エピローグ

 ああ、長い一週間、いや長い五夜だった。


 むろん平日の五日間が長いのは言うまでもないことだが、俺がこれまで体験してきたホラーゲーム世界のなかでも、殊更にボリューム感のある世界だった。いやむしろ、ほかの世界が短命すぎるのかもしれない。


 だがそれでいい。いや、それがいい。


 俺は一つの物語にどっぷり浸かるより、小粒な作品を気ままにつまみ食いするほうが性に合っている。


 今なら分かる。かつて女神さまが言っていたように、一連の異世界めぐりはほかでもない、俺自身の心が望んでいたことだったのだ。


「……いやあ、満喫したなあ……」


 広い空間で目いっぱい伸びをする。すると、肩や腰が一段と派手に音を立てた――と言いたいところだが、「この場所」ではそうもいかない。何故なら、今の俺には肉体がないからだ。


 そうして警備員生活の余韻を噛みしめていると、耳慣れた声が聞こえてきた。


「おかえりなさい……あら、うふふ……柳田さん、どうやらさっきの世界、よっぽど気に入られたようですね」


「分かりますか?」


「ええ。だって柳田さん、今すごくいい表情をしていらっしゃいますもの。なんだか憑き物が落ちたみたい」


「あ、いいですね、その表現……憑き物が落ちたような、か……たしかに、僕は今まさしくそんな気分です」


 俺が言うと、女神さまの表情に微妙な変化が現れた。彼女の顔を覆う光が、いくぶんか頼りなげに揺らめく。


「……何か、思うところがあったんですね?」


 そう訊いたのは彼女のほうだった。


「はい、なんというか……やっぱり、いいですね、ああいうのは」


「いいですか、ああいうの」


「『かつてしのぎを削ったライバルたちが勢ぞろい。最大にして最高の戦いが今、幕を開ける』――これぞ、クライマックスにふさわしい舞台だと思いませんか?」


「たしかに、ここから見ていても普段以上の熱気は感じました……とはいっても、その盛り上がりはあくまで敵方の面々に対する思い入れあってのこと。単体の作品として見た場合、評価はまた違ってくるのでは?」


「そうですねえ、仮に女神さまがおっしゃるとおり、例の怪物らに見覚えがなかったとしたら、あの世界全体が平凡なものに感じられたかもしれません。独自性が足りないというか、結局、他の作品との差別化が課題として残る。言葉を選ばずに言うなら、『パクリ作品』という評価が妥当でしょうね」


「案外辛辣ですね」


「一般的に考えれば自然とそういう結論に達しますよ。ただ……ただ、僕個人の意見は違います。僕にとってあの世界は、やはり特別です。だって、あれは紛れもなく僕のために用意された世界なんですからね」


 これまでの自身の経験に基づいて作られた、正真正銘ただ一人、自分のためだけの〈世界〉――はたして、これほどの贅沢がほかにあるものだろうか?


「本当にありがとうございます、女神さま。これ以上ないご褒美をいただきました」


 言いながら、深く頭を下げる。そうする以上に感謝の意を伝える方法を、この時の俺は思いつかなかった。


「…………では、もういいんですね?」


 彼女はいたわるような声で言った。


「はい。もう一生分、楽しませてもらいました」


「……そうですか」


――寂しくなります。


 彼女は声なき声でそう言った。どうしてそう直感されたのか、自分でも理由は分からない。相手の顔立ちが顔立ちだけに、アイコンタクトさえままならないはずなのに。


 しかしながら、どうやら思い違いということはなさそうだった。


 それが証拠に、俺と女神さまはお互いに無言のまま、しばらくのあいだまっすぐに見つめあっていた。


(そう、もう十分だ)


 瞼の裏に激闘の記憶がよみがえる。


 思えば、これまで巡ってきたホラーゲーム世界はどれもほどほどに魅力的だった。至らぬ部分もままあれど、その短所を補うだけの長所もまた、随所に見られた。


 平均点を出すならおよそ六十五点くらいか。なんともいい具合じゃないか。


 楽しかった。


 その感想に嘘はない。だが、いつまでもこうしてはいられない。今この瞬間も時は止まらず進み続けているのに、俺だけがその場で足踏みを続けていては。


 俺もそろそろ、本当の意味で次の世界へと向かうべきなのだ。たとえ、その世界が完全な〈無〉そのものであろうとも。


――精神が消え去る間際には、いったいどういう心地がするのだろう?


 その答えをもうすぐ知ることになるのかと思うと、少々背筋がぞっとするようでもあり、また柄にもなく、心がときめくようでもあった。


 ただ……その前に少し、軽いおしゃべりを楽しんでも罰は当たらないだろう。


「あの、女神さま」


「はい、何でしょう?」


「こういう時、女神さまはいつもそういうお顔をなさるのですか?」


「え?」


「なんだか、ずいぶんと寂しげな表情をしていらっしゃるように見えます」


「……あはは、何をおっしゃるやら柳田さん。目鼻のついていないわたくしに、人間らしい表情なんてあるはずがないじゃありませんか……でも…………でも、どうしてでしょうね、少しだけ……少しだけ……」


 そう口にしたきり、女神さまはうつむいて黙り込んでしまった。その全身を包む白光は、今やまったく勢いを失っていた。


(……いや、駄目だな、こんなにしんみりしてちゃ)


 またとない機会なのだ。そうとも、ここはひとつ――


「どーんといきましょうよ、女神さま!」


 俺が言うと、彼女ははっと顔を上げた。


「今度こそ本当に新たな世界への旅立ちです。『ここ』から先に進むための、記念すべき第一歩ですよ。こんなにめでたい事そうそうないですからね。お祝いがてら、ぱーっと景気よくやりましょう!」


「柳田さん……」


 すると、見る見るうちに女神さまの身体に輝きが戻ってきた。


「……そう、そうですね、せっかくのお祝い事ですもの!……いや、よくぞおっしゃってくださいました柳田さん。こうなりゃ派手にいきますよ! はしゃぎすぎて怪我なんかしないよう、気を付けてくださいね――というわけで、またまたご出立のお時間です……ご準備はよろしいですかあーっ!?」


 女神さまはまるでミュージシャンがライブ演奏でそうするように、見えないマイクを観客に向かって差しむけた。


 その観客が自分ただ一人だけゆえ、いかんせん気恥ずかしさは否めないが、焚きつけたのはほかならぬ俺自身だ。ここは応じぬわけにはいくまい。


「おおーっ!!」


 俺はここ一番の大声で応えた。腹の底から声を出したのは、いったいどれくらいぶりだったか。


「うん、いい返事です! では柳田啓吾さん……どうぞ、お達者で!」


「女神さまも、お元気で」


 言うが早いか、今一度あの感覚がやって来た。


 まばゆい光の奔流、霧散する意識、溶けゆく思考、幾千の星屑への変身――


(今度はどんな出来事が待っているんだろう?)


 答えのない問いに胸を弾ませながら、俺はその未知へと勢い勇んで飛び込んでいった。




    了

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フリーホラーゲーム転生:「人生」というクソゲーを耐え抜いた先には、チープでスケアリーな煉獄が広がっていました 純丘騎津平 @T_T_pick

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