかもしれないの。」


ミオ「私のことについて?」


悠里「そう。確認を取りたいから、明後日まで時間が欲しいな。」


ミオ「…わかった。」


本人は間違いなくすぐに帰りたそうだが、

意外にも従順で拗ねたように

そう口にしていた。


悠里「ありがとう。」


あどけない少女のように

膝を抱えてうさぎと戯れる彼女。

高校1年生で私と同学年とはいえ、

当然のことながら人が抱えているものは

それぞれ違います。

私だって…。

…。

いや、私のことは今は

置いておきましょう。


首を浅く振ると、

いつしか、澪さんが言っていた言葉が

不意に浮かび上がってくるのでした。





°°°°°





澪「今からいうことは全く訳のわからんやろうことやけど、聞いてほしいっちゃん。」


悠里「…?はい。」


澪「悠里は優しい人やけん、手を差し伸べることができる。それに救われた人がいると。」



---



澪「そのことを忘れんとって。生きることが嫌になっても、そのことだけは絶対に。」


悠里「…わ、かりました。」





°°°°°




今のこのことに通じているのか、

はたまた別の出来事について

言及していたのかまでは

理解することは難しい。

それなのに、この浮かんできた言葉を

妙に信じ始めてしまう

私がいるのでした。

信じて行動しなければ

いずれ溺れてしまうような、

緊迫感にも似た何かが

背後から迫ってきているような…

そんな不快感を覚えたのでした。





***





こころ「やほやほ、いらっしゃい!」


澪「お邪魔します。」


こころ「いやあ、昨日はごめんね!」


澪「なん、うちの方が迷惑かけとっちゃけん。」


こころ「にしても急に泊まらせてなんてほんとびっくりだよ!」


どーぞ、と通された場所は

完全に散髪屋だった。

家の中でも1階は

お店として使用しているらしい。

廃れている様子もなく、

現在も営業している場所であることは

一目瞭然だった。

今はお盆期間なので

お店を閉めているのだろう。

息はあるのに眠っている

動物のようにも見えてきた。


三門に促されるままに

奥の階段を上り、

居住スペースへと足を進める。


すると、リビングとダイニングに

仕切りのない広々とした

スペースがあった。

扉がいくつかついており、

それぞれ別の部屋であったり

水回りの場所であったりするのだろう。


こころ「ソファにでもどこでもいいから座って座って!」


澪「ん。」


こころ「あ、その返事。」


澪「なん?」


こころ「いーや、なーんにもなーい。」


三門は楽しそうにふらっと

部屋から出ていった。

うちみたいなひねた性格をした人なんて

扱いづらいはずなのに、

三門や昨日お世話になった高田は

全く挙動不審になることはなかった。

むしろ楽しんでいるというか、

そのままを受け入れているというか。

困ったような表情を

全くと言っていいほど

見せなかったのだ。


澪「…変な人らやな。」


高校1年生の頃は、

まだ真面目になろうと頑張っていたし、

優等生っぽそうな友人に囲まれていた。

しかし、夏休みがあけて以降は

その時の友達はみんな離れていった。

それも、うちが不良のような

見た目になっていったから。

みんなうちの変化を嫌悪して

離れていったのだ。

中には性格を変えてから

仲良くなった子もいる。

つい先日電話をかけた同級生だ。

でも、その子は今のうちに似ているから

話が合うようなところもある。


しかし、三門や高田に限っては

全くの別人種。

それなのにうちみたいなやつとも

よく接してくれるなんて

一体どういうことなのだろう。


こういう部分にも

人間不信の部分が垣間見える中、

三門は2つのグラスにお茶を入れて

持ってきてくれた。


こころ「はい、どーぞ。暑かったでしょ。」


澪「ありがとな。」


こころ「ううん。あ、そうだ。今ね両親は買い物に行ってるんだ。」


澪「もう夜なんに?」


こころ「短かったけど帰省中は冷蔵庫の中身を空にしてたんだよー。」


澪「…そっか、忙しい時にごめん。」


こころ「いーのいーの!そのかわり、親は何にもしないって言ってたから、後でご飯買いに行こっか。」


澪「ん。」


こころ「それとね、お姉ちゃんがもう1人暮らししちゃってて部屋が空いてるから、そこ使っちゃって!」


澪「いいと?」


こころ「もちろん!ってか、僕が人を自分のベッドにあげるのが苦手なだけでねー。」


とほほ、と言いながら

後頭部に手を添える。

それだけで何故か威圧感があるなと思えば、

そうだ、こいつは身長が高いんだった。

うちも平均的に見れば高い方だが、

流石に三門には勝てない。


こころ「お布団はあるから安心して!」


澪「ん。」


こころ「にしても、昨日は大丈夫だった?」


澪「え?」


こころ「ほら、湊!あの子元気よかったでしょ。」


澪「まあ、賑やかやったな。」


こころ「あはは、やっぱり。でもいい子でしょ?」


澪「うん。いい子やね。同じクラスなん?」


こころ「全然!ってかあの子留年しちゃったから、もう同じクラスにはなれないんだよねー…。」


澪「え。高校1年で?」


こころ「高校1年生で!」


澪「うわあ、何したんや…。」


こころ「ただ授業中寝てただけで、他に悪いことしてるなんてことなかったよ。」


澪「ただただ勉強がネックやったんや。…まあ、成山ヶ丘やもんな。」


こころ「あははー…そんなにハードル高くないよ。」


澪「嘘いい、あそこ偏差値高いやろ。」


こころ「なんていうかな、入るまでが大変って感じ。単位落とすことはそうそうないよ。」


三門はてへへ、と

軽々言って見せるが、

うちからすればただ

謙遜しているようにしか見えなかった。


3年前、実はうちも

成山ヶ丘を目指して

受験勉強をしていた。

しかし、全く成績は伸びず

直前で私立の専願に変更。

それでも準備が足りずに落ちてしまい、

案の定公立入試もぼろぼろ。

うちならもっと行けたのにだとか、

本気を出していなかっただけだとか

言い訳ばかりが浮かんでくる。


その時に本気を出せなければ

今後本気を出すことなんて

ずっとできないというのに。


自分の中に大きなコンプレックスを

抱えているとは梅雨知らず、

三門は楽しそうに話すのだった。

三門の楽しそうに話している

という声しかキャッチできなかった。


もしかしたら、うちのことを

気遣うようなことだって

言っていたのかもしれない。

それでも、昨日から気疲れからの

疲労が溜まっているのだろう。

段々と会話が遠のいているような

気すらしてしまったのだ。


生返事を返していたのかすら

覚えていないうちに、

いつの間にかバイトの話になっていた。


きっと彼女なりに

話題を選んでいるのだろう。

三門と話すのには地雷が多かった。

学歴だってそう、吉永のことも、

あとは姉のことだって。


延々ともやを抱えていると、

不意に三門はテレビをつけた。

ざわざわと笑い声がしている。

夕方のバラエティが

放映されているらしい。


こころ「ねね、なんで泊まりなんて言い出したの?」


澪「姉妹喧嘩や。」


こころ「あ、そんなこと言ってたような。」


澪「なん、あと2日くらいすれば戻るけん。」


こころ「そんなに長く家出するの?」


澪「ん。」


こころ「全くー、何があったらそんなに大きな喧嘩するの。」


澪「色々あるもんやろ。」


こころ「そっかぁ。」


澪「…姉のことが嫌いやけんさ。すぐに戻りたくないっちゃんね。」


ただの嘘だ。

いや、嫌いという点は嘘ではないが、

嫌いだから戻りたくないわけじゃない。

ただ単に過去の私と

遭遇する可能性があるから

帰れないだけだった。


それを説明するわけにもいかず

それ以降口を閉じていると、

三門は重ねて「そっかぁー」と呟いた。


三門「まあさ、家族とは言えど違う人間なんだし、嫌いになってもいいと思うな。」


澪「…。」


こころ「何か大切なものを壊しちゃったり、酷いことされたりしたの?」


澪「思ったよりずけずけ入ってくるったいね。」


こころ「嫌だったら答えなくていいんだよ!」


澪「そんな後から取ってつけたような。」


こころ「あははー…ごめん、僕デリカシーないよね。」


澪「…。」


違う。

と、口から出すことができなかった。

きっと三門は無言になることを

回避するためにあれこれ聞いているのだ。

これだってひとつの気遣いであることには

流石のうちも気づいている。

けれど、口から出るのはいつだって

思ってもいないようなことばかり。


うちはこの2年間の間で

ひねくれてしまったのだ。


澪「…ま、酷いことを言われたってのが正しいかな。」


こころ「…そうなんだ。」


澪「それまで信頼してたからこそ、裏切られたってばり思って。それからはもうちぐはぐ。」


こころ「そっかぁ。…そっかー…みおみおはさ、うーん…。」


澪「その呼び方やめん?呼ぶ側もだるいやろ。」


こころ「確かに。じゃあ澪はさ。」


澪「なん。」


ふりふりのスカート、

ふりふりのブラウスを着た三上は

机を挟んで向いに座り、

膝を抱えて上目遣いをした。


こころ「お姉さんのこと、恨んでる?」


澪「…。」


こころ「ほら、信頼してたって言ってたから。今はどうなんだろうって思ったの。」


澪「…さぁ。…恨んでるんやと思うよ。」


性格な答えが出なかった。

三門は満足したのだろうか、

それとも呆れてしまったのだろうか。

「仕方のないこともあるよね」と

ぼやきながらテレビの方へ

体を向けた。

足を伸ばしたようで、

長い足が見える。


自由と達観を兼ね揃えているとはいえ、

赤の他人である三門にも嫉妬してまう。

皆、うちにないものばかり持っている。

反対に、うちには何もない。

空っぽなのだ。


だから僻むことしかできない。

恨むことしかできない。

そうすることで自分の

なりたくない自分に近づいていると

知っていながらも止めることができない。

すること全てに罪悪感が湧く。

それでも、ひねた反応しか返せなくて。

素直になることができなくて。

恨むことしかできなくて。


この悪循環に取り込まれてから

抜け出す方法をずっと探してる。

それでも。





°°°°°





「あんなやつ、さっさと消えればいいのに。」





°°°°°





雪よりも冷たいあの言葉が

いつまでも記憶に残り続けてる。


忘れられたら。

忘れられたら、どんなによかったんだろう。

テレビが賑やかに笑う中、

三門と違って膝を抱えることしか

できなかった。


細い細い記憶が今でも

うちの足に絡まっていた。

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