第六話 ダンス・イン・ザ・ショーウインドウ 2


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 察するに、このたび俺を脅かすのはそういう種類の脅威なのだろう。この無人のショッピングモールから五体満足で生還するためには、まさしく命がけで彼らとの“ゲーム”に臨まなければならない。


 その第一歩として、俺は改めて例のマネキンと対峙した。いずれは接近戦になるだろうが、そうなればまばたき一つが命取りになりかねない。


 難しいのは進行方向の様子を確認することだ。敵が前にいるうちはまだいいが、いったん追い越してしまうと今度は後方を向いたまま進まなくてはならなくなる。


 たとえ敵との距離をどれだけ開けられたとしても、視線を外せる時間が限られているのは同じなので、地形の把握は速やかかつ的確におこなわなければならない。土地勘のない場所で実行するには少々難度の高い行為だ。


 一つ幸いなのは、通路の構造が簡単で見通しがいいことだ。視線が通りやすければそのぶん長く敵を足止めできる。この視界の良さだけが、この時の俺にとって唯一の武器だと言えた。


 ややあって敵の真横を通り過ぎる。ここからは基本、後ろ歩きだ。慣れない動きのせいで腿の裏を痛めそうだ。


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 それからまた少し時間が経ったころ。


 ぎくしゃくした動作で着実に進みはするものの、なかなか進展が訪れない。通路の両脇に見えるのは相も変わらず衣料品店ばかりである。このファッションコーナーはいったいどこまで続いているんだろうか?


 先の様子を確かめたいところだが、迂闊には視界を動かせない。あのデニムジャケットのマネキンは、今か今かと俺の油断を待ち望んでいるのだ。


 といったところで良いアイデアがひらめいた。多少のリスクはともなうが、上手くやれば進行方向の状況をあらためられるはずだ。


 そのアイデアを実行すべく、俺はその場で足を止め、束の間マネキンから目をそらした。


 そのまま三、四秒ほど待ってから視線を戻す。すると、敵はちょうど小型店舗一軒ぶんほどの距離を移動してきていた。


(上手く調整しなくちゃな……)


 その後、俺は何度か同じことを繰り返した。


 ほどなくして両者間の距離が五メートル前後まで詰まると、俺は慎重にマネキンとすれ違った。つまり、前後の位置関係を入れ替えたのだ。


 こうすれば少しは落ち着いて前方の様子を観察できる。まったくの一時しのぎだが、この時点ではこれくらいの工夫が関の山だった。


 そうしてマネキンの肩越しに見えてきたのは、エレベーターの案内板だった。だが、これまでの経緯からするとこちらの道は望み薄だろう。これ幸いと進んだところでシャッターなり防火扉なりで封鎖されているのがオチだ。


 また仮にエレベーターが使えたとて、向かった先の階で新手が待ち構えていたらそれこそ袋の鼠である。ここは代案を考えるのが賢明だろう。


 代わりの道はすぐに見つかった。エレベーターのほど近くにエスカレーターがあるらしいのだ。くわえて言うと、そのエスカレーターの周囲はほかの場所より広い空間になっているらしかった。


(ひょっとしてエントランスホールか?)


 淡い期待を胸に、俺はまた慎重にマネキンとの前後関係を入れ替えた。


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 予想は半分ほど当たっていた。


 たしかに広い空間ではあるし、エスカレーターも並んでいるが屋外に続く道は見当たらない。道のりはまだまだ長そうだ。


 その空間はおおよそ円筒状になっていた。円の外周にあたる部分にはドーナッツ状の通路が敷設されており、中央の穴の部分で上下の階が繋がっている。


 中央部分は吹き抜けで、一階から五階までの景色が一望できる構造である。おかげで、窓の一枚もない割にはなかなかの開放感が感じられた。


 外周の通路には多種多様な飲食店が並んでいた。どの店もカウンター席が中心の小型店舗だが、三階部分だけで十種以上というそのバリエーションの豊かさは圧巻である。ラインナップもハンバーガーやドーナッツをはじめ、ピザにブリトーにアイスクリームにと思わず目移りしてしまうほど多彩だった。


 本音を言えばここで一時間でも二時間でもゆっくりしていきたいところだが、実際そうもいかない。言わずもがなあのマネキンのせいである。隙を見せたら何をされるか分かったものではない。


(あいつさえいなければ……)


 仮に迫る脅威がなかったとすれば、いったいどれほど満ち足りた時間を過ごせただろうか。店員や警備員の目はなく、各種調理機器の電源は点きっぱなし。となれば、時間無制限ジャンクフード作り放題食べ放題だ。


 そのことを思うと、普段暴力的な解決法を嫌う俺もこの時ばかりは火器や鈍器を求めずにはいられなかった。


 だがまあ、見方を変えれば「あのマネキンのおかげで窃盗を犯さずにすんだ」とも言える。自身の身の危険がために罪科を免れるとは、なんとも複雑な気分である。



 どうあれぐずぐずしてはいられない。俺は階下に向かうべくエスカレーターに歩みよった。


 しかしあいにくと電動の足場はどれも停止中で、近づいても上に乗っても始動する気配がない。周囲の電灯を見るに電気は通っているので、スイッチが切られているか、もしくは故障しているのかもしれない。


 まあいい。何であれ下に行ければそれでいいのだ。


 俺は視線を後方に据えたまま、幅の狭い“階段”を下りはじめた。左右両側に手すりがあるとはいえ、慣れない後ろ歩きで急な階段を下りるのはやはり恐怖を禁じ得なかった。


 しかも問題は恐ろしさのみではない。厄介なのはまばたきや前方確認――後方、下方? ややこしくてもうしわけない――をするたびに、追っ手との距離が確実に縮まってしまうことだ。


 この地形では一度詰まった距離をふたたび開けるのは難しい。相手に追いつかれる前に、なんとしてでもエスカレーターを下りきるしかない。


 緊張で手のひらが汗ばむ。居心地の悪さが焦りに拍車をかけ、つま先が震え、いよいよ心が怖気づく。されど足は止められない。こうしているあいだにも、あのマネキンは刻一刻とこちらに接近しつつあるのだ。


 五メートルまで近づくとデニムジャケットのロゴが見えた。


 三メートルではネックレスのモチーフまで認識できた。


 ほどなく一メートルの距離まで来ると、指輪の形状から靴下の柄まで、細かいディテールがはっきりと見て取れるようになった。


 ここからさらに距離が縮まった時、俺はいったい何を知ることになるのだろうか。


 いよいよここまでか、と思いかけた丁度その時、足の裏に妙な感覚があった。下りた一段の高さが異様に浅く感じられたのだ。


 続けてもう一方の足を後ろに引くと、今度は段の感触それ自体が感じられなかった。代わりにそこにあったのは、平坦な床の踏み心地だった。


 俺は無事、第一関門を突破したのである。

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