第六話 ダンス・イン・ザ・ショーウインドウ 3


     二


 二階に到着したあと、俺ははやる気持ちを抑えて念入りに敵との距離を調整した。


 エスカレーターを降りた先は上階と同様ドーナッツ状の通路になっており、こちらもまた規模の小さな店舗が所狭しと肩を並べていた。


 ただ、二階のこのエリアには有名ブランドのチョコレートショップや焼き菓子の詰め合わせを販売する店など、主におみやげ向きの商品を取り扱う店舗が集められているようだ。上のフロアと同じく食欲を刺激される一帯だが、二階のほうはより高級感を押し出した雰囲気である。


 あるていど落ち着いたところで、「さあ次は一階だ」と再度エスカレーターに歩み寄るも、今度は断念せざるを得なかった。一階に続く道はどれもフェンスで封鎖されていたのだ。理由は明快で、すなわち二階から下のエスカレーターがすべて工事中になっていたのである。なるほど、電源が入っていなかったのはこのためなのだ。


 こうなれば別の手を考えるしかない。


 とはいえ、この点については迷う必要はなかった。ここがショッピングモールなら二階も三階も基本的な構造に違いはあるまい。さきほど三階でファッションコーナーに差し掛かった時、その直前で「この先階段」という表示板を見かけた覚えがある。


 その時は結局通路が塞がれていたが、思うに、この二階で同じ場所に向かえば今度こそ通れるようになっているのではないだろうか?


 この考えは完全にあてずっぽうではあるが、まあ、試してみる価値はあるだろう。どうせほかに行く当てがあるわけではないのだ。



 そういうわけで、俺はふたたび直線状の通路に侵入した。思ったとおり作りが上階と似ていて見通しがいい。


 ざっと見たかぎり、この通路の左右には雑貨店が多く並んでいるようだ。化粧品からお菓子まで幅広く取り扱う店舗もあれば、それぞれカバンやティーセットなどを専門に販売する店もあった。


 北欧雑貨専門店の入り口にはキャラクターものの特設コーナーが組まれてあり、人気の子ども向けアニメの主人公たちが無邪気な顔で踊っていた。カバのような見た目が愛嬌たっぷりだ。


 そんな見ているだけで心弾む道をしばらく――後ろ歩きで――進んでいくと、予定外の事態が起きた。背中に何かがぶつかったのだ。


 俺はその場でちらりと背後を振り返った。


 そこに現れたのはグリルシャッター。閉めた状態でも向こう側を見通せる、パイプを連ねたような形状のシャッターだ。


(マズったな……)


 袋小路に入ってしまったかと束の間、肝を冷やすも、活路はすぐに見つかった。右方に見える大型書店だ。


 どうやらこの書店は出入口を二つ有しているらしく、その一方が俺のすぐ右手側、そしてもう一方が例のグリルシャッターを越えた先に繋がっているらしかった。


 こうして迂回路が用意されているということは、やはり進む道は間違っていない。


 俺は広い通路を外れることに一抹の不安を覚えつつ、敷地の大きい書店に足を踏み入れた。



 まず驚いたのはその品ぞろえの豊富さと、商品陳列の妙だった。欲しい本を見つけやすいようにとジャンルごとに棚が分けられているのだが、これがどこを見ても一定の驚きを覚えさせられるのだ。


 例えば、ブーム真っ只中でもないだろうにSF小説だけで二面も三面も専用コーナーが設けてあったり、子ども向けの絵本はとくに表紙が見やすいよう表向きにずらりと並べてあったり。


 また、色とりどりのファッション雑誌も同様の置き方がなされており、品ぞろえとレイアウトの両方を妥協せず、理想の売り場を作ろうという意気込みが自ずと伝わってくるようだ。


 あえて難点を挙げるなら一点。それすなわち、書架の背丈がいずれも高いということだ。この点は陳列スペース確保の代償とも言えるが、立ち位置によっては店内の見通しが非常に悪くなっている。利用客のなかには圧迫感を覚える者もあるだろう。モールの本屋というより図書館に近しい趣だ。


 そしてこうした趣は、この時の俺にとってこれ以上なく不都合であった。


 なんといっても視線が途切れやすく、敵を見失いがちになってしまう。本棚同士の幅もそれほど広くは取られていないので、どうしても追っ手との距離が一定の範囲に限られる。気を抜けばあっという間にゲームオーバーだ。


 くわえて店舗の構造そのものも少し変わっていて、一方の出入り口からもう一方のそれへと向かおうとすると、どうしても店内奥側のレジコーナー付近を通らなくてはならなかった。つまり、この店の敷地は正確にはコの字型になっているのだ。


 おかげで曲がる必要のない角を曲がり、通る必要のない道を通ることになる。むろん店に文句があるわけではないが、心臓に悪いのも動かしがたい事実である。



 やがてレジのすぐ前を通りがかった時、ふと気がついた――棚の陰に奴の姿がない。


 慌ててあちこちに視線を動かすと、驚くべきことに例のマネキンは俺のすぐ真横まで忍び寄ってきていた。こいつは俺の後ろを追ってくるものとばかり思っていたが、場合によってはこしゃくな真似もするようだ。


 そびえ立つ本棚の列はまだまだ続いている。このままではいつサイドに回り込まれるか分かったものではない。早急に対策を練らねば。


 さしあたり、俺はもっともシンプルな方法から試してみることにした。ずばり敵の誘導である。


 あのマネキンが変な位置で止まらないよう、わざと本棚や柱の曲がり角ぎりぎりまで引きつける。こうすれば相手の姿を見失うことはないはずだ。


 しかし、この作戦は失敗だった。俺には少々難度が高すぎたのだ。


 なんといっても微調整が難しい。接近時は一瞬のまばたきさえ命取りゆえ、否が応でも緊張せざるを得ない。平常時でさえ困難なことが怖気づいていてこなせるものか。俺は命あるうちにやり方を変えることにした。


 何かいい方法はないか、と辺りに素早く目を走らせる。すると天井の近くに面白い物を発見した。


(これならいけるか……?)


 思いつつ、ひらめきをすぐに実行する。


 俺は三つ数えると同時に例のマネキンから視線を外した。それも、やや至近距離で。


 あのマネキンの姿はもはや俺の視界に直接入ってはいない。


 にもかかわらず、俺の身体がバラバラに引き裂かれるようなことは起きなかった。


(成功だ!)


 柄にもなく小さくガッツポーズを作る。ふとした思い付きが上手くいくのは、いつでも気分がいいものだ。



 俺が何をしたのかといえば、早い話が単に相手の姿を見続けただけである。ただし、相手を視界から外した状態で。


 矛盾するようだが不可能ではない。視線が直接通らないなら、間接的に見ればいいのだ。


 種明かしをすると、俺が書店の天井に見つけたのは万引き防止用だろうカーブミラーだった。どこにいても店内を監視できるよう随所に設置されたそれらの鏡を用いれば、物陰に潜む敵の姿をつねに捉え続けることができる。


 あのマネキンがどうやって「自分が見られている」と感知しているのかは皆目見当も付かないが、それを言うなら「どういう理屈でマネキンが動くのか」はもっと分からない。このへんは深く掘り下げないほうがいいだろう。



 ともあれ鏡を見ながら動き回るのには少々コツがいった。


 最初こそ左右がちぐはぐで困惑したものの、しかし少しするうちに慣れてきた。なんというか、ちょうど昔懐かしのサバイバルホラーゲームを思い浮かべるとしっくりくる。いわゆる〈ラジコン操作〉の手合いを、だ。


 この手の操作系統に慣れ親しんだ経験がまさかこういう形で活きるとは。好機はいつも思いがけなく訪れるものだ。


 ただし、今回の場合は目視で相手を捉えることも適宜必要になる。さしずめ「一人称と三人称のハイブリッド視点」といったところか。 


 いずれにせよコツさえ掴めばこっちのもの。俺は順調に書物の樹海を突き進んだ。進行ペースこそ緩やかではあるが、そのぶん危なげない進軍だった。


 いよいよ出口が目前に迫る。俺は好調そのままに書店を脱出した。


 通路に出るやグリルシャッターが目についた。たかがこんな物一枚のために、またずいぶんと遠回りをさせられたものだ。

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