最終話 金曜日までの五泊 8


    ×


 備品倉庫。


 西側通路詰所付近。


 東側通路詰所付近。


 突き詰めて言えば、見るべき場所はこの三か所に絞られる。


 本来ならメインホールと天井裏ダクト内部も定期的に確認したいところだが、継ぎはぎ人形をなるべく長く倉庫に留めておきたいという都合上、できる限りそれ以外の場所に視線を移したくない。


 また、単にカメラを切り替えるだけでも電力を余分に消費してしまうため、そういう意味でも通常のルーチンに含める要素は少ないほうが都合がよかった。


 それに、頭上のダクトを使用する敵は移動時に大きな音を発する。その音にさえ注意を払っていれば、必ずしも目視で警戒する必要はないのだ。


 

 そこまで理論を組み立てたところで、今夜最初の高笑いが詰所に響きわたった。例の逆さ女の攻撃だ。


 唐突な一撃に時刻を確認し損ねたが、おそらく午前二時ごろか。正確な数字はどうあれ「耐える時間」のはじまりだ。


 焦りに加えておこなうべき作業がないからか、時間の流れがやけに遅く感じられる。視線に恨みを込めて逆さ女を睨みつけてみても、相手はまるで意に介さない様子で、狂ったように笑い続けるのみだ。


(今に見てろよ……!)と自ずと闘志が燃え上がる。


 ところが現実は非情なもの。たかがパソコン一台動かないだけで、どうして俺はこれほど無力に成り下がるのか。死の恐怖に怯え、がたがたと震えあがる自分が情けなくてしょうがない。


 それゆえ、画面が平常に戻った時は心の底からほっとした。


 汗の滲む手でマウスを操作し、大急ぎで必要な確認をおこなう。いずれの箇所にも問題は認められない。今回もまた、運に助けられた。


 ただ、くだんの継ぎはぎ人形が思ったより進んでいるのには驚いた。彼は早くも倉庫からの脱出に成功していた。現在位置はメインホールの片隅だ。


 そうなると、ここからはこの場所を重点的に見張らなくてはならなくなる。最前までとは違い、食人鬼へのけん制を同じ画面でできないのは大きな難点だ。



 それにしても今夜は逆さ女の攻撃が早かった。この調子でいくと今夜中に最低でもあと一回、多くて二回は追撃があると見るのが無難だろう。


 などと考えつつ、西側の通路に接する扉を遠隔操作で施錠する。


 するとすぐさま、激しい殴打の音が詰所内に鳴りひびいた。エプロンゾンビが声なき声で「ここを開けろ」と訴える。これではおちおち考え事もできない。


 そこで監視モニターに目を戻せば、今度は東側のドアにも来客あり。鹿男の人形がひそやかに接近しつつあった。


 西を開錠し東を閉める。その操作のさなか、頭上から騒がしげな物音が降ってきた。続けざまに黒髪女のご到着だ。最終日ゆえか、彼女らの攻勢は今までになく激しさを増していた。


「ならば」と天井換気扇をまたも遠隔操作でロック。直後に抗議の殴打音が鳴りはじめるも、此度のそれは二重に重なって響いていた。二か所から同時にやられると圧迫感も恐怖も倍以上に増長される。一人であることがこれ以上なく心細かった。



 てんやわんやなれど、おかげで時間の進みは早かった。極度の忙しさがもたらすほとんど唯一の利点である。


 とはいえ、デメリットも小さくない。


(あ、しまった!)


 慌てて画面に倉庫を映しだす。より行動的な他の人形たちに気を取られ、うっかり大鬼のことを忘れるところだった。


 見ると、管理システムが“早く餌をやれ!”と大声で喚きたてていた。返す返すもなぜ自動化しなかったのか。


(くっ…………いま逆さ女に騒がれたらアウトだったな……)


 キー操作はぎりぎりで間に合った。倉庫ばかりを見ていられないため、この作業は体内時計を頼りに定期的におこなわなければならない。


 とはいうものの、こうも忙しいと時間感覚も狂おうというものだ。緊張のためだろう、最前からずっと座ったままなのに、額も背中も汗でびしょ濡れになっていた。


 今のところ逆さ女は比較的おとなしくしている。少なくとも詰所に長く入り浸ったりはしていない。十分でも五分でも長く、この静けさが続いてほしいところである。


    ×


 ほどなくして午前三時三〇分。今夜人形たちが動きはじめたのは夜中の一時ごろだったので、朝六時をゴールとするとちょうど半分が過ぎたあたりだ。


 ここまではどうにか生き延びた。新しいルーチンにもようやく慣れはじめ、心にも余裕が生まれつつある。


 ただし完全に順調とはいかない。


 問題はエネルギー残量だ。この時点で残り電力は四八パーセント。見て分かるように、半分を少し割っている。


 ここから先、敵方もラストスパートとばかりに勢いを増してくるだろう。そのことを踏まえると、今の電力残量ははっきり言って不安な数字である。


「電力がなくなるとどうなるのか」については想像するよりほかにない。せめて即死ということでなければありがたいのだが。



 勢いを増す、ということで言うと、寄せ集め人形は早くもその片鱗を見せはじめていた。心なしか前進のペースがさきまでより速い。彼はすでにメインホールの半ばを過ぎ、着々と通路に向かっていた。


 どうやら彼は東側の通路を使うつもりらしかった。このまま順調に進めば、ひょっとすると鹿男の監視は少し楽になるかもしれない。ただ、そこまで接近されると俺の命も風前の灯火か。


 ふと感じた視線に顔を上げる。すると、いつの間にか逆さ吊りの女が詰所内に侵入していた。


(たしかに、そろそろ頃合いかもな……)


 二度目の妨害はおそらく近い。ここはそのつもりでいるのが賢明だろう。


 ところが俺の予想に反して、女はなかなか動きを見せなった。念のために、と店内各所の監視作業を何度も繰り返すうち、エネルギー残量は見る見る間に減少していった。残りは三九パーセント。自らの現状をこうして数字で突きつけられると、それだけで余計に焦りが募る。


(神経質になり過ぎか?)


 自問するも答えは出ず。


 どうせ運任せになるなら、試しにどんと構えてみるか。幸か不幸か、たとえ失敗しても痛い目を見るのは自分だけだ。


(だったらいいじゃないか、誰に迷惑をかけるでなし…………ようし、こうなれば、いっそ自分のやりたいようにやってやるぞ……!)


 そう考えると少しは気分が軽くなった。


 たとえ敵は多くとも、こちらとて臨戦態勢は万全だ。俺はいつになく落ち着いた心情で、次なる戦いの時を待った。


    ×


 そうして時刻が午前四時を少し回ったころ、女が唐突に叫び声をあげはじめた。


 普段以上に注意していたはずなのだが、今回も前触れらしきものは掴めなかった。こうヒントがないと戦いようがない。


 その影響もあって、俺はまたしてもしくじった。直前に大鬼の確認をし損ねていたのだ。忘れていたのでも油断したわけでもなく、偶然にもタイミングが合わなかった。たしか、以前にやられた時もこういうパターンだったはずである。


 ここまで抜かりなく進めてきたはずが、どうして悪い時に限って不都合が重なるのか。あるいは、あの逆さ女はそういう時機を見計らって、攻撃をしかけてきたのだろうか?


 試しに彼女を観察してみるも、その真意はまるで察せられない。あたかも横に裂けたかの如きその大口で、けらけらと笑い続ける様をじっと見つめていると、なんだかこちらまで気が変になりそうだ。


(ああ、今ごろ大鬼は移動の準備を整え終わっただろうか……)


 室内の暗さと圧迫感とに極度の緊張も加わって、後ろ向きな考えがひとりでに湧き出してくる。


 今にも左方のドアが開かれるか。もしくは、他方の扉に達する者が現れるか。でなければ、頭上から容赦のない攻撃を浴びせられることになるか――


 今や俺の想像力は完全に暴走していた。手に負えない猛獣そのものだ。この拷問のような時間は、いったいいつまで続くのだ。


(もしかすると、この『獣』こそ俺の天敵なのかもしれない……)


 永遠にも感じられる数分間の中、俺が行きついたのはそういう答えだった。



 直後、四角い画面に光が戻ってきた。


 同じ瞬間、天井の換気扇から異音が響きはじめる。まずはここから対処だ。施錠にかかる時間は一瞬。こちらは何とか事なきを得た。


 問題は例の鬼である。手遅れでなければいいのだが……


 思いつつ画面を切り替えると、意外や意外、後者のほうはまだまだ余裕しゃくしゃくといった調子だった。


 どうやら俺は思い違いをしていたらしい。この気難し屋に関する状況は、それほど差し迫ってはいなかったのだ。


「なんだ」と呆れるのは後回しにして、すぐにメインホールと各通路とを視認する。ここで気を抜いて失敗でもすれば、それこそ目も当てられない。


 そうして改めて確認してみると、どこにも問題らしい問題は認められなかった。


 次いで画面から目を離す。すると、例の逆さ女は詰所から消えていた。おそらく倉庫に撤退したのだろう。これで今夜二度目の妨害も無事、乗り切った。


 椅子の背もたれに寄りかかり、大きく息を吐く。


 とたん、背骨がぱきぱきと小さく鳴った。さすがに疲れが出てきたか。


 ふたたび危機を脱したのは良いとして、しかし大鬼の件で思い違いをしていたのは我ながら気がかりだ。身体だけでなく、心のほうにも疲れが出ているのかもしれない。


 ちらと時計を見る。現在四時一二分。


 ラストスパートにはほど遠いが、正念場には違いない。


「……さあ、もうひと踏ん張りだ」


 俺は口の中で小さく言った。自分の声で、自分自身を励ますために。

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