第6話

 中学最初の席替えで、俊介が健一の隣になってすぐの事だ。

「菅山健一。で、名前あってるよね?」

 突然フルネームで名前を呼ばれ、健一の表情が険しい物に変わる。

「だから何だよ」

 返事は無愛想になった。

 前回、あれだけ突き放すようなことを言ったのに、まさか声を掛けてくるなんて思っていなかった。

 どういうつもりなんだこいつ? と遠慮解釈もなく、不振な顔をしてやるが俊介はそんなことまるで気にすることなく話を続ける。

「この前は名前を教えてくれなかっただろう? だから念のためを確認をさ」

 そこはかとなく含みのある言い方。

 どうも意趣返しがしたいみたいだが、律儀に付き合ってやる義理もない。 

「そうかよ、良かったな確認できて」

 話はこれで終わりだと、視線を外すが俊介の声がそれを追いかけた。

「俺、小学五年の時に東京からこっちに引っ越してき今年で3年目なんだけど、まだイマイチ勝手がわからなくてさ」

 健一に構わず俊介は話を続けるが、別に答えてやる義理もないと、聞こえないふりで無視を決め込む。

「小学生の時の知り合いはいるけど、皆別のクラスでさ。こうして席が隣になったのも何かの縁だし、菅山君に色々と教えてもらえたらなって思ったわけで」

 無視。

「それにしても、やっぱり東京と新潟だと雰囲気が違うね。何というかやっぱり東京の方がなんだか張り詰めてる感じがするけど、こっちはすごくゆったりしてるというか、のんびりしてるというかさ」

 無視。

「あとやっぱり雪だね。東京だと五センチでも積もれば、大雪だ何だって大騒ぎで電車が止まるのに、こっちはその比じゃないもんね、そんでもってそんな状況でも皆変わらず日常生活送ってるし。足首くらいまで雪が積もったとしても、皆当たり前の様な顔してるんだぜ? 最初見たときは雪国に住む人の逞しさに感動すら憶えたもん、かっこいいよなぁ」

 無――

「で、それにさ――」

「ああもう! 鬱陶しい!」

 無視を決め込もうとしている横で延々と喋り続けられ、気が付けば我慢できず声を上げてしまっていた。

「人の横でいつまでも、ぺらぺらぺらぺらと。無視決め込まれてるって事が分かんねぇのか、お前は」

「そんなこと、俺が黙らなきゃ行けない道理にはならないだろう。君は無視したい、俺は喋りたい、権利は平等」

「権利がどうこう言う前に、俺に対して気を遣うとか遠慮するとか、そういうのはねぇのか」

「ないね。人の話無視するような人に、なんでわざわざ俺の方が気を遣ってやんないといけないのさ」

「むっ」

 どこかで聞いたような台詞に健一の顔が渋くなると、俊介はしてやったりと言わんばかりにニヤリと笑った。

 一体何なんだよコイツは。

 心の中でどこかの誰かに質問してみるが、当然ながらその答えは返ってくることはない。

「おーい、ケンちゃん」

 その時、廊下の方から聞きなじんだ声が聞こえてきた。見れば幼馴染みの春が包みを片手に教室の外から手を振っている。

 これ幸いと、健一は俊介から逃げるように席を立った。

「はい、これ」

 健一が歩み寄ると春は持っていた包みを差し出した。

「今朝、家に忘れていったでしょ、おばさん怒ってたよ」

「サンキュウ助かったよ、鮎川」

「いいよ、私もおばさんに頼まれただけだし」

「いや、これの事じゃなくてだな」

 春は言っていることの意味が分からないのか首を傾げているが別にそれでいい、わざわざ説明するような事でもない。

 これで、あいつも諦めただろう。

 そう思っていたのに。

「何それ? お弁当?」

 後ろから声を掛けられてまさかと思い振り返って見れば、一体いつからそこにいたのか案の定そこにいたのは俊介である。

「えっと……あなたは?」

 突然会話に入ってきた謎の男に春は不思議そうな顔を浮かべるが、それに対して俊介は人の良さそうな笑みを浮かべて。

「初めまして、宮原俊介って言います、よろしく」

「ああ! あの東京から来たって言う?」

「知ってるんだ」

「学校中で噂になってたもん、皆知ってるよ」

「そうなんだ? いや知らなかったな」

 嘘つけい。

 おどけた調子で言っているが、絶対そんなことは思っていないと健一は確信できた。

 田舎の情報伝達能力を侮ってはいけない。

 基本娯楽というものがないからか噂が広がるスピードがとにかく早く、たとえば学校内で誰と誰が付き合っただ別れただ、なんていう話は皆当たり前の様に知っている。

 そんな中に、東京もんがやって来たとなれば噂にならない訳もなく。学内で俊介はちょっとした有名人だった。

 そんな状態で、自分自身が噂になっている事に気づいていないわけがない。

「でも、私も知らなかったなー」

 不意に春がそんなことを言い出し、何のことかと思えば。

「ケンちゃんが、噂の宮原君と友達だったなんて」

「友達になった覚えはねぇ!」

 荒唐無稽な疑惑を欠けられて、健一は全力でそれを否定した。

「そうなの?」

 と春が俊介に聞く。

「うーん、なかなか心を開いてくれなくて」

「人を懐かねぇ犬みたいに言うな」

 悪びれもせずしれっと軽口を叩く俊介に、コイツの面の皮はどうなってるんだろうかと本気で思う、もっとも。

「ケンちゃんって、意外と人見知りのところがあるから」

 なんて、呑気に話を合わせる春も春である。

「それに最近は、イライラすることが増えたみたいで、私に対してもツンケンするようになったし……反抗期かな?」

「誰が反抗期だ!」

「だって本当の事じゃない。名前も昔は春ちゃんって言ってくれたのに、最近は頑なに名字呼びだし」

「いや、それは」

 ふてくされた様な顔をする春の言葉に、健一が言いよどんでいると、その横で俊介が何やら意味ありげな笑みを浮かべている。

「何だよ、言いたことがあんのなら、はっきり言ったらどうだ」

「言っていいの?」

 その含みを持たせた返答に、健一は舌打ちして黙る。

 その事に突っ込んだら、面倒なことになるぞと本能が告げている。

「あーほらあれだ、いい加減、教室戻れよ鮎川そろそろ授業始まんぞ」

 形勢不利と見て、逃げの一手を打つと「えー」と春が不満の声を挙げた。

「えーじゃねぇ。とにかく弁当の事はサンキュウな」

 春には構わず話を切り上げて席に戻る。程なくして俊介も隣の席に戻ってきた。

「二組の鮎川さんとは知り合いなの?」

「しつこい奴だなテメェも」

 当たり前のように話しかけてくる俊介に、ギロリと一睨みくれてやるが。蛙の面に水、けろっとした様子で「いやぁ、照れるね」などと宣っている。

「で? 実際の所どうなのさ? 随分親しいみたいだったけど」

 俊介に質問を重ねられる。

 あんまりのしつこさに、これは下手に無視決め込むより適当に相手してやった方が楽かなと思えてきた。

「小学校からの知り合いってだけだよ。家が近所でな」

「ふーん。中々独特な雰囲気の人だよね、こうぽやぽやしてるというかさ。結構天然系?」

「変わり者ではあるな、まぁあいつ天然って言ったらへそ曲げんだけどよ」

「そりゃまたどうして?」

「ぶりっ子みたいで嫌なんだと」

 てなにをいらん事まで普通に話してるんだ俺は!

 思わず自分にツッコミを入れる。

 俊介が、あんまりにも自然に話しかけてくるので、気が付けばそれに流されていた。

 これが東京もんかなどと慄いたりしたが、今思えばこれはそういったことは関係なく俊介個人の資質によるものだったのだろう。

 ようやくホームルーム開始の合図であるチャイムが鳴り担任の先生が教室に姿を見せる。

 流石に先生の前でまでおしゃべりに興じるつもりはないらしく、俊介はそこでぴたりと健一に話しかける事をやめ、先生は何事もなかったかのようにいつも通り出席を取り始めるのだった。

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