最終話 金曜日までの五泊 7


    五


 五日目。


 この日も前夜までと同様、勤務開始後すぐに電話が鳴った。


「こんばんは、フレデリクソンさん。お待ちしてましたよ」


 俺は受話器を取るやそう言った。


 ところがそのとき電話口にいたのは、俺の想定とは異なる人物であった。


「もしもし、キャプラン君だね? 私は店のオーナーのカーターだ。よろしく」


 カーター氏は挨拶もそこそこに、こう切り出した。


「君の先輩のフレデリクソン君だが、彼は今夜の警備業務には携わらない。というより……当分のあいだは、戻ってこられないだろうと思う」


「彼に何かあったんですか?」


「実は……彼はいま病院にいる。事故があったんだ。勤務を終えて帰宅する途中のことなんだが、彼が運転する車が道路脇の電柱に激突したらしくてね……それで、怪我の具合がひどく、まだ意識が戻らないのだそうだ」


「……そう、だったんですか……」


 口にすべき言葉がいくつもあるはずなのに、そのうちのどれ一つとして声にならなかった。言葉を失う、とはこういうことか。


 カーター氏はさらに説明を続ける。


「キャプラン君にとっては直属の上司だから、ショックも大きいだろう。それでなくても、このところ夜間に妙な出来事が続いていると聞く。今回の事故と直接関連はないのだろうが、しかし気味が悪いことこの上ない……」


 この事故に例の人形たちが関与しているか、そうでないのか――その問いに答えられるのはフレデリクソン当人以外にないが、もしかすると彼自身、何が起きたのか分からないまま悲劇に見舞われたのかもしれない。


「そういうわけだから、明日以降は深夜帯の警備業務はひとまず廃止することにした。同じく、ロボットたちもすべて工場に送りかえし、異常行動の原因が判明するまで徹底的に調査させる。だから今夜だけ――本当にこんな時にすまないが、どうか今夜だけよろしく頼みたい……了承してくれるか、キャプラン君?」


「分かりました、精一杯はげみます……あの、すみませんカーターさん。一つ、お願いがあるのですが」


「何だね?」


「『もし可能であれば』で構いません、仮に今夜中にフレデリクソンさんが目を覚ましたら、その時はお手数ですが、ご一報いただけませんか? たった四日間の付き合いとはいえ、それでも私は彼の不幸を他人事とは思えないのです。このままでは、業務に集中なんてとてもできそうにありません」


「そうか、そうだな……分かった。彼が目覚めた暁には、店に一報入れるよう誰かに伝えておこう」


「ありがとうございます!……それと、わがままを言ってすみません」


「いや、いいんだ。こんな時だからな……それじゃあ、これから朝まで十分に注意しながら頑張ってくれ、キャプラン君」


 そう言ってカーター氏が電話を切るや、俺の胸中に小さな火が灯った。


 その火は初めこそ吹けば飛ぶような些末なものに過ぎなかったが、それから約十分間、無言のまま独り殺風景な詰所で過ごすうち、段々と燃え盛る業火へと変貌していった。


――フレデリクソンが意識不明の重体!


 あのひょうきんでしっかり者の青年がいったい何をしたというのだ? 彼が誰かをひどく傷つけたか? 他人を死に至らしめたか? 無垢な命を奪ったか!?


 彼を襲った不幸がまるで自分のことのように――いや自分のこと以上に辛く感じられ、俺は居ても立ってもいられなかった。


    ×


 この夜、人形たちが本格的に動きだしたのは午前一時を回ったころだった。


 電機設備の不調を契機にして、逆さ吊り女が詰所にテレポート移動してくる。


「あの事故はお前らがやったのか?」


 俺は開口一番、訊いた。返答を期待していたわけではない。ただ訊かずにはおれなかったのだ。


 予想どおり、女は何も答えなかった。


 しかし、俺はそのとき見逃さなかった。俺がそう問いかけた直後、女の不気味な微笑が一層邪悪に、まるで勝ち誇るかのように引きつったのを。


 暴れだしたいほどの衝動をどうにかこらえ、俺は椅子にしがみついた。こっちはただの人間。対する相手は化け物だ。腕力に訴えてどうにかなるとはとても思えない。


 奴らに思い知らせる方法は一つしかない。俺自身が見事、最終日を生き残り、人形どもを一つ残らず処分するよう、訴えかけることだ。


 俺は今までにない鮮烈な覚悟を胸に、命運分かつ一夜に臨んだ。


    ×


 第一の異変はそれから四十分後に訪れた。


 午前一時四〇分。敵味方とも、「そろそろエンジンが温まってきたか」という頃合いだ。


 ここまではひとまず順調だった。全体的な流れは前日とほぼ変わらず、通路とダクトとを利用する三体の人形をメインに見張りつつ、折を見て大鬼に対する電気刺激も実行する。逆さ吊り女に対する明確な対抗手段がないことも含め、昨夜とよく似た状況だ。


 事態が事態だけに、最前の電話では今夜の追加要素について言及がなかったが、実際に何も増えていないのか、それとも情報が伝えられなかっただけなのかは、現時点では定かでない。いずれにせよ油断は禁物である。


 などと考えていると早速、風向きが変わった。


 大鬼の面倒を見ようと倉庫にカメラを切り替えた時、俺はその変化に気が付いた。人形が一体、増えていたのだ。


 元から倉庫にあった機械人形は全部で三体。「穴あきゾンビ・モデル」の動かない個体が二つと、腹を空かせた大鬼である。くわえてエプロンゾンビと鹿男と、あとは逆さ女がタイミングによっては倉庫の中にいる、というのがこの時点での状況だ。


 しかしながら、この時その薄暗い部屋の中には、前述の人形らのいずれにも該当しない人影が確かに存在していた。


 その人影は一見して異様だった。


 まず衣装を身に着けていない。アトラクションの一部であるにもかかわらず、“その一体”は何ら装飾を施されていなかった。金属製の胴体はむき出しで、頭部には目鼻すら見られない。つるりとした顔面はのっぺらぼうそのものだ。


 さらに気にかかるのは、その人形の体形がひどくアンバランスなことだった。手足の長さは左右で異なっているし、不鮮明な映像で確認するかぎりでは、各部の配色もバラバラである。なんというか、「余った部品で無理やり人間の形に整えた」というような印象を受けさせられる。


 そうしたイメージを裏付けるように、倉庫内のアルミラック上からはいくつかの物品がなくなっていた。どうやら、この人形は本当にがらくたを寄せ集めて作られた代物のようだ。


 もしや人形たちが自ら仲間を増やしたのか?


 だとしても何ら不思議はない。なにせ離れた場所にいる人間を交通事故に合わせるくらいだ。今さら奴らが何をしようと驚くことはない。


 気のせいか、「継ぎはぎ人形」はまっすぐ防犯カメラを見つめているような感じだった。モニター越しに彼を見ていると、――目も鼻もないにもかかわらず――画面を通して目が合った、という感覚を覚えさせられる。


 ともあれ問題は、彼がどういう動きを見せるか、だ。


 シンプルに正面から勝負をしかけてくるか、それとも厄介な搦め手を使ってくるか――いずれにせよ肝心なのは初撃。これから先、彼が動き出す兆候を絶対に見逃してはならない。



 そうした心がけが良かったのか、俺はその兆しをいち早く察知することができた。


 敵はすでに行動を開始している。


 何度かカメラを切り替えるうち、俺はその事実を確信した。


 例の人形はほんのわずかずつではあるものの、しかし確実に前進を続けていた。目指すは当然、警備員詰所である。


 重要なのは敵が移動するタイミングだった。この人形は俺が監視しているあいだは微動だにせず、モニターに別の防犯カメラの映像を表示しているあいだだけ、行動していたのだ。


(そうか、お前だったのか……)


 過ぎ去りし激闘の情景が、またも網膜によみがえる。


 ひと気のない深夜のショッピングモール。命がけの「だるまさんが転んだ」……あの時のマネキンの歪な化身が、この継ぎはぎ人形の正体であるのだ。


 そうと分かれば対処は明解。要は、長時間に渡って目を離さなければいいのである。


 とはいうものの、これほど「言うは易し」ということもそうはあるまい。まったく、モニター一台でどれだけの箇所を見張らせるつもりなのか。


 そもそも複数地点にカメラを設置するなら、同様に監視用の画面も二つ三つ用意しておくか、せめて分割表示に対応させるくらいの配慮はして然るべきだろう……まあ、この狭い詰所にこれ以上物を置きたくない気持ちも分からないではないが……


 現状で唯一幸いなのは、この寄せ集め人形の動きがさほど早くない点である。彼は二、三十秒目を離したていどではそれほど前には進まない。やはり間に合わせの身体では思うように動けないのだろう。ならばその弱点、最大限に利用させてもらうとしよう。

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