第五話 ジパング怪鬼譚 3


    ×


 最前の連絡どおり、一階正面玄関から向かって右手の西側エリアには、大食堂なりキッチンなりが並んで配置されていた。くわえて、使用人室らしき一室も。


 廊下を進みつつ懐中電灯で前方を照らすと、突き当りに半開きのドアが見えてきた。ここがタカヒロの言う『物置みたいになってる』部屋だろうか。


 扉の隙間から通路に向かって、わずかに光が漏れている。察するに、光源はタカヒロの懐中電灯だろう。


 俺はその隙間から部屋の内部を覗き見た。視認できたのは狭い範囲だが、空の本棚やクローゼットの類がいくつも並んでいるのは分かった。なるほどこれは物置だ。


 次いでゆっくりとドアを開く。静まり返った一室に、金具のきしむ音が鳴り響いた。



 まず目に入ったのは床に転がるフラッシュライトであった。俺の記憶が正しければ、それは確かにタカヒロの所持品である。


(まさか、本当に……?)


 嫌な予感が頭をよぎる。倉庫内の方々に明かりを差し向けるも、彼の姿は確認できない。見えるのはクモの巣が張った棚ばかりだ。


 そうして室内を奥へと進みかけた時、右のほうから物音が聞こえてきた。


 直後、躍り出る人影。

「ウウオオーオーッ!!」


“それ”は獣のような雄叫びをあげてこちらに迫ってきた。


 しまった、と思った時にはもう遅い。意表を突かれたこともあってか、俺はその場で腰を抜かしてしまった。


 もはやこれまでか――と腹を括りかけた瞬間、辺りに響く笑い声。


「ぷっ……あっはっはっは!」


 その軽快かつ豪快な笑い声は、当然俺のものではなかった。言わずもがな、声の主は例の人影だ。


「あーあ……なんて顔してんだよ、まったく」


 タカヒロは目じりを拭いながら言った。


「シュウジ、お前、この世の終わりみたいな顔してたぞ」


 俺はすぐさま抗議の意を示した。


 すると、タカヒロは意外と素直に頭を下げた。


「いやいや、悪かったよ。さすがにちょっと悪ふざけが過ぎたな。心配して来てくれたんだもんな?」


 イタズラにしても趣味が悪いぞ、と感じたのはどうやら俺だけではなかったようだ。ともあれ無事で何よりである。



 といったところでスマホが鳴った。見ると、新着メッセージが一件、届いている。


 送信者はメイだった。


――たすけて


「なんだよ……もしかして、アイツも俺と同じこと考えてんのか?」


 タカヒロが言うが早いか、今度は音声通話の着信音。こちらはユウキからだった。


 画面に表示された通話ボタンを押すと、すぐにグループ通話が開始された。


――た、大変だ! メイちゃんが、メイちゃんがさらわれちゃって……タカヒロ君、シュウジ君、お願い早くこっちに来て!


 彼の声は尋常でない様子だった。とてもではないがイタズラだとは思えない。


 この点についてはタカヒロも同意見らしく、彼は直前までとは打って変わって深刻な調子で告げた。


「落ち着けユウキ! 慌てるな、すぐに行ってやるから――ええと、お前がいるのは二階でいいのか?」


 訊きながら、タカヒロは早くも歩きはじめていた。彼に促されて俺も後に続く。


――ううん、今は三階にいる。どこかの部屋の中なんだけど……ごめん、詳しい場所はよく分からなくて……


「今、何が見える? 家具とか窓とかシャンデリアとか……なんでもいいから目印は?」


――ええと、ベッドと、机と……あと、赤いカーペットが敷いてある。それにクローゼットも。


 要するに「普通の居室」ということか。ユウキの言葉から居場所を特定するのは難しそうだ。


「オーケイ……オーケイ、とにかく分かった。いいかユウキ、何かヤバそうならそのまま隠れるか逃げるかしておくんだ。もし大丈夫なら、下の階に降りてこい。どこかで合流しよう」


 タカヒロは落ち着いた声で言うと、最後に「すぐ行くから、パニックになるな」と付け加えてから通話を終えた。


「急ごうシュウジ」


 その後、俺たちは慌てて正面玄関近くの階段を上りはじめた。


    三


 一階の構造と同様、三階も東西のエリアに別れていた。ユウキがどちらの方にいるのかは見当もつかない。


「手分けして探そう」


 というタカヒロの提案に、俺は一も二もなく同意した。なにせ事は急を要するのだ。



 東に伸びる廊下を進んでいくと、向かって右手の壁にはずらりと並んだ窓、同じく左手側には整列したドアが見えた。


 ドアはすべて同じデザインで統一されている。おそらく、戸の向こう側も似たような部屋がいくつも続いているのだろう。こうなれば片っ端から調べていくしかない。


 階段から一つ目のドアは外れ。部屋の中にあったのは家具と埃と静寂のみだ。


 二つ目も同様に手応えなし。こちらは家具の配置も含め、一つ目の部屋と瓜二つ、といった調子である。


 さらに、「二度あることは三度ある」と三つ目のドアも無駄足に終わった。



 続いて四つ目のドアを開いたところで、ようやくそれらしい一室に行き当たった。


 内装はそれまでに調べた部屋と似通っているが、ここには見るからに新しい足跡が残されていた。その足跡は出入り口からまっすぐクローゼットの方へと続いている。埃が積もって白くなったカーペットのおかげで、まさに一目瞭然だ。


 クローゼットの前に立つ。一人用なのか大きさは控え目だが、それでも人一人隠れるには十分なサイズである。心なしか、中から人の気配を感じるようだ。


 俺は慎重な手つきでクローゼットを開けた。


 予想どおり、中にはユウキがいた。


 彼は体育座りの格好でそこに座り込んでいた。ひどく怯えた様子だった。


 暗がりのなかで目が合うや、ユウキは今にも泣きだしそうな声で言った。


「ああ、シュウジ君! 大変なんだ、メイちゃんが『あいつ』に……早く助けてあげなくちゃ!」


『あいつ』とは誰のことだ?


 俺はユウキを落ち着かせながら、とにかくシュウジに一報を入れた。これですぐに合流できるだろう。



 そのうちいくらか平静を取り戻したか、ユウキは少し落ち着いた様子で零しはじめた。


「か、怪物が出たんだ……噂になっていた怪物、本当にいたんだよ……とんでもなく大きな奴だった。二本足で歩いてて、背が三メートルくらいあったと思う。暗いからよく見えなかったけど、天井に頭が付きそうな感じだった……そいつが――そいつがメイちゃんを捕まえて、どこかに連れて行っちゃったんだ」


 背丈が三メートル……となると、おそらく人間ではないだろう。大型の熊かビッグフットか、あるいは“鬼”の類なのか。


「誰か助けを呼ばなくちゃ――そうだ、警察! 警察に電話しよう」


 友達が巨人にさらわれました、と通報したところで、果たしてまともに取り合ってもらえるだろうか? 


 どうあれ俺たちは今、現在進行形で不法侵入中である。さすがに警察には頼れまい。


 と考えているところに、ようやくタカヒロがやって来た。


「おい、大丈夫か!?」


 彼は血相を変えてこちらに近づいてきた。


 ユウキから聞いた情報を伝えると、タカヒロは何とも言えない表情を浮かべた。心配半分、困惑半分といった雰囲気だ。


 ともあれ彼は言った。


「よく聞けユウキ……ひとまず、お前は一階の玄関の近くで待ってろ。いつでも逃げ出せるように出口を見張っていてくれ。メイのことは俺とシュウジで何とかする……いいよな、シュウジ?」


 今のユウキに無理はさせられない。メイの捜索は引き続き二人でおこなうしかなさそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る