薔薇よ汝は如何なる色ぞ/黒百合三年録another

私は、とても恥ずかしくて、けれどとても幸せな気持ちだった。

「私さ、慎吾くんのこと……す」

「好きなんでしょ」

私の言葉を遮って、瑞稀は指摘する。幼馴染に見抜かれてしまった恋心が恥ずかしくて、机に突っ伏した私の頬が熱くなった。

「……はい」

我ながら情けないほどか細い返答に、彼女がくすくす笑っているのが分かる。そっちだって恋したら分かるよ! なんて反論のために顔を上げるには、今の私はきっととんでもない表情をしているので、黙ってその笑い声を聞く他なかった。

「いいじゃん。せっかくパート一緒なんだし、いっぱいアピールしてこい」

ひとしきり笑い終えると、彼女は小さな手で私の肩をおちゃらけた様に揉んできた。相変わらず独特なコミュニケーションの方法だなあと思ったが、長い付き合いだし今更あえて指摘しようとも思わなかった。

「うー、でも、部活にそういうの持ち込むのは違うっていうか……」

口をついて出たのは、我ながら明らかに見え透いた言い訳だった。嘘をついているつもりはないが、上手くやっている人はいくらでもいるし、仮に彼氏ができたって部活には真剣に打ち込めるだろう。自分で恥ずかしくなって、どこを見たらいいか分からず視線を彷徨わせると、今度はバシッと背中を叩かれた。

「何言ってんの、もう好きなくせに。藍みたいな可愛い子、慎吾くんもきっと好きになるよ」

頭を上げると、柔らかな笑顔と目が合う。この子はいつも、私の求めている言葉を返してくれる。まるで全て分かっているかのように。やっぱり最高の友達だ。

「きっと上手くいくよ、頑張って……ほら、練習行ってきな」

春の日差しが、教室を薄くオレンジ色に染めている。彼女に励まされた私は、身体中から湧き上がる力に突き動かされるように立ち上がった。

「そうだよね、うん……きっと上手くいく!」

言葉にすると、心の底からそう思えた様な気がした。いつも教室で勉強する幼馴染を残して、私は部活へと飛び出していく。


「三上くん、やっぱり高音の出し方が上手だよね! 私も見習わないと」

「いやいや、そんなことないよ。風間さんこそ、練習熱心で見習うところが多いな」

練習の合間に、他愛もない会話を重ねる。慎吾くんも私を悪く思ってはいないだろう、となんとなく分かって、それが嬉しい。

それにしても、高校に入ってから毎日が充実している。

友人、恋愛、部活、学業。気に食わないことと言えば、家に帰った後のことぐらいだ。


私は、とても緊張していて、それ以上に飛び上がりたいほど嬉しくなった。

「……それと、三上くん、風間さん。以上がフルートパートのコンクール選抜メンバーです」

パートリーダーから告げられた夏の吹奏楽コンクールの選抜メンバーに、私と、三上くんの名前が揃って挙がった。思わず飛び上がって喜びたかったけれど、その気持ちを押し堪えてはいと短く返事をする。

「三上くんも風間さんもすごいね! 1年生で選抜なんて、私の分も頑張ってきてよ〜」

場が解散すると、選抜メンバーに入らなかった先輩が、私と三上くんの肩を順番に叩いた。内心はきっと複雑だろうが、その言葉に表面上棘はない。面倒臭い人じゃなくてよかった、と思いつつ、ありがとうございます、と深々頭を下げておく。

「はい! 先輩に教えていただいたことをしっかり発揮できるよう、全力で練習に励みます」

ハキハキと答える三上くんの横顔は、今日も凛々しくて素敵だ。

「三上くんやったね、一緒に練習頑張ろう」

先輩がその場を立ち去ってから、心のうちを気取られないよう細心の注意を払って三上くんに微笑みかけると、彼もいつになく喜色満面の様子だった。

喜びが視界にフィルターをかけて、練習場所は桃色に輝いているように思わされる。

「同じ一年生がいて心強いな。これから一緒に練習することも増えるだろうし、慎吾って呼んでくれて構わないよ」

その一言に、先ほど以上の高揚感が湧き上がるのを自分の中に感じた。私は、上手く表情を取り繕えているだろうか。いや、こういう時はちょっとくらい表情が崩れている方が、女の子っぽくて可愛いと思ってもらえるだろうか。

「分かった! 私のことも藍って呼んでね、慎吾くん」

確実に距離が縮まっているのを感じる。練習メンバーがコンクール組とその他で別れるこの機会は、他のフルート女子より早く三上くんを捕まえるいい機会だ。真面目に練習してきてよかったと、吹奏楽の神様にお祈りしたい気分だった。


家の鍵を開けても、沈黙しか帰ってこない。お母さんは今日も病院で夜勤だ。

机の上に、選抜メンバーに選ばれましたか、あなたはきっと大丈夫よねなんてメモ書きが置いてあって、一瞥だけしてゴミ箱に捨てておく。

母のことが嫌いなわけではない。父とは早くに離婚し、看護師をして女手一人で私を高校にまで行かせてくれていることには感謝している。けれど私は、母のようにはなりたくない。

なにかと言えば父親がいればとメソメソ泣く情けない姿に、どうして憧れを抱けようか。

私は絶対に離婚なんてしない。いい人を捕まえて、幸せな家庭を持つ。

冷蔵庫の中でラップをかけてあったハンバーグをレンジに放り込む。そのうち彼にも作ってあげようかな、なんて流石に気が早いだろうか。


私は、とても充実していて、今が永遠に続けばいいと思っていた。

吹奏楽コンクールの結果は銀賞と振るわなかったが、私と慎吾はその間に距離を縮めて交際を始め、すっかり学年の中でも知られたカップルになった。彼と下校している途中に同級生を見かけると、私はわざと距離を詰めて、彼を困らせて遊んだりする。

つまらない総合の授業が終わると、いつもより早くHRは解散になり、練習までの間私は近くの席で友人と談笑に興じることにした。教室は、光の差し込み具合で赤らんでいる。

「しっかし藍ちゃんはよく三上くんを射止めたよねぇ。大金星じゃない?」

「えー、もうやめてよ。本当に運が良かっただけだってば」

肘で小突いてくる級友の軽口に、常套句で愛想笑いを返す。本当に計算していたなんて話は、誰も聞きたくないことくらい私にも分かる。

「うんうん、藍ちゃんってなんか、距離近づけるの早いよね。人の懐に入るのが上手っていうか……あ、悪い意味じゃなくてね」

もう一人の級友が慌てたように手を振るのに、そんなことないよ、と苦笑いする。

「私、みんなのこと好きだからね! できるだけみんなと仲良くしたいんだ」

当たり障りのないことを言ったつもりだったが、二人の反応は芳しくなかった。

「すごいなー、私なんかやっぱり、苦手な人のことはニガテーっ! って感じだからさ」

「私も私も。そんなにみんなに優しくできないよ」

「えぇー? そうかなぁ、みんな仲がいいのが一番じゃないかな」

私がもう一度そう切り返してみても、それができたらいいけどねぇ、と二人は笑うばかりだった。できるじゃなくて頑張るんだよ、と喉元まで来た言葉は飲み込み直して、私は曖昧に笑みを浮かべた。

「てかあれ、誰だろ」

話題を転換するかのように級友の一人が視線で指した先では、妙に長髪の眼鏡男子が、教室の入り口付近で瑞稀と話していた。

「新聞部の人じゃない? ほら、音坂さん新聞部じゃん」

そう言えばそうだった。なんか、新聞作ってて忙しいって日がたまにあった気がする。実物を見かけたことがないので、記憶に薄かったらしい。

「藍ちゃん、音坂さんと幼馴染なんだよね? なんか全然雰囲気違うよね」

オトサカサン、と言われると一瞬誰のことか分からず、ああ瑞稀のことか、と納得するには少し時間が必要だった。

「そうそう、人見知りだけど本当にいい子でさ、高校も一緒になれて嬉しいって感じ!」

そういう相手が一人くらいいると、実際助かるし。けれど、私と彼女をわざわざ比べる必要もないだろう、なんて、思っても口にはしない。

瑞稀が話している人を見てみたが、あんな人と仲良くできてすごいな、としか思えない。


私は、とても満ち足りていて、けれどどこかが欠けているように思えていた。

慎吾とはなんの問題もなく上手くやっているし、部活も順調。けれど、私と慎吾の交際の話は特に話題に上がらなくなって、みんな次のゴシップに夢中だ。

こんな時はと思って、少し肌寒くなった秋の日に、瑞稀に声をかけてみる。

「みーずき! 今日時間ある? 一緒に帰ろうよ」

久しぶりに話した彼女は、これまでと変わらない笑顔で、分かったと返してくる。

「今日は慎吾くんと帰らなくていいの?」

やっぱり聞いてきた。自分から話さなくても、彼女は必ず私の話したい話題を振ってくる。幼馴染ってすごいなぁ、ありがたい話だ。

「うん、慎吾……くん、今日友達と遊ぶんだって。それに、瑞希とも一緒に帰りたいし」

流石に露骨な匂わせをしそうになって、危うく踏みとどまる。話題を流そうとしてとってつけたような言い方になったが、彼女はニヤニヤして突っ込んできた。

「あ、もう名前で呼んでるんだ。うっらやましー。私、三上くんって呼ぶようにしようか?」

「えー、もう、やめてよ恥ずかしい! 瑞希も慎吾くんって呼んでいいから!」

私がずっとそう呼んでいたから、幼馴染も私の彼氏を名前で呼んでいる。別に、私は呼び捨てにしているからいいけど、人の彼氏を名前で呼ぶってどうなの、と思わないでもない。

彼女はそんなことには一切気付かない。昔からそうだ、人の気持ちに鈍感で、他人と違うことをするのが苦にならない性質。私とは全然違うけど、まあそういう性分に助けられるときもなくはないので、仕方がないから許容してあげることにする。

「も、じゃなくて、は、でしょ。自分は名前呼び捨ての関係のくせに」

そういうことじゃないってば、って言ってやればよかったのかもしれないけど。

夜が訪れるのが早くなってきた。紫色のカーテンがかかっているかのように、私たちは染められていく。


母は今日も夜勤だった。お金を稼ぐのは大変なことだ。

高校を卒業してすぐ働き始めた母は、幸いにして看護師の資格を持っていたからこうして仕事に困っていないが、今時そうでもなければ高卒は大変だろう。

やっぱり大卒に限る。うちはお金がないから私大は難しいだろうし、地方の国公立の文系にでも進んで、そこそこ仕事した後、適齢期の内にいい企業に勤める彼氏と結婚しよう。

結局、家に母親がいないと寂しいだろうし、結構いい収入の人を捕まえないと。そのためには、メイクとか家事とかもっと上手くならなきゃな。

夢はいくらでも広がっていく。今も未来も、幸福でいられるには努力が必要だ。

私は母親みたいにはならない。私は理想に辿り着く。母とは違う、完璧な人間になるんだ。何一つ傷のない、幸福な人生を歩むんだ。


私は、ケチがつくほどの状況でもなくて、けれど少しずつ危機感を覚えていた。

「私さ、藍のこと好きなんだよね。友情じゃなくて、恋愛として」

突然幼馴染がそんなことを言い始めたのは、本格的に冬の訪れを意識し始めた日のことだった。あれ以来、なんとなく金曜日は一緒に帰ろうという流れになって、確かに毎日慎吾と話すこともないなぁと思ったので、断ることはせずにいた。断っておけばよかった。

最寄駅に降り立ってから自宅までは自転車を使うには微妙な距離で、高校に入って半年と少し、幼馴染と私はいつも二人でこの道を登校していた。

「嬉しいよ、ありがとう」

どう反応するか悩んで、本当に怒ろうか悩んだけど、裏腹な言葉と作り笑いを浮かべる。信じられないくらい面倒臭い状況だが、この子はいい子だから、ちゃんと返しておけば上手く関係を壊さずにいられるだろう。

幼馴染と仲違いしたらしい、なんて周囲の目が怖い。

「気持ち悪いと、思わない?」

当たり前のこと聞かないでよ、気持ち悪いに決まってるじゃん。私のことどういう目で見てたの、私はレズとかじゃないから。気をつけなきゃ。それは心の中だけに。

「そんなの、思うわけないじゃん」

彼女は、私の気持ちが分からない。だから、絶対に嘘に気づかない。その鈍感さが今日はありがたい。安心したような表情を浮かべる幼馴染に、腹立たしさを覚えていないわけではないが、この調子なら上手く丸め込めそうだ。

だから、私に可能な最大限の誠意として、本当のことを言ってあげよう。

「だって、私と瑞希は友達だから」

だからさ、瑞稀。それ以上は踏み込んでこないで。これ以上私を、困らせないでね。

いくつものカーブミラーが光を反射して、瑞稀の笑顔が黄ばんで見えて笑えた。なんだかカラスが喧しかった。


最近は困ったことが多くて苛立っていた。

クラスの合唱祭は練習の集まりが悪くて優勝を逃したし、文化祭のアイデアもろくに出なければ士気も低い。男子がこういう時役に立たないのはお決まりだが、うちのクラスは女子も結束が弱くて、私は色々気を回してみるけど上手くいかない。

藍ちゃんは頑張り屋さんだよね、なんて応援される度に、お前らこそ頑張れよと腹の底に怒りが溜まっていく気がした。

けれど、ここで折れるわけにはいかない。私の人生が、振り返った時に楽しいと思えるものであるように、私はこれからも努力し続ける。私には、幼馴染も彼氏もいる。大丈夫。

お腹が痛い。この不機嫌を覆い隠さないといけないのが、一番不愉快だった。


私は、とても苛立っていて、それを覆い隠すのに必死だった。

結局、文化祭は誰かが提案した面白みも目新しさもない出店に決まって、それ自体はまあ我慢できるのだが、相変わらずクラスメイトはどいつもこいつもやる気がなかった。

折を見て色々な人に声をかけてはみるが、部活が、習い事が、勉強が、なんて勝手なことを言って逃げられる。私にだって部活や勉強はある中で時間を割いているわけだが、それが分からないほど馬鹿なのか、それを慮らないほど残酷らしい。

最低クオリティギリギリといったラインで進む準備の様子を見るたびに苛立って、相変わらず微妙な距離感の女子グループを見るたびに、こういう時に仲良くなるのが普通だろうが、という腹立たしさがあった。

「藍ちゃん、相変わらず頑張ってるねぇ」

「学級委員長もかくや、の働きって感じだよ。お疲れ様」

放課後の準備の最中、比較的協力的な級友二人が、労うようにして声をかけてきた。

「全然! 二人が協力的だからとっても頼もしいよ、ありがとうね〜」

これ以上クオリティを下げたくなくて、しっかりお礼を述べておく。

しかし数秒後には、わざわざ礼なんか言ったことを後悔するような発言を返された。

「でもさ、そんなに気張らなくても大丈夫なんじゃないかな、たかが高校の文化祭だし」

たかが。私の人生の大切な1ピースがたかがだと? そんな適当に生きてるのかよ、お前は。

「そうそう、なんか馬が合わないクラスってあるじゃん? 喧嘩にならなきゃいいって」

ここまで来ると、腹立たしい以上に理解が及ばなかった。そんなふうに思っている奴は、どうせ人生の一番大切な決断だって失敗する。いや、失敗すればいい。

「んー、でも、私にとっては大切だからさ! クラスのみんなと一緒にやる行事って」

上手く、笑えていただろうか。級友はそれ以上何かを返してくることはなかった。

教室は、無機質に白い。


「藍、今日の放課後ちょっと話があるの。屋上に来てもらってもいい?」

久しぶりに一人でご飯を食べていると、瑞稀がやってきて二人でご飯を食べることになった。そうして他愛もない話だけしていると、瑞稀がそんなことを言い始める。

「大丈夫! え、何の話?」

またこの前の話かと思って、口をついて棘のある言葉が出る。相手が鈍感な子で助かった。

「それを今言ったら意味ないでしょ」

えー、と笑って誤魔化すので済んだ。私にはレズの気持ちなんて分からないけど、普通に考えたらあそこからまた何かするとは考えられないし、断ってしまうと事態をかえって悪化させそうで、黙って受け入れるしかなかった。

これ以上困らせるなと、やはり直接言うべきだったのだ。


私は、とても不安で、それ以上に腹立たしい気分だった。

来て欲しくなかった放課後は、当然のごとくやってくる。どういうわけだか慎吾もそこにいて、連れてもう帰ろうかと思ったけど、明日からも続く学校生活を思うとそうはできない。

屋上は寒くて、慎吾と身を寄せ合い待っていると、普段と変わらない様子の幼馴染が現れた。

「それで、話って?」

さっさと終わらせてほしくて、急かすように問うと、彼女は一歩距離を詰めた。

「藍、前言ってくれたでしょう。藍と私は友達だから、って」

悪い予感に限って当たる。不審な表情をする慎吾の方は見られず、私は多分、殺気立った視線を幼馴染に向ける。憎らしいほど鈍感な彼女は、今まで見たことのない、不思議な笑顔を浮かべていた。

「……これでもう、友達じゃないね」

全ては、思考が追いつく前に終わった。

彼女が慎吾のネクタイを掴んで、思い切り引き寄せる。よろめいた身体を抱き止めるようにしながら、私の幼馴染は私の恋人に口付けた。

冷静に、何をしているんだこの女は、と思う自分がいた。

お前は男を好きになれないんじゃないのか? 私のことが好きだとか言わなかったか? 人の彼氏を寝取らないと気が済まない異常性癖者なのか?

「音坂さん、何して」

慎吾は一瞬呆気に取られていたが、それでも瑞稀を払い除けた。突然のことへの動揺と、私に対する申し訳なさが見て取れて、やはり彼は優しいなと思う。

そうして色々なことを頭の中では考えていながら、私の身体は半ば無意識に動く。

気がついたら私は、彼女の頬を打っていた。

「……大嫌い」

幼馴染。恋人。多くの友達。そして、私の幸せな人生。

その全てを、瑞稀はこの一瞬にして奪ってしまった。

好きでも嫌いでもなかった。でも今は、間違いなく大嫌いだ。

「うん、分かってる」

分かってないよ、瑞稀には。私のことなんて何も。だって言ってないんだから。

分厚い雲に覆われた空は、絵の具を塗りたくったかのように真っ黒だ。

私は黙ったまま、逃げるように階段の方へと走った。後ろから、慎吾が私を追いかけているのが分かったけれど、こんな情けない自分を見せたくなくて、この感情の全てを彼にぶつけてしまいそうで、泣きつくことなんてできなかった。

何回もキスなんてしている。それなのにどうして、彼を犯されたような、寝取られたような気持ちになっているのだろう。


私の日常は、少しずつ崩れて、取り返しのつかない崩壊が始まっていた。

「藍。僕たち、もう別れようか」

ふと、慎吾がそんなことを言い始めた時点で、私は気づき始めていた。

「なんで、私、こんなに慎吾のこと好きなのに」

「うん、大事にされていたとは思うけど。藍は俺に、何かを重ねてた、だけじゃないかな」

慎吾だって、ありのままの私を好きになったわけじゃないでしょ。こうあって欲しいって恋人の像を、着せようとしたじゃないか。何が悪いんだよ、それの。

「分かった、もういい」

私のことを好きでいてくれない人のことを、私が好きでいるつもりはない。

三上くんしか男がいないわけじゃない。時間を無駄にしたけど、これ以上は無駄にしない。


二年生でクラス替えがあって、心機一転頑張ろうかと思ったけれど、それも無駄だった。

結局一年生の時と大差ない、仲良い奴らだけが仲良くする陰鬱なクラスになっておしまい。

努力は無駄で、気づくと私は、別にいじめられるわけでもなく、クラスで浮いていた。

私は間違っていないはずだ。みんなで仲良くすることが悪であるわけがない

そのまま迎えた、感動的なはずの卒業の日は、いつの間にか全てが終わって。

私は、なんとなく誰にも声をかけず、かけられることもなく、教室から離れられずにいた。


夕方はとっくに終わって、夜が近づいた教室全体に青いフィルターがかかっている。

冷淡な担任。品性も知性もない男子。利己的で陰湿な女子。私以外はみんな帰ってしまった。

ようやく、静かになった。そしてもう、賑やかになることはない。

耐えきれなくなって、握った拳を机に叩きつける。だって、気にするべき相手はいないから。

「痛っ……」

何かを殴ると、自分の手も痛い。いつだったか同じ経験をした記憶があって、ハッとする。

そうだ。

瑞稀が悪いんだ。

あんなことをされなければ、幼馴染も、恋人も失わなかった。素敵な卒業になっていたかも。

なら大丈夫だ。あの子はもういない。やり直そう。素敵な大学生活になれば、それでいい。

そう思って、私は私を鎮めた。うん、とりあえず、大丈夫そう。

反省なんてやめよう。私は悪くない。いや、悪かったとしても、それは仕方なかったんだ。

呼び止めてくる疑問と、震え出した足。それを振り払って、いや振り払うために教室を出る。

「大丈夫」

そうだ、私は大丈夫だ。何度だってやり直せるのが人間だ。今回は、運が悪かっただけだ。

次はきっと、うまくやれるはずだから。

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黒百合三年録 白兎銀雪 @hakuto_ginnsetu

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