最終話 金曜日までの五泊 5


    四


 四日目。


 この日最初のトラブルは、もはやお馴染みの電気設備の故障だった。今さら説明は必要あるまい。


 時刻としては午前一時三〇分。一昨日、昨日と着々と異常の発生が早まっている。それでも、当日を含め残り二日の時点でこの時刻なら、まだ情けがあると言えるか。


 一方、人形側で口火を切ったのが誰かと言えば、意外と言うべきかこの昼に到着したばかりの新人がその大役を買って出ていた――そのとおり、今日も今日とて新顔のご登場だ。


 本日やって来た人形は二体。いずれも俺の記憶にある顔で、片や夜の廃キャンプ場で出会った逆さ吊りの女、方や呪われた洋館に潜む人食い鬼である。両者とも、忘れたくとも忘れられない強敵だ。



 して、この二者のうち、より気が早いのは逆さ女のほうであった。


 先輩人形たちをまとめて出し抜くほどの速攻。いったいどれほど速いのかと言えば、つまり「俺が気付いた時にはすでに詰所に侵入している」という手際の良さである。


 この瞬間、俺は死を覚悟した。


 この非力極まりない雇われ警備員と、害意に満ち満ちた殺人モンスターとを隔てる壁はもはや一枚も存在しない。


(これはさすがに万事休すか……!)


 腹を括れど、しかし一向に“その瞬間”が訪れない。俺は首をへし折られもせず、喉を裂かれることもなく、また全身をめった刺しにされもしなかった。


 妙なことに、例の逆さ女はニタニタと嫌らしい笑みを浮かべるばかりで、一向に手を下そうとはしなかった。


 理由が分からないだけに困惑は拭えないが、ともあれ仕掛けてこないなら、この女ばかりにかまけてはいられない。



 ひとまず急を要する事から片付けよう。今度はもう一方の新人、天を衝く食人鬼の面倒を見る番だ。


 珍しいことに、この大鬼の対処法については今夜の勤務開始時にレクチャーがあった。


 助言を授けてくれたのはもちろんミスター・フレデリクソンだ。彼曰く、「この大飯食らいは定期的に餌をやらないと機嫌が悪くなる」のだそうだ。


『機嫌が悪く』なるとどうなるのか、という点については、残念ながらご教授いただけなかった。彼も詳しいことは知らされていないのだ。


 とにかく具体的には、「定期的に手動で電気刺激を与える必要がある」とのことである。


 不具合が分かっているならどうして工場に持って帰って修理しないんだ。加えて言うなら、定期的かつ単純な作業くらいはどうにかして自動化してくれ。


 そういうわけで、俺は本日の勤務開始からもうかれこれ二時間も、この大鬼を“あやし続けて”きた。


 適切なタイミングを見計らいつつ、手が空き次第、大鬼がいる倉庫にモニターを切り替え、対応するキーを操作する。作業内容としてはこれ以上なくシンプルだ。


 制限時間については管理プログラムが自動で計測、報告してくれるので、俺はその指示に従って対応するだけでいい。


 こんな仕組みを用意できるなら完全に人手がかからないようにするのも不可能ではなかったはずだ。そこはかとない悪意を感じるのは、俺の性格が悪いのだろうか?



 ところで、その他の人形については当然のように健在だった。


 エプロンゾンビと鹿男と黒髪女。この三名については俺ももう慣れたものだ。


 前二者はそれぞれ小まめに現在位置を把握し、後者の女は頭上の物音を頼りに警戒する。下手に慌てることなく、冷静に対処すれば恐るるに足らずである。



 一見、盤石にも思える状況に暗雲が立ち込めたのは、第四夜も後半戦に突入したころだった。


 時刻は午前三時七分。この夜、何度目か分からない逆さ吊り女の侵入。


 挙動不審というか、この逆さ女は最前から唐突に現れては消えてを繰り返すばかりだった。通常は倉庫の端のほうで佇んでいるのだが、時折なんの前触れもなく詰所に現れては、にやにやするだけして帰っていく。何がしたいのかまったく見当がつかない。


 それゆえ、俺はいつしかこの女人形を侮るようになっていた。たとえ目の前に現れても「何か対処しよう」とは考えなくなっていたのだ。


 その油断こそが何より命取りだった。


 その時、それまでただ薄ら笑いを浮かべるだけだった女が、突如として金切り声をあげはじめた。


 あまりの奇行に、俺は大鬼に対する確認作業を中断して女を凝視した。


 彼女は相変わらず笑っている。しかしその笑みは直前までの静かなものとは違い、気が触れたような高笑いであった。


 狭苦しい詰所に耳をつんざく絶叫がこだまする。と同時に、PCの画面が完全に暗転した。タイミング的に偶然の一致とは思えない。どうやらこの現象こそ、逆さ吊り女の攻撃であるらしい。


 直接命を奪うような真似をしない代わりに、間接的な方法で獲物を追い詰める。彼女がテレポート移動の如き神出鬼没さを備えているのは、そうした搦め手を使うがゆえの特権なのだ。


 その瞬間、俺はとある事実に気づき、戦慄した。俺の勘違いでなければ、コンソールが沈黙する直前におこなっていた作業、つまり大鬼への電気刺激が半端なところで中断されていたのだ。


 機嫌が悪くなるとどうなるのか――その無邪気な疑問の回答を、俺はこれから身をもって知ることになる。


 とたん、轟音とともに詰所の扉が打ち破られた。部屋全体を揺るがすほどの振動に、俺は文字どおり震えあがった。


 そこに現れたるは巨大な人影。頭は天井に付き、肩幅は出入り口そのものよりも広い。全身を硬い毛に覆われたその出で立ちは、作り物の人形となってもいささかも見劣りすることはなかった。


 反射的に逃走を試みるも時すでに遅し。目が合った、と思った次の瞬間には、俺はすでに食人鬼の分厚い手のひらに捕らわれていた。その腕力は圧倒的。抵抗などできようはずもない。


 続けざま、俺の喉笛に鋭い爪が食い込んだ。そのまま大鬼が腕を振りぬくと、殺風景な警備員詰所にぱっと赤い花が咲いた。


 モニターにキーボード、マウス、外部記憶装置――中央管理コンソール全体が紅の一色に染まる。


 その鮮やかな惨状を苦痛のなかで見届けながら、俺は間もなく暗闇の底に沈んでいった。


    ×


 次に目を開けた時、最初に見えたのはコンソールだった。しかしながら、その管理機材は鮮血にまみれてはいなかった。どこから見ても清潔そのもの――とは口が裂けても言えないまでも、まずまず悪くない状態である。


 慌てて時計を見る。現在時刻は午前〇時ちょうど。日付は間違いなく第四夜のそれになっている。


(そうか、ここからやり直しか……)


 どうやら、今夜は特別ながい夜になりそうだ。



 机上の電話が鳴ると同時に、俺は受話器を手に取った。電話口に驚いた気配を感じる。


「わお、キャプラン君かい? フレデリクソンだ。いやあ、君は素早いね。今の着信はワンコールも鳴っていなかったんじゃないか?」


 着信があるとあらかじめ分かっていたら、対応も速くなろうというものだ。


「さて、今日は業務連絡があってね……というのも、昨日や一昨日と同じで、今日も新しい人形が到着したんだけどさ、このどでかい人形がこれまた妙に気難し屋でね――」


 俺は耳に覚えのある連絡事項を適当に聞き流しながら、頭のなかで考えた。


――俺はどうすれば良かったんだろう?


 直前の死の光景が脳裏によみがえる。PCの操作が利かない以上、手詰まりなのは間違いない。ああいう状況に陥ったらその時点で敗北は確定だ。


 そうなると、あの逆さ女は想像以上の強敵である。今回は大鬼との見事なコンビネーションにしてやられたが、彼女の能力であれば誰と組んでも最高のパフォーマンスを発揮するに違いない。詰所の鍵が閉められないのなら、如何なる攻撃も防ぎようがないのだ。


(何かあの女を撃退する方法があるのか……それとも、単純に運が重要な場面なのか?)


 頭で考えるだけでは答えは得られない。ここは気を引き締めなおし、改めてあの女と対峙するべきである。


「――おおい、キャプラン君? 聞いているかい?」


「ええ、ここにいますよ。とにかく、その大きな人形には定期的な電気刺激が必要なんですね?」


「そうそう、そのとおり。なんだ、ちゃんと理解してくれているじゃないか。いやあんまり静かなものだから、もしや寝ちゃったんじゃないかと思ってさ」


 ここはうたた寝が許される現場では決してない。


 その後、ひととおり要件を伝え終えると、フレデリクソンは爽やかな別れの挨拶を残し、通話を終了させた。


 ひと気のないレストランに冷たい静寂が訪れる。嵐の前の静けさに、俺は人知れず身震いした。

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