さよなら
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死者の帰る季節
「お大事に。」
悠里「ありがとうございました。」
頭を下げて、3人の背中を追う。
1歩外に出てみると
そこは夏の湿気を纏った空気が
存在していました。
お母さん「退院おめでとう、悠里。」
お父さん「一時はどうなるかと思ったが、退院できて本当に良かったよ。」
両親は私に向かって微笑みます。
私と同じくらいの身長のお母さんは
夏になったからでしょうか、
ひとまわり小さくなって
いるように見えました。
結華「……おめでとう。」
悠里「ありがとう。」
お母さん「これからたくさん大変なことがあると思うけれど、お母さんたちみんな、悠里のことを助けるからね。」
お父さん「なんでも言うんだぞ。」
悠里「うん。」
笑ってみる。
すると、両親もさらに柔らかな笑みを
返してくれるのでした。
私が目覚めてして以降、両親は気を遣って
くれていることがわかります。
何かと不満がないよう
提案をしてくれました。
加えて好きなようにしてほしいと
何度目でしょう、念を押して言われました。
前までの私は嫌なやつだと
結華から聞きましたが、
両親からはどう見えていたのでしょうか。
引っ込み思案で自分の要望を
なかなか口に出せない子
だったのでしょうか。
好意はありがたいものの、
気を遣わせすぎているような気がして
へらへらと薄っぺらい
笑みを浮かべることだけをしました。
両親と結華とは敬語を取っ払って
話すようになりました。
結華から聞くに、学校にいる時は
同級生とは敬語はなくていいと
言われました。
…が、記憶喪失だし、話し方くらい
好きにするといいなんて
後から相反することを言っていました。
私の過去の姿を思い返しては、
その通りであってほしいと思う気持ちと
私は私なのだから自由に選んでほしいと
思う気持ちが混在しているのでしょう。
結華とは入院中の一件を経て、
腹を割って話せるように
なったのではないかと
思っている節があります。
私の思い違いではないことを
祈るしかないのですが、
変に避けられていたあの距離感が
なくなったように思うのです。
近くなったといえばその通りなのですが、
結華は私と対面していても
時々遠いところを見つめています。
私の瞳の奥に過去の私を見ているようで、
その途端思い出せないことに
申し訳ない気持ちと
無駄な焦燥感がよぎるのです。
今のところ思い出せたことも
思い出せそうな兆候も何もなく
今日にまで至ったせいも
あるかもしれません。
どこもかしこも蝉だらけで
窓を閉じていても
夏を感じる季節になりました。
とはいえ、私の家は防音対策が
しっかりとされているようで、
蝉の声も車が走り去る音も
一切耳には届きません。
私の部屋は妙に綺麗で整頓されていました。
元からこうだったのか、
私がいない間に掃除されたのか
見当がつきません。
ギターや楽器が入っているであろう
ケースが目に入ります。
恐る恐る開くと、
そこにはぴかぴかに磨かれた
トランペットが入っていました。
新品なのか、使い込んでいるのかすら
把握することができず、
楽器に伸ばす手を引っ込めました。
本がいくつか並んでおり、
入院中に読んだものがほとんどでした。
教科書も並んでいて、
開けば時折メモが書かれており、
真面目な生徒だったのだと
推測することができました。
しかし、別のページには落書きが。
まるで別の人格を持っているようで
不可思議な気持ちになります。
悠里「難しい…。」
数学の問題と向き合えば
向き合うほどその難しさがわかります。
顔を突き合わせてようやく
困難さが現れます。
それまでは焦りのみが
頭の中を支配していました。
対面して見ることで
少しだけ打ち砕かれることがある、
瓦礫の山にヒビが入り、
少しだけ奥が見えるようになる。
そのような感覚がありました。
記憶を失っているのに
勉強はできるのか、言葉は喋れるのか、と
ふと不思議に思い、
手元にあったスマホに手を伸ばす。
調べてみると、それらを司る
脳の部分が違うのだとか。
悠里「へぇ…。」
知らなかった。
昔の私は知っていたんでしょうか。
こんこん、と扉が鳴ります。
振り返ると結華が立っていました。
結華「…。」
悠里「…?どうしたの?」
結華「どう。」
悠里「部屋のこと?なんだか知らない人の家に来たみたい。」
結華「思い出せない?」
悠里「全く駄目。」
結華「そっか。」
結華がひと息吐く。
…気のせいでしょうか。
一瞬、安堵したように
笑ったようにも見えたのです。
悠里「うん。でも、思い出すとか思い出さないとかどうでもいいや。」
結華「うん、わかった。」
悠里「話変わるけどさ、数学って難しいね。」
結華「宿題してたの?」
悠里「ううん。だって宿題はまとめて1日に終わらせるっていう耐久レースをしたいんだもん。」
結華「あはは、言ってたね。それ、いつにする?」
悠里「お盆は図書館空いてないし、お盆後すぐ!」
結華「じゃあ18日はどう?」
悠里「おっけ、そうしよう!」
結華「それで、結局何をしてたの。」
悠里「んー、教科書見てたの。何となく。」
結華「へえ。」
すると結華は近くに寄って来て
後ろから教科書を覗き込みました。
パーソナルスペースが
良くも悪くもないのは
姉妹ならではでしょう。
結華「まあ、悠里は理系のイメージがあったなぁ。」
悠里「そうなんだ。」
結華「双子で見た目も声も似てるとは言え、得意なことはばらばらだったよ。」
悠里「例えば?」
結華「私は文系、悠里は理系でしょ。それから、私は絵を、悠里は音楽をやってた。」
悠里「芸術って言う面では一緒だけどね。」
結華「そうだけど、それが何となく逆って感じがするの。あとは、私は大人しくしてる方で、悠里は賑やかでクラスの中心だった的なこととか。」
悠里「へえ。」
結華「だから、中身って思ってる以上に真逆だったんだよね。」
悠里「そうかな?」
振り返ると、きょとんとした
顔をしている結華が目に入りました。
結華「うん?」
悠里「私は似てると思ったな。」
結華「パッと見てわかること以外でも?」
悠里「うん。そうだなぁ、周りのことを考えすぎちゃうこととか?特に姉妹に対して、なんかこう、気を遣っちゃう時があるって言うか。」
うまく言葉にできないけれど、
大まかに言ってしまえば
優しいところが似ているのです。
結華は、私に向かって
昔のように戻らなくていいと、
私は私として生きていいと
言ってくれました。
私も私で…自分で言うのもなんですが…
その言葉を聞いた上で
結華が望むような方を選びました。
昔の私が最低なやつだったと聞いて、
そのようにならないようにと
こっそりと心に決めていたのです。
結華「良くも悪くも優しいって?」
悠里「そう、それが言いたかったの!」
結華「…そっか。」
昔の私はこんな感じではなかったのでしょう。
ため息混じりに言う彼女は、
一体何を思っているのでしょうか。
悠里「あ、そうだ。私って音楽してたんだよね?」
結華「うん、吹奏楽部ではトランペットを吹いてたし、あとは趣味でギターもしてた。」
悠里「…だから楽器があったんだ。」
結華「やってみる?」
悠里「ううん、今は大丈夫。」
結華「ほんと?せっかくだしやってみたら…」
悠里「なんかね、本当になんとなくだけど、今は触りたくないんだよね。」
結華「そう、ならいいよ。」
悠里「ありがとう。そうだなぁ…そんなに音楽にどっぷり浸かってたんだ。」
結華「ずっと何かしら音楽は聞いてたし、家に帰ったら演奏してたね。防音だからあまり聞こえなかったけど。」
悠里「そうだ、私が聞いてた曲とか教えてほしい。」
結華「曲かぁ。」
あんまり仲良くなかったから
わからないんだよね、とこぼしながら
机の引き出しの中に仕舞い込まれていた
タブレットを取り出しました。
入院して以降使ったことがなく、
自分のタブレットは初めて見ます。
いつからか充電していたのか、
電池のマークはほぼ満タン。
結華は慣れたように
ロックを解除してホーム画面へと向かいます。
悠里「仲が悪かったって言ってたよね?」
結華「うん。」
悠里「何でロック番号がわかるの?」
結華「危なっかしい人間だったからさ、念の為控えておいたの。リビングでいじることも多々あって、その時に盗み見したんだ。」
悠里「結華の方が悪い人…。」
結華「大丈夫、私が実際に番号をこうやって打ち込んだのは初めてだから。」
悠里「記憶を失っちゃったし、今となっては良かったかも。」
結華「うん、私もそう思った。」
そのまま慣れた手つきで操作すると、
動画投稿サイトを開きました。
すると、ずらっと音楽が並びます。
普段からずっと聞いていたのでしょう。
自分の再生リストもあり、
中はほとんど邦楽でした。
洋楽のフォルダもあるにはあるのですが、
基本は日本の曲を聞いていたようです。
結華「これとかどう?」
そう言って結華が押したのは、
空がサムネイルになっている動画でした。
有名ではないようで、
隠れた名曲というものなのでしょう。
音量もちょうど良く、
夏らしい爽快な音が流れます。
しばらく聞き入っていると、
海のシーンが流れました。
映像を見ているだけで、
音までが脳内に響いていきます。
結華「私達ね、Vsingerって言って、歌ってみたを投稿してたの。」
悠里「あ、それ、Twitterで言われたことある。」
結華「そうだったんだ。」
悠里「でも覚えてなくって…ぴんと来なかったの。」
結華「仕方ないよ。」
憂いた顔のまま
その動画を見る結華。
仕方ない。
仕方ないのは本当のことだし
私は私として生きようと
決めたのは良かったのですが、
本当にこのままでいいのか
不意に疑問が湧いて出ます。
そんな私の揺らぎをよそに
結華は続けました。
結華「それでね、名前の由来がちゃんとあったの。」
悠里「由来…。」
結華「そう。悠里が空で、私が海。」
それを聞いてハッとすることもなく、
またタブレットへと視線を戻します。
今度は海岸線を走る
制服姿の女子高生が映っていました。
海と空の狭間を突っ切るその陰は、
まるでそれらを分断するようにも
思えました。
けれど、そのおかげで
海と空はひと続きだと
認識できるような…
安心と不安が混じり合い
同時に存在している、
何とも奇妙な状態に陥ったのです。
その曲を聴き終えると、
何だか心がすかっと軽くなりました。
理由は分かりませんが、
これが音楽の力なのでしょう。
映画をひとつ見終わったような
満足感で溢れていました。
悠里「音楽っていいね。」
結華「うん。いいよ。」
言葉は少なく、それだけ言うと
タブレットの電源をそっと切りました。
私も何となく数学の教科書を閉じて
そのまま席を立ちます。
悠里「外の景色の動画見てたら外に出たくなって来ちゃった。」
結華「どこか行く?」
悠里「うーん、目的地は決めずに気ままに散歩したい。」
結華「そっか。ついていくよ。」
悠里「病み上がりだし、そっちの方が安心だよね。」
結華「うん。」
せっかくだしもっと結華と
話したかったからちょうどいい。
さっきの曲はとても良かったはずなのに、
何か小枝のさらに小さい棘のような、
小枝の髪の毛といってもいいほど
小さな何かが引っ掛かるような気がしました。
それを払拭するために
散歩に出かけるのです。
何が気に食わなかったんでしょう。
何が引っ掛かっているのでしょう?
疑問に思うことに今度は
不快感が募っていくようで、
そっとその不快感に蓋をしました。
身支度を整えて外に出ると、
どんよりとした雲が
お出迎えしてくれました。
結華「雨降るかもだから、少しだけ早めに戻ってこようか。」
折りたたみ傘を鞄に入れ、
家の鍵を閉めながら
結華がそういっていました。
外の空気は重く、
歩くだけで、否、立っているだけで
汗がつうっと流れ落ちます。
これまでずっと病院の中で
寝転がっていた私にとっては
少しばかり苦行を
強いられているようでもありました。
廃れた商店街や
閑散とした公園のそばを歩きながら、
結華と話をしました。
時折無言で隣を歩くこともありながら
神奈川県の町並みを堪能します。
お盆とも慣れば帰省している人が
大勢いるのでしょう。
人口密度が少しばかり
低くなっただけなのに、
まるで都会で大災害がおこって
皆逃げ出しているかのような
寂しさに襲われました。
隣の結華は、それに対して
特に何も思っていないのか、
あまり表情を変えることなく
淡々と歩き話していました。
だんだんとわかってきたのですが、
結華は冷たいのではなく、
表情変化がほぼないが故に
冷たく見えるだけなのです。
記憶が戻って早々
怒鳴られはしたのですが、
それは混乱があってのこと。
どれほど優しい人間だとしても
かちんときたり、自分で処理しきれない
やるせない気持ちくらいあるもの。
結華は自分の中に
自分を閉じ込めすぎてしまうのでしょう。
もしかしたら自分を捨て去って
はじめからになった私を
羨ましがっているのかもとすら
感じたことがあります。
しかし、それはただの私の妄想。
勝手に語るのも良くないと思い、
そっと瞬きをしました。
結華「…あ。」
悠里「うん?」
結華が短く声を上げて
ぴた、と足を止めました。
何事かと思い、結華を見ながら
私も足を止めます。
悠里「どうしたの。」
結華「あれ、迷子?」
悠里「…?」
結華の指さす先を見てみれば、
両手でスマホをぎゅっと
握りしめながら、
ずっと右往左往して
周囲をきょろきょろと見回している
女の子がいました。
結華「ずっと見てたんだけど、何かおかしいなって。」
悠里「声かけてみる?」
結華「え、でも」
悠里「本当に困ってそうだからさ。私、行ってくるよ。」
たたん、と靴を鳴らし、
その子へと近づいていきます。
きっと私は、何者かに
なりたかったのだと思います。
空っぽの私、空っぽになってしまった私は
何者でもないのです。
ただの器です。
それを変えたいと密かに心の中では
炎が上がっていたのを
私自身は知っていたのです。
それを変えることができるのは
今この瞬間だと不意に思ったのです。
近づくと、私と同じくらいの
身長であることが窺えます。
ストレートの綺麗なボブで、
メガネをかけていました。
迷子ということは年下かな
なんて考えていたのですが、
外見だけで全てを判断するのは
危険ですよね。
もしかしたら大人の方かも
しれないなんて思いながら
緩やかに正面に立ちました。
悠里「あの。」
「…っ!」
悠里「何か困ってますか?よければお手伝いしますよ。」
「…。」
その人は俯き、片手をスマホから離して
だらりと垂れさせました。
全てを諦めたかのような動きに
私はどうすることもできません。
たた、と後ろから走ってくる音が
したかと思えば、
そこには結華が立っていました。
どうやら様子を見にきたようです。
「…その、帰れなくて。スマホも電源がつかないんです…。」
悠里「そうなんですね。住所はわかりますか?」
「分かるけど、でも…。」
悠里「…?」
結華「…何か事情がありそうですね。…そうだなぁ、名前とか聞いてもいいですか?」
ミオ「…私、篠田ミオです。高校1年生で…。」
悠里「1年生ってことは、私達と同い年だ!」
ミオ「そうなんですか?」
悠里「うん、だから敬語じゃなくていいよ。」
ミオ「わかりまし……あ、うん…わかった…。」
結華「…篠田…さんね。」
悠里「…?あれ、イメチェンした?この前お見舞いに」
結華「しっ。」
悠里「あ、うん……?」
結華は私の前に立って
制するように手を伸ばしました。
何事かわからずぽかんとします。
篠田って、この前入院時に
お見舞いに来てくれた人では
なかったでしょうか。
その時は眼鏡をかけておらず、
髪はもっと長かったように思いますが…。
ついばっさり切って、
今日は休日ですしコンタクトを
していないだけなのではないかと
思っていました。
…が、結華の横顔は真剣そのもの。
何か心臓の隅が変に
ぞわぞわとしていることに
気がつきました。
ミオ「…あの…。」
悠里「うん?」
ミオ「ここって…未来なの?」
悠里「未来…?」
結華「待って。何でそう思ったの?」
悠里「結華…?」
ミオ「えっと、さっき横を通ったおばあちゃんとその娘さんかな、話してて…やっとコロナ対策も終わったって…。」
結華「…ああ…。」
ミオ「全然そんなことないんです。何なら緊急事態宣言中なはず。マスクを外して歩いている人なんて見当たらなかった。なのに…。」
悠里「マスクを外している人がたくさんいた。」
ミオ「うん。それに、外に人が多いっていうか…。」
結華「だから未来だって思ったんだ。」
悠里「緊急事態宣言って…。」
記憶がごそっと抜け落ちているからか
あまりピンと来ていないが、
コロナが流行っていたことは
ニュースを見たことで覚えています。
結華「…うん、2、3年前のこと。」
悠里「ミオちゃんは何年から来たの?」
ミオ「私は…2021年です。」
結華「…。」
悠里「落ち着いて聞いてね。ここは今2023年なの。」
ミオ「え…っと…。」
結華「待ってよ悠里、本当にそんなことってありえるの?」
だって、本当だとするならば
この子はタイムスリップを
してきているということになります。
それは、実際には起こり得ないこと。
私は、私たちは
この子にいたずらされている
だけなんじゃないでしょうか。
そう思うのも理解できます。
しかし。
結華「この人が嘘言ってるって可能性だって」
悠里「ないよ。大丈夫。」
結華「どうして…そう、言い切れるの。」
悠里「だってこの子、本当に困ってるじゃん。」
ミオ「…!」
目を見開いて、こちらをじっと見つめる
その大きな目には、
涙が溜まっていました。
近い時代とは言え1人で彷徨うのは
心細かったでしょう。
悠里「今日、行くあてはあるの?」
ミオ「…家に帰っていいのかわからなくて、ずっと…外を…。」
結華「…家は危険だろうね。」
ミオ「…。」
悠里「どうして?」
結華「ちょっとこっち。」
結華は私の手を引いて
ミオちゃんから少し距離を置きました。
そしてものすごく小さな声で、
自転車さえ通れば聞こえなくなるような
声で私に話します。
結華「この時代にも篠田さんはいる。それは分かるよね?」
悠里「うん。お見舞いに来てくれた人だよね。」
結華「そう。きっとこの時代の篠田さんは普通に存在してる。」
悠里「あ…。」
結華「となれば、今の家は高校3年生の篠田さんの家であって、ここにいる過去の篠田さんの家じゃない。」
悠里「じゃあミオちゃんは…。」
結華「帰る家はない。きっと自分だっていう証明もできない。」
悠里「そんな…。」
結華「…ひとつ言えるのは、できるだけ早くにあの子を元の時代に返してあげること。」
悠里「…わかった。じゃあ、それまでの間私たちの家に泊まらせてあげようよ。」
結華「…本気?」
悠里「だって、家にも帰れないんでしょ?荷物だってスマホ以外になさそうなんだよ。」
結華「…お金も持ってはなさそうだもんね。そもそも鞄がないし。」
悠里「このまま放っておいたら、本当に死んじゃうよ。」
結華「大袈裟だと思うけど…でも、可能性としてはない話じゃない。何か事件に巻き込まれることだってある。」
悠里「でしょう?お母さんやお父さんならきっとわかってくれるよ。」
結華「いや、流石にそのまま話したって受け入れないと思うよ。」
悠里「そっか…友達が急にって言えばいっか。」
結華「うん。同級生で、勉強会をしようってなってとか、理由は適当に言っておく。私が親に連絡するよ。」
悠里「ありがとう。」
こういう時に双子の仲の良さが
出るのかもしれないなんて
どうでもいいことを考えながら、
またミオちゃんの元へ戻ります。
ミオちゃんは不安気に
眉を下げては小動物のように
肩を縮めていました。
悠里「そんなに怯えなくて大丈夫だよ。」
ミオ「でも…」
悠里「不安だよね。うん…簡単に分かるなんて言っちゃ良くないと思うけど、怖くなるの、分かるよ。」
ミオ「…。」
悠里「今日行くあてがないのなら、私たちの家においで。」
ミオ「え…。」
悠里「このまま彷徨うのもあまり良くないし、その…お家に帰りたいだろうけど…えっと…。」
ミオ「…2年後の…ここでいう今の私がいるんですか?」
悠里「…その可能性が高い。」
本当のことを言うべきなのか
迷ったけれど、
きっとここは誤魔化したって
何となく想像できてしまうでしょう。
理由を言わずに「帰ったらダメ」なんて
そんな理不尽なことはできませんでした。
ミオ「………わかりま…した…。」
ミオちゃんは俯き、
しぶしぶそう答えました。
結華「泊めていいって。」
親との電話を終えた結華は、
私たちに向かってそう放ちながら
こちらに向かって歩いてきます。
結華「どうかな。服も寝床も貸すし、ご飯だって用意する。」
悠里「そんな拉致するかのような…。」
結華「違う違う。そんなこと言ったらミオが怯えるでしょ。」
悠里「あ、本当に違うからね!えっと、良かれと思ってやってるっていうか、その…」
結華「悠里のせいで余計怪しいって。」
悠里「えと、えと、本当に違うんだよー…。」
ミオ「…わかってます。」
ミオちゃんは呆れたのか
小さく困ったように笑って言いました。
ミオ「お2人がいい人なのはわかります。」
悠里「ほ、本当…?」
ミオ「はい。…その…いつまでになるかわかりませんが、少しだけお世話になってもいいですか…?」
申し訳なさそうに更に
肩を縮める様子を見て、
随分と困っていることが
より一層伝わってきました。
悠里「もちろん!もちろんだよ!」
ぎゅっとミオちゃんの手を取って
握りしめます。
すると、さすがに驚いたようで、
ばっと頭を上げて目を見開いていました。
悠里「私、槙悠里。よろしくね。」
結華「結華です。よろしく。」
ミオ「はい…!」
未だ不安を払拭することは
全くできていないようだけど、
彼女が今日落ち着いて
眠ることができれば
それでいいなと思います。
それから3人で家に帰ると
親は快く迎え入れてくれました。
ミオちゃんがお風呂に入っている間、
結華と話をしては
今日は何も聞かないことに
しようということに決まりました。
と言うのも、今日ミオちゃんは
精神的なダメージが大きく
疲れているだろうからです。
今日はよく食べてよく眠って
もらうことにしましょう。
話すことは明日にだって
できるのですから。
もし明日の朝を迎えた時点で
ミオちゃんがいなくなっていたのなら、
それは元の時代に戻れたと
思っていいのかもしれません。
そう慣れば話を聞くことは
叶わないことになりますが、
彼女が無事戻れたのであれば
これ以上の幸福はありません。
お父さんとお母さんは時間をずらして
夕飯を摂るようで、
3人で食卓を囲みました。
時代が違うため容易に話題を
作ることはできませんでしたが、
中学時代はどんな人だったか、
どんなことをしていたか
なんて話をしていました。
高校の話を持ち出せば
すぐさまコロナの話題に
なってしまうだろうことは
想像できたのです。
手早く食事を済ませた後、
私の部屋にミオちゃんを寝かせて
結華の部屋で2人横になりました。
さすがに同じベッドなのは
気恥ずかしかったし結華も拒否したので、
病み上がりを理由に私がベッドへ、
結華は床に布団を引いて
眠ることになりました。
結華「…。」
悠里「ねえ。」
結華「ん?」
悠里「こうやって2人で寝るのって、久しぶり?」
結華「…少なくとも2年半は前かな。」
悠里「そっか。」
結華「…っていうかいいの?ミオを1人にして。」
悠里「結華だって私の提案にいいよって言ってくれたじゃん。」
結華「咄嗟に言っちゃったけど、でも心細いかなって。」
悠里「多分疲れているだろうし、ゆっくり寝て欲しかったのがひとつ。あとは…ほら、私たちの家って防音設備が整ってるじゃん?」
結華「…?うん。」
悠里「…なんて言うのかな、心細くなって泣きたい時だってあると思うんだよ。」
結華「…そのために1人にしたの?」
悠里「誰かといたい気持ちも分かるけど、でも1人で吐き出したい気持ちもわかるから。」
結華「…そう。」
悠里「じゃあ、明日はみんなで寝ようよ。川の字になってさ。」
結華「そうだね。…そっか、気持ちの整理がつかない時だってあるよね。」
悠里「うん。」
今質問責めしたって
ミオちゃんは疲れてしまうだけ。
そんなことは目に見えているのです。
自分にとって計り知れないような
出来事が起こってしまった時は、
どうにも混乱して落ち着かないものです。
ずっとずっと心臓が
ばくばくと鳴って治らないのです。
その経験が私にはあるから、
私として目覚めた時のことが
まだ鮮明に思い出せるから。
だから、ミオちゃんにはできるだけ
そのように焦ってほしくは
なかったのでした。
悠里「…。」
明日から、ミオちゃんにとって
怒涛の日々が始まることでしょう。
どうにかして彼女を
早く元の時代へと返さなければ。
勝手ながら焦りの気持ちが
ぞわりと背の根本から
這いずり上がるように
生まれてくるのでした。
***
お盆は死者の人たちが
帰ってくる季節なんだよ。
そう、今はもう亡くなった
おばあちゃんが言っていた。
その言葉は当時、
本当に死んだ人が幽霊になって
帰ってくるとばかり思っていた。
それは数年後、別の意味での
死もあるのだと知るまでは。
がさごそ。
リュックの中にこれでもかと
思うほど荷物を詰める。
準備を始めて早1時間。
やっとのことで用意を終えた。
日付は令和5年8月13日。
うん、しっかりと覚えとう。
荷物を整えたはいいものの、
何日間かはただただ彷徨うだけだろう。
ホテルでもとっとくんやったな。
澪「はあ、おっも。」
リュックは数日分の着替えだけで
膨れ上がっており、
スマホを放るだけで
これ以上は入らなさそうだった。
食事は適当にコンビニで
買い食いすることにしよう。
暑さ対策は…昼間に地域の
図書館にでも潜り込めればいいか。
お風呂は銭湯に行くなり
するしかないだろう。
流石に3、4日もお風呂に
入れないのは気持ちが悪い。
問題の寝床だけれど…
…それは後から考えよう。
とりあえずこの重い荷物を持って
家から立ち去るのが先だ。
別の鞄を持ち歩くのも大変だから
持って行く気はないものの、
もう少しくらい大きなリュックを
持ち合わせていればよかった。
後悔してもどうしようもならんけど、
夏の暑さと蝉の耳を劈く大合唱も相まって
苛立ちが募っていたのだろう。
舌打ちをひとつ部屋に加えるが、
余計蒸し暑く感じるだけだった。
姉はバイトが何かしらで
既に外出している。
部屋の中は姉が綺麗好きな為
生活感が見えないほどに整っていた。
これから人を呼ぶのかと
疑いたくなる。
姉への連絡など何ひとつもないまま
陰で用意を済ませては
玄関前に立った。
澪「この家から少しだけでも離れられるなんて光栄やな。」
誰もいない家に愚痴を漏らす。
リュックに背負われるような
形になりながら家を出る。
まっすぐで痛いほどの日差しが
うちの体をずんずん突いてきた。
澪「じゃ、行ってきます。」
今日から16日までの数日間、
うちはどこか隠れなければならない。
姉から見つからない場所へと、
家から離れた場所へと
足を運ばなければならないのだ。
それが2年前に見た景色なのだから。
1歩踏み出して早々
何故か心が折れそうになる。
うちは一体何をしようと
しているのだろうか。
うちの体験したことを
間違いひとつなく再実行
しようとしているんやろうか。
だからどうなるんやろう。
うちがうちとして
そのまま存在できるとか?
もし失敗したら
今のうちが消えるとか?
実際のところ、例の事件があったことで
変わったことといえば、
姉との仲が酷く悪くなっただけだ。
ああ、あと。
澪「ひとつ、あったな。」
真面目な人間が
大嫌いになったこと。
たったそれだけのことのために
うちはアレから逃げないかん。
家から離れないかん。
澪「……はあ。」
気が重い、荷物よりも重い。
とりあえず電車に乗って
のらりくらりと彷徨うことにしよう。
位置情報共有アプリを
入れているわけではないけれど、
スマホの電源は切っておこう。
澪「…。」
頼れる人間がいれば
違ったのだろうけど。
うちは1人で何かと解決しようと
しているのだ。
そうしがちなのだ。
人というものは信頼ならない。
腹の底で何を考えているのか
全くもって理解することはできない。
たとえ表向きはよくとも、
心の奥底では黒く光をも反射しないような
ことを考えているものだ。
そう思うようになったのも
2年前の夏の出来事が原因だ。
その事件の中で
唯一信頼できたのが、
信頼できてしまったのが悠里だった。
…いや、今昔のことを
思い出していたって長引くだけだ。
今は別のことを考えよう。
お金は持って来ているにしても
バイトをしていないうちの全財産は
数えるほどしかない。
3日間今からホテルをとったら
安くたって1、2万はかかる。
今後、受験のための参考書を
購入するだろうことも考えれば
そう簡単に迎える場所ではない。
澪「…。」
頼れる人を探すしかない。
信頼ならないが、頼れる人間を
作るしかないのかもしれない。
姉は当然だが無理。
家族は福岡にいる為、
向かうだけで予算を超える。
そもそも家族なのだから
うちが福岡に来たという
連絡ぐらい行ってしまうだろう。
となれば友人、か。
いるにはいるが、皆が実家暮らしなもので
急遽泊めてもらうにも
なんだか気が向かなかった。
いや、実家暮らしでなくとも
気まずさはある。
そもそも人の家に上がるという
行為自体を何年も
していないものだから、
単に緊張するのだ。
徐にLINEを開いてみる。
学校での友達の名前が並ぶ。
近くのコンビニの前に身を寄せ、
普段から仲良くしてくれている人に
電話をかけてみる。
一コール、ニコール、とする間に
コンビニからはレジ袋を下げた青年が
足早に出て来ては去っていった。
その姿を眺めていると
ぷち、と不意に繋がる音がした。
澪「もしもし。」
『もしもしー。電話なんてどうしたの、珍しい。』
澪「ごめんな、急に。」
『ううん大丈夫。塾もこの後で今暇だったから平気。』
電話越しにぱたた、と聞こえてくる。
もしかしたら開いていた参考書やら
ノートやらを閉じたのかもしれない。
『何か用事?』
澪「うん。急で悪いんやけど、一泊だけさせてくれん?」
『え、本当に急だね。何かあったの?』
澪「ただの姉妹喧嘩なんよ。家出や家出。」
『あはは、この時期によくやるよー。』
友達は「ちょっと待ってて」と言い、
スマホをそのままに家の中へと
駆け出していってしまった。
蝉がじりじり鳴っている。
それを耳にするだけで
どうしてこんなにも
気が遠くなるのだろう。
熱中症になりかけているだとか
そういう話ではなく、
今うちは夏にいるのかと
今日ばかりは湿気った空を眺め
遠くを見たくなってしまうのだ。
夏休みに入ったからだろう、
人が少なく閑散とした空気が
街中に流れている。
耳からスマホを離そうとしたその時、
どたどたと家の中を踏み荒らすような
音が響いて来た。
『もしもし、いる?』
澪「うん。」
『ほんっとごめんね、うちの親が駄目って…。これからいとこやおばあちゃんが来て、そのまま出かけるみたい。』
澪「そうなんや。お盆やししゃあないやんね。」
『ごめんねえぇ…。』
澪「ううん、こちらこそ急な話やってごめんな。また学校で。」
『うん、またね。』
急いでいたのかすぐにぷちり、と
電話の切れる音がした。
スマホから耳を離すと、
暑いこともあるのか指紋の跡が見える。
澪「…はあ。」
そう。
世間では今日や昨日から
お盆休みに入ったのだ。
コンビニの冷気が僅かに外に漏れる。
時折その恩恵を受けながら
手は徐にTwitterへと伸びた。
Twitterを見ていると
どうでもいいようなツイートから
情報を発信しているツイート、
昨日と今日では大型イベントがあるようで
そのツイートで溢れかえっていた。
おすすめの欄には無数に
情報が溢れているが、
フォローのみの欄に移ると
その情報量は極端に少なくなる。
例の巻き込まれた人たちの
ささやかな日常はほろほろと
流れるのみだった。
ネットの海から井戸に早変わり、
その中のツイートをぼうっと眺めた。
吉永のツイートは予め
非表示にしたおかげで
一切情報は入ってこない。
安心しながらスライドしていると
国方がゲームをしている様子だとか
悠里が退院した様子だとかが見て取れた。
三門に至っては花火大会に行きたいだの
帰省しているだの余暇を
満喫しているようだ。
結華のツイートはぱらぱらと、
奴村のツイートは全くない。
もし唐突に「泊まりに行きたい」
なんて言っても
許してくれそうな人は誰だろう。
急だからと言って怒鳴り散らかすような
人はいないとは思うが、
気を遣わせたくはない。
家という生き物は外からは見えないもので
本人が良くとも
親御さんが厳しい場合だってありうる。
…ただの持論でしかないが、
本人が本当の意味で自由奔放であれば
家庭も自由な性格をしている偏見がある。
そのイメージだけに惹かれて
意図せず三門のTwitterを開く。
澪『唐突なことで申し訳ないんやけど、今日泊まらせてもらうことってできんかいな。』
西側の言葉を書き起こすと
どうしてこんなにも
喧嘩腰に見えるのだろう。
かと言って敬語でつらつらと
感動の言葉を用いて書くと
今度は大層クールに見える。
画面上の言葉は難しいと
思いながらも送信すると、
たまたまスマホを触っていたのだろうか、
すぐさま既読になった。
こころ『わお!連絡嬉しい〜ボクもお泊まり会したいってものすごく思ってるんだけど、残念ながら帰省してて。』
汗の絵文字や涙ぐんでいる絵文字が
間に挟まるあたり、
Twitterでよく見る三門の言葉だ、と
不意に感じ取っていた。
断られてしまった。
それもそのはず、お盆だから。
皆休みなのだ。
社会人だって人によっては何連休もある。
そりゃあ帰省ぐらいするだろう。
三門のノリの良さと軽さであれば
すぐに了承を得れると
考えていたのが誤算だった。
それ以前に、寝床のことを
甘く考えていたことがよくなかった。
この辺りで野宿は
できるのだろうかと考え出した頃、
またぽこんと音が鳴る。
こころ『明日の夕方あたりには戻ってこれるだろうからその時でもいいし、いつでもおいでよ!ボクの家族はみんな自由人だし、いつでも許してくれると思うよー。』
澪『心強いわ、ありがとな。』
こころ『どーいたしまして!にしても急にボクに連絡してくるなんて珍しいね。しかも泊まりなんて。』
澪『ちょっと困っててな。』
ここで「ちょっと」なんて
威勢を張っている自分に
呆れることしかできない。
強がっている暇じゃないというのに、
いつだって自分を強く見せたがっている。
こころ『えーーどうしたの、何かあったの!?』
澪『姉と喧嘩しただけや。今日はどっかに泊まりたいと。』
こころ『なるほどねぇ、思春期やってますねぇ。』
澪『うち一応先輩な。』
こころ『はいはい分かってますよう。別の人…うーん、陽奈は?』
澪『連絡つかなさそうやん。』
こころ『あー…見てると思うけど、どうだろう。じゃあ槙姉妹のところ!』
澪『無理なんよ。』
こころ『ほほうほうほう。なれば寧々さん…は犬猿の仲だっけ。』
澪『絶対却下。』
こころ『茉莉は?』
澪『どうやろうね、移り変わってから話したことないけんな。』
こころ『いいこと思いついた。ボクの知り合いに1人暮らしをしてる陽気な子がいるの!』
澪『巻き込まれた人たち以外のネットワーク?』
こころ『そうそう、ボクの高校の生徒で、同じ年の子!その子に聞いてみるよ!』
澪『待ってや。全く知らん人のお世話になるわけにはいかんやろ。』
こころ『みおみおがよければ大丈夫だと思うよ?あの子ならOKしてくれるから!ほんとめっちゃいい子だし気張らないの!』
みおみお、という呼び方に
突っ込むことができないほど
ぽかんとしていると、
三門からの連絡はぱたりとなくなった。
言い訳をする機会を逃したような気がして
ぼうっと空を眺めていると
ぱたぱたと蝉が飛んでいった。
湿気った空気の中
重そうに翼をはためかせる。
知らない人の家に泊まる?
改めて思い返せば
とんでもないことをしようと
してるのではないだろうか。
少なくとも2、3日は
あの家には帰らない
…というより帰れない予定だ。
もし今日、三門の友人に
お世話になるとしても、
ずっとというわけにはいかない。
明日にまた場所を探さなければ。
ぼうっとしようと思ったのに
結局頭は回って
そんなことを考えてしまう。
ふとつけたままのスマホが鳴り、
咄嗟に視線を寄越した。
こころ『いいってさ!今から住所送るねー。』
三門は真面目なのか不真面目なのか、
敬語抜きで親しげに話す姿が
ふわりと頭に浮かんでくる。
うちらだってそんな面と向かって
話したことなんて数回しかない。
1、2回程度だろう。
それなのにこんなに親しげに
話せるその肝には感心するばかり。
こころ『もし明日も困ってるようだったら連絡ちょうだい、ボクもお手伝いするからさ。』
澪『助かるわ。』
こころ『槙姉妹と寧々さんは駄目で茉莉と陽奈が微妙って感じ?』
澪『そうやな。距離感測りづらいと。国方は記憶ないし奴村は声が出んっちゃろ?』
こころ『あー…そっか。陽奈は優しいから余計気を遣っちゃうかもね。』
澪『そうやね。』
こころ『茉莉あたりなら頼っても大丈夫そうだよ。』
澪『国方と仲よかったっけ?』
こころ『茉莉の記憶がなくなる前にTwitterをざっと遡ったことがあるの。何かね、頼りにされてるって感じしたよ。』
澪『頼りに?』
こころ『うん。ちゃんと妹って感じもあるんだけどね、なーんかこう、大人びてるって言うのかな。』
澪『文字からそこまでわかるかいな。』
こころ『探偵って呼んでくれてもいいよ!』
澪『ないな。』
こころ『えー、ひどーい!』
数回しか対面したことがないのに、
アイコンから顔のイメージが
ぺったり脳にくっついているおかげで、
どんな顔をして文字を打っているのか
容易に想像ができた。
こころ『とりあえず、ボクの家でもいいし気が向いたら茉莉のところにでも連絡してみてよ!』
澪『わかった。』
そのメッセージを最後に、
ぽこんと住所が送られて来た。
澪「…1人暮らしとはいえど本当の意味で赤の他人やし、何かお気持ちの品くらいあったほうがいいとかいな。」
それなら結局ホテルを取るのと
同じくらいにならないか?
カプセルホテルくらいであれば
安ければ数千円で泊まれるはず。
澪「はぁ。」
気が重い。
三門がその友人とやらに
連絡する前に止めればよかった。
それとなく後悔を抱えながら
とぼとぼとリュックと共に
日の落ちてゆく街を歩いた。
***
電車を乗り継いでも
1時間としない間にたどり着いたのは
成山ヶ丘高校の最寄駅から
数駅離れたところだった。
住宅街のようで、お盆ということもあって
道路には人が少なかった。
普段退勤しているような
人たちの姿が一切見えない。
もちろん働いている人もいるが、
日本全体が休まっている
象徴のようにも見えた。
きーこきーこと
立て付けの悪そうな自転車が
隣を颯爽と駆けていく。
ほとりと背中では汗が伝う。
蝉の声は止まず、
時折通る建物の前では
冷房の風が吹いて心地がいい。
だが次の瞬間、
夏の地面に叩きつけられたかと思うほど
暑い空気で蒸されていく。
その全てが休みなく夏を体現していた。
夏の休暇は半年後か、なんて考える。
それまでは不眠不休で
夏をしなければならない。
夏も大変だ。
季節に無駄な同情をしたところで
ようやくとあるマンションの前に
たどり着いていた。
全部で100世帯はあるだろう大きさだ。
横に伸びており、縦には5階程伸びている。
白い壁がてらてらと
夕陽を反射していた。
澪「306…。」
念の為誰もいないことを確認した上で、
口に出しながらオートロックの
番号を押してゆく。
硬くなり押せているのか
わからないようなボタンに触れた。
番号が表示されたのを見て
インターホンを鳴らす。
僅か数秒でかちりと音がした。
『ほいほい、噂のお方ですかい?』
ラフなのか変人なのか。
まず思ったのは、この人は関わらないほうが
いい人種だということ。
しかし、三門から連絡もいき、
そのまま帰るわけにもいかず
オートロックに設置されている
カメラをじっと見つめた。
澪「…はい、多分。」
『りょーかいっ!今開けますんで、そのままお進みくださーい。』
いってらっしゃーい、と言わんばかりの
声の張り具合に
思わずたじろいでしまった。
まるで遊園地でアトラクションに
乗る前のアナウンスのようだった。
これから意を決して
急降下するあの衝撃に
耐えなければならない。
そんな緊張がびりびりと体を襲う。
安全ベルトのない遊園地に
飛び込んでいくような、
畏怖の混濁した意識のまま
エレベーターへと乗り込む。
1、2、3。
たったそれだけの階数なのに、
エレベーターに乗っている時間は
無限のように思えた。
規則的に心臓がどくんと震える。
それだけで勝手に指が
ぴくりと動いてしまいそうなほどには
不安に思っていた。
エレベーターが開くと、
左右に道が続いていた。
無機質な扉が並ぶ中
目の前の部屋番号を見ようとした時、
右奥の方で扉が開いた。
ふと見ると、そこには白いTシャツに
ショートパンツを身につけている、
髪の長い綺麗な人がいた。
扉を開けてきょろきょろしているかと思うと、
うちのことを見つけては
がば、と大きく手を挙げた。
「こっちこっち!」
やたらと声が大きい。
近隣の人に迷惑になるとは
考えないのだろうか。
それとも、もはや周りの人も
慣れてしまっているのだろうか?
うちがあまりに長いこと
足を止めていたからか、
サンダルを履いて小さい歩幅で
小鳥のようにこちらまで走って来た。
「どーしたんですか。お噂の方!」
澪「いや、お噂の方が名称なん?」
「まあまあ、お話は家で聞きますから。」
署で聞きますから、のような
ことを言いながら近づいてくる。
すり足で走ったせいで、
小石がいくつかサンダルに入ったらしい。
うちの肩に手を乗せ、
サンダルを脱いで
片足立ちになった。
小石を払いながらそう言うと、
ぱたりとサンダルを落としては
何事もなかったかのように履く。
「こちらへどぞー。」
澪「…どうも。」
人見知りをしないにも程がある。
最早無遠慮に近い。
別にうちと似たようなものかと思いつつ、
同族嫌悪のようなものが
心の足元を這いずり回っている。
ああ、うち。
うち、自分の中でこういう態度を
とっている自分が嫌だったんだ。
そんなことをぽつりと
脳内で呟きながら、
知らぬ間に握られた手を引かれて
その人の家へと入っていった。
「まあまあ適当に座っちゃってくんさい!」
中は1ldkのようで、
1人暮らしをするには
広々としている空間だった。
ものもそう多くないようで、
ソファやベッドまで揃っている。
この子の家は太いのだろう。
澪「どうも。」
湊「あそーだ、名前言ってなかったですよね。うち、高田湊っていいます。」
澪「篠田澪です。よろしくお願いします。」
湊「しのっちね、よろしくどーぞ!お風呂入れちゃうんで、先に入ってくださいねー。」
人を呼ぶことに慣れているのか
それとも人と接することに
慣れ切っているのか。
高田はすいすいとリビングから
姿を消していった。
また変なあだ名をつけられているあたり、
三門と高田は似ているなんて
思うばかりだった。
先に風呂へ、そして買い置きしていた
レトルト食品を使って夕飯を摂る。
家で誰かと食卓を囲むなんて
しばらくしてこなかったな。
学校も含めていいのであれば、
それこそ夏休み前の最後の1日以来だ。
高田は料理が苦手だなんて
嬉々としてこぼしながら
ご飯を食べていたっけ。
料理が苦手ですぐに怪我をする場面が
容易に浮かんでしまう。
持ってきていた寝巻きを身につけていると
人の家とはいえリラックスしてくるようで、
ソファに座っていると
うつらうつらとしてきてしまう。
ああ。
眠くなるといつも
自分が何を考えているのか
わからなくなっていってしまう。
何でこんなことをしているのだろう。
何でここにいるのだろう。
何で高田と出会ったんだっけ。
…とか、考えれば簡単に
答えの出るような問いばかりが浮かぶ。
澪「…。」
思えば、全く知らない人の
家に泊まるのは、
これが初めてじゃなかった。
過去にもあったじゃないか。
2年前、道に迷っていたところを
あの2人が助けてくれたじゃないか。
嘘みたいな話を、
悠里は信じてくれたじゃないか。
今考えれば、レクリエーションを
経ているがために、
不可解な出来事すら
信じざるを得ない状況に
なったことは理解ができる。
しかし、それは記憶がある場合に限る。
悠里や茉莉、吉永は
レクリエーションの記憶がない。
その後に何かしら
巻き込まれているのであれば
記憶は残っているだろうし話は別だが。
当時、きっと悠里には記憶がない。
不可思議な出来事に立ち向かった
あの苦く苦しい記憶はない。
だからこそ、感覚は一般の方々と
全く一緒のはずなのだ。
囲みから来ただなんて
そんなことありえないと
一蹴されてもおかしくなかった。
それなのに…。
悠里は、うちのことを信じた。
眠りそうになったその時、
「わはーっ」と楽しそうな
声と同時に顔面を目掛けて薄い布団が
投げつけられる。
感傷に浸っていたというのに、
その雰囲気が台無しだ。
澪「ちょ、なにするとね。」
湊「せっかくのお泊まり会っすよ?楽しまないとー!」
澪「もう寝ると。」
湊「えー、うちはもうちょっと話したいなー。」
そう言っては隣にどかりと腰を据えた。
度胸だけは無駄にあるのだろう。
澪「うちは話すことはなか。」
湊「えー、えー、えー。泊まる場所貸してあげてるんですからー、ね?」
澪「…。」
湊「やや、じょーだん!そんなに思い詰めないでくださいよう。」
澪「いや、真っ当なことを言われてぐうの音も出んかっただけや。」
湊「ぐう。」
澪「あんたが言ってどうするとね。」
湊「てへへ。」
ああ、わかった。
この人といると楽しいけど
疲れるタイプだ。
素でこれなのだろう。
うちからすれば考えられないけれど、
常にハイテンションという人は
ある一定数存在しているようだ。
湊「てか今日、どうして放浪してたんすか?」
澪「放浪って…三門からなんて聞いたと。」
湊「そこ、質問を質問で返さなーい!」
澪「…ただの姉妹喧嘩や。」
湊「へえ!お姉さん?妹ちゃん?」
澪「三門からなんて聞いたん。」
湊「ふむ、交代制ですな。なるほどなるほど。」
高田は納得言ったように
数回頷きながら言った。
湊「ここちゃんからはね、友達が困ってるから助けてあげてって言われましたよ。一泊だけでいいからって!」
澪「…へえ。」
湊「何々照れちゃって。」
澪「照れとらんわ。近づかんとってや。」
湊「えへへー、ガードかたーい。」
澪「鬱陶しか、べたべたせんとって。」
湊「ええー?お姉さん、肉付きがちょうど良くって抱きしめ心地がいいんですもんー。」
パーソナルスペースというものが
高田には存在しないのだろうか?
腰に手を回されては
緩やかに抱きしめられる。
ソファと体の間に腕が回ってきたせいで
背に芋虫が這ったようで
自然と背筋が伸びた。
長くふさふさの髪が
まるで大型犬を想起させる。
ふわりといい香りがしたのは
お互いお風呂上がりだからだろう。
湊「うむ。めちゃくちゃいいっ!」
澪「おじさんみたいなこと言わんとって。初対面やろうちら。」
湊「初対面でも抱きつくのがアメリカンスタイル。」
澪「日本っちゃけどここ。」
湊「てか、しのっちは方言女子なんすね?」
澪「…高校に上がるまでは福岡におったんよ。」
湊「そうなんだー!うちも西側にいたんですよー!」
澪「どこやったん?」
湊「大阪!それもうんと田舎の!」
澪「へえ、高校上がると同時に上京してきたんや。」
湊「うん、しのっちとおそろー。」
またぎゅっ、と力を入れては
すりすりと肩に頬を寄せる。
こんなに密着されても
こちらとしては身動きができないだけ。
うち自身スキンシップなんて
ほとんどとらないものだから、
安心よりも緊張が優ってしまう。
恥じらいにもにた何かを
取っ払わなければと思い
自然と口を開いていた。
澪「なん、そっち系なん。」
湊「いやまあ、それはガチなんでー。」
澪「え?」
湊「安心してくだせえ、彼女持ちなんで。」
まずいところに足を踏み入れてしまった。
そう内心焦っていると、
高田はうちから離れては
ピースサインをこちらに向けながら
オープンにそう話していた。
謝ろうと思ったその時
既に何事もなかったかのように
高田は話し始めていた。
湊「話戻っちゃうけど、姉妹喧嘩で家出なんて度胸ありますねー。」
謝れなかったことに
それとなく後悔を抱きながらも、
本人が気にしていないのであれば
改めて突っ込む必要も
ないかとぼんやり思う。
澪「うちやって初めてや。」
湊「親には連絡しました?」
澪「しとらん。うち、姉と2人暮らしなんよ。」
湊「あらま。その様子、お姉さんにも連絡してないだろうし…心配しますよー?」
澪「いいんよ、これくらい。前々から姉とは馬が合わんと。」
湊「ずっと一緒にいると、むしろバグってきますよねー。」
澪「兄弟でもおるん?」
湊「いーや?」
澪「じゃあわからんっちゃない?」
湊「これがまた違くって。うち、田舎育ちって言ったじゃないですか。」
澪「うん。」
湊「世間狭いから、小さい時から…それこそ生まれた時からずっと一緒にいるような子がいるんですよ。」
澪「ああ…もはや兄弟みたいなもんやね。」
湊「そーなんです!だから正当な距離がわからなくなっちゃうこと、うちもわかるなあって。」
澪「…。」
湊「でもねー、今のしのっちを見てる感じね?なんかこう、後悔してそうだなーって。」
澪「…え?」
湊「家出したことなのか何なのかわからないけどね、何だか後ろめたそう。何となーくそんな気がしただけですけども!」
高田はにこりと笑って
ソファから立った。
うちは…いったいどんな顔をしていただろう。
ただそう言われて
自分にも当てはまるかもなんて
思っているだけかもしれない。
そう信じかけている
だけなのかもしれない。
けれど、その棘が妙に刺さって
うちの皮膚を剥いでこようとしている。
そんなに深く話したわけじゃないのに
何故ここまで刺さることを
言えてしまうのかと、
今度は恐怖にも似た
何かが迫り上がってきた。
湊「じゃあうちは隣の部屋で寝るんで、何かあったら言ってくだせえ!」
澪「…そのために布団を?」
湊「そこにあるクッション使って大丈夫なんで、それが枕代わりってことで!お布団の予備なくて申し訳ない!」
澪「…いや、泊まらせてくれてありがとう。」
湊「そのお礼、しかといただいた!じゃあおやすみなさーい。」
澪「おやすみ。」
こうして夜の挨拶を交わすことだって
実に何年ぶりだろうか。
姉とはしばらく必要なこと以外話していない。
眠る時の挨拶だって…
姉から言われることはあっても
一切返してこなかった。
その時、姉が渋く苦い顔を
していることくらい、
うちだってわかっている。
けれど、それは姉の自業自得なのだ。
姉が自分でしたことに対して
勝手に罪悪感を持ち始めては
うちに許しを乞おうとしているだけ。
姉は側から見れば真面目だった。
しかし、裏側はー…。
澪「…。」
ソファは大きく、足まで伸ばせた。
頭まで布団を被り、
真っ暗な中さらに目を閉じる。
うちがこれまでの2年間、
姉にとってきた態度は
間違いじゃない。
そう。
間違ってない。
だから後悔だってない。
自分に何と言い聞かせているうちに、
8月13日は幕を閉じていった。
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