第六話 ダンス・イン・ザ・ショーウインドウ 1


    一


 トイレの個室というのは、目を覚ます場所としては最低の部類に入る。その事を、俺はこのたび身をもって知った。


 自分がどうしてここにいるのかは分からない。このとき俺が理解していたことは一つ。すなわち、自分が何者かということだ。


 名前はジョージ・ダグラス。しがない食品配達スタッフだ。


 それがどうしてこんな場所で目覚めたのかは見当もつかないが、ともあれ今やるべきことははっきりしている。さっさとこのトイレから出るのだ。



 個室ドアの並ぶ手洗い場をあとにすると、そこはトンネルのような通路になっていた。すぐ正面には女性用お手洗いの表示も見える。


(この場所はけっこう広いみたいだな……大型の駅か何かかな?)


 などと考えつつ白っぽい回廊を進むうち、より広く、より天井の高い通路に合流した。


 合流地点から見て正面には小ぢんまりとした書店が付設されていた。その書店の右隣は文房具屋になっており、左隣には靴やカバンの修理店がある。駅よりかはショッピングモールに近しい雰囲気だ。


 どの店も電気が点いていて一見営業中に見えるが、肝心の人間はどこにも見当たらない。店員も利用客もともに気配なしだ。


 目につく位置に時計がなく、また窓もないため確認は取れないものの、俺はひょっとすると営業終了後のモールにいるのかもしれない。


 スマホがあれば時間も確かめられただろうに、残念ながら持ち合わせていない。この現代で通信機器も待たずふらふら出歩くのは社会人としてどうなんだ――いや、自分の意思による外出でないからこそ、俺は今まさに帰り道を探しているのか。



 前述の書店の店先からカバン修理店の方向を見やると、少し進んだ先で通路が行き止まりになっているのが分かった。となると、進むべきは文房具屋の方面だ。


 ここでぐずぐずしていても仕方がない。ひとまず、俺はうら寂しい通路を道なりに行くことにした。


    ×


 そうして少し進んだ先で「この先階段」の表示が目に付いたが、そちらの方向はシャッターが下りていて進めなかった。建物の規模はあっても実際に行ける場所は限られているらしい。ともあれ、ここが三階だと判明したのは収穫だ。


 そうこうしながらレディースのバッグやアクセサリーが並ぶ展示棚の前を通りがかった時、前方に人影が見えた。


 その人影は通路の壁に寄りかかるようにして佇んでいた。


(なんだ……人、いるじゃないか)


 しかし、その人物は最前からまったく動く気配がない。スマホに夢中にでもなっているのだろうか?


「どうあれ情報収集だ」と俺は人影に近づいていった。



 ほどなくして、相手の人相が少し分かるくらいの距離まで近寄った時、ようやく俺は気がついた。あれは人間じゃないぞ、と。


 簡潔に言えばマネキンである。それも洒落たコートでシックに決めて、かつアンニュイなポーズまで決めたマネキンだ。


(紛らわしいなあ……でも、どうしてこんな所に?)


 マネキンなら服屋にあってしかるべきだ。どの店の敷地でもない通用路にぽつんと立っているのは、いかんせん不自然に感じられる。


 どういう事情かと辺りを見回してみると、ほどなくその理由が分かった。その無機質な顔が向けられている方向に、アパレルショップが並ぶ一角があったのだ。なるほど、この廊下を行きかうお客様方に、ファッションコーナーをアピールする企てであるようだ。


 道はこの先でいくつかに枝分かれしていたが、ファッションコーナーに続く道以外はいずれも途中で行き止まりになっている。なにやら導かれているようで嫌な感じだ。


 されどほかに行くあてもなし。そして、どうせ行くなら早いほうがいい。


 そんなわけで、俺はその左右に多くの衣料品店をのぞむ、直線状の通路を歩みはじめた。


 周囲の店はどこも電気が点いたままで、入り口もおおむね開いていた。ショーウインドウを彩る色とりどりのアイテムが目に美しい。


 俺はそこまで衣服にこだわるタイプではないが、それでもこういう華やかな空間は、単にそこにいるだけでも心が浮足立つ感じがする。


 ただ、そうした場所に付き物の人々の往来や、それが生み出す喧騒がないのは少々異質なようでもあった。



 少し経って、あるファストファッションブランドの店舗前に差しかかったころ。


 その時、近くで物音がした。さほど大きな音ではない。どこかで展示用のハンガーでも落としたか、というような具合である。


 音の方向ははっきりとは分からない。屋内ゆえ、そこかしこに反響していたのだ。


 瞬間、俺は強烈に嫌な予感に襲われた。とくに根拠があったわけではない。その悪寒はあくまで本能的なものだった。


 ふいに視線を感じ、振り返る。


 しかし背後には誰もいない。そこに見えるのは無人の店舗ばかりだ。


(うん……?)


 じっと見ていると視界のなかに違和感を覚えた。ついさっきまでと何かが違う気がする。


 しかし、「何が」と問われるとすぐには答えられない。ただ漠然と、そこにあるはずの何かが――


(あっ、そうか)


 マネキンがなくなっているのだ。それも、あの通路の壁に寄りかかっていたやつが。


「道の曲がり加減で見えなくなったのか」とも考えたが、どうも違うらしい。それが証拠に、遠方には「この先階段」と記された表示板が見えている。例のマネキンを見かけたのはその表示板を通り過ぎたあとのことだ。


 やはり“何か”がいる。俺が対峙すべき何かが……


 気がかりではあるものの、さりとて立ち止まっていてどうなるものでもない。俺は探索を再開すべく前方に向きなおった。


 ところが、そこでまたも足を止めざるを得なくなった。進行方向である通路の端に、ふたたび人影が出現していたのだ。


 その人影はまたしてもマネキンであるらしいのだが、服装を見るに最前のそれとは別の個体かと思われた。その身を飾るのはシックなコートではなく細身のデニムジャケットである。


 どうあれ問題は、「そんな物は直前まで絶対に存在していなかった」ということだ。


(まさか……)


 その時、ピンとくるものがあった。


 物は試しだと俺は前方のマネキンから二、三秒のあいだ目を離し、その後あらためて前を見やった。


 思った通りだ。ほんのわずかではあるものの、マネキンの位置が直前までと違っている。


 もう一度同じ試みをしても結果は変わらず、俺とマネキンとの距離はじりじりと縮まっていくようだった。


(なるほど……今度はそういうアレか)


    ×


 間違いない。今度の世界は「だるまさんが転んだ」系のホラーゲームだ。


 この系統を説明するのに多くの言葉は必要ない。こちらが見ていない時にかぎり敵が動く。接触されたら即ゲームオーバー。じつに単純明快だ。



 こうした挙動を見せるキャラクターでとくに有名なものと言えば、海外の都市伝説系共同創作コミュティサイト〈PCS財団〉中の一項目、〈PCS‐173〉が挙げられる。


 このキャラクターは一見、単なる人型の石像にしか見えないが、その正体は凶悪なモンスターだ。


 近くに人間がおり、かつその場の全員の視線がこの怪物から外れている場合、彼は手当たり次第に周囲の者を襲ってまわる。生身の人間ではとても太刀打ちできない腕力と瞬発力とで、思うがままに殺戮の限りを尽くすのだ。


 そうした凶暴性にインパクト抜群の不気味なフェイスペイントも相まって、ファンのあいだでは「このPCS‐173こそPCSの代表格だ」、とする意見も多く主張されている。



 また、これは余談だがPCS財団の目録には「生きたマネキン」というモチーフの項目も存在している。

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