第五話 ジパング怪鬼譚 1


    一


「ねえ、やっぱりやめたほうがいいんじゃないかな……?」


 そうこぼしたのはグループのなかで一番小柄な少年だった。


「馬鹿言うなよ、ユウキ。せっかくここまで来たんだ。手ぶらで帰るなんてできねえよ」


 別の少年が口をとがらせる。この少年――名をタカヒロという――は体格も態度も立派すぎるほど立派だった。そのせいか、タカヒロとユウキ少年とが横並びになると、とても同い年には見えなかった。


「でも……」と、なお食い下がるユウキ少年を、タカヒロは一喝した。


「うるせえ、今さらガタガタ言うな!――あ、いや……まあなんて言うか……そう心配すんなよ、そんなヤバいことにはなんねえよ」


 ユウキは今度こそ何も言い返さなかった。



 そんな二人の様子を前方に見ながら、彼女は俺に笑いかけた。


「あのふたり、またやってるよ。ユウキ君も怒鳴られるって分かってるんだから、言い返したりしなきゃいいのに……ねえ?」


 その口調には少しばかりトゲが含まれていたが、しかしメイは悪気があってそうしたのではない。ユウキとタカヒロとメイの三人は幼馴染ゆえ、お互いに気を使わない関係が当たり前になっているのだ。


 それが証拠に、彼女はこのグループのなかで唯一の新参者たる俺が、早く周囲と馴染めるよう、普段から率先して話題を振ってくれていた。俺が三人と出会ってから一年ほどになるが、今でもふとした瞬間に距離を感じることがある。とくに、一人だけ違う高校に通うタカヒロとは、打ち解けるまでに少し時間が必要だった。そうした事情を察せるあたり、メイも根は優しい人間なのだ。


    ×


 ユウキ、タカヒロ、メイ、くわえて、「俺」こと立川シュウジ。


 なんてことのない高校生グループ。三人の幼馴染と一人の新顔。


 今宵この時、俺たち四人はとある山の中腹にいた。目の前には背の高い金網フェンスがそびえ立っている。その囲いは立ち入り禁止区域を示すための物だった。


 周囲は深い森に覆われている。こんな片田舎の山中で、いったい何をそんなに大事そうに囲っているのかといえば、それすなわち閉鎖された別荘であった。


 この別荘は地元では有名な心霊スポットで、近くで幽霊を見ただとか、得体のしれない怪物が出ただとかの“妙な噂”が後を絶たない。近くに湖があるせいか、「うかつに別荘に近づいた者はその湖の底に沈められるのだ」という、警告めいた怪談も囁かれているようだった。


 とはいえ別荘の外周には前述のフェンスが張られているので、そもそも近づくことすらかなわない。いくら時間もエネルギーも持て余した地元の若者たちといえど、有刺鉄線を超えてまで噂の真相を確かめようとはしなかった。



 ところが最近、そのフェンスの一部が老朽化し、人が通れるほどの隙間ができたらしい――そんな噂を仕入れてきたのがほかでもない、例のタカヒロ少年である。


 高揚した彼が「俺たちで地元の都市伝説を解明しよう」と提案するのにメイが乗っかり、そこに俺が同調し、そうしてユウキもなし崩し的に参加することになった。


 それが、今日から三日前の出来事である。


    ×


 そして今日、実際にフェンスの周りをたどってみると、なるほど金網の一部に亀裂が入っているのが見つかった。「人が通れる」と言うと言葉が過ぎるが、「その状態まであと一息」という具合ではある。


 タカヒロは躊躇なくフェンスに手をかけた。彼が力を込めると、金網は飴細工のように簡単にねじ曲がった。金属が腐食して弱くなっていたのだ。


「こんなの親に知れられたらなんて言われるか……」


「だから、そう心配すんなってユウキ。こんな状態じゃ、俺らがやらなくったって遅かれ早かれこうなってたよ」


 タカヒロはほかの三人を引っ張るように、ぐいぐい山道を進んでいった。


 うっそうとした木々に視界を塞がれているため、前方に建物の影は見えない。本当にそんな立派な別荘があるのか、と少々心配になってくる。



 そんな俺の不安をよそに、館は突如として姿を現した。


 窓の配置を見るかぎり地上四階建て。想像していたよりも大きな洋館である。高さと横幅のバランスが良く、ひょろ長くも扁平すぎもしない。立ち入り禁止区域だからか踏み荒らされた様子もなく、閉鎖したのがもったいなく感じられるほど荘厳だった。


 これだけ大きな館がどうして直前まで見えなかったのか。きっと、こういうのが山の怖さなのだろう。


 館へ続く道には金属製の門と塀とが設置されていたが、幸い門扉は開いたままになっていた。


 その門を越えてさらに進むと、いよいよ洋館が近づいてきた。



 ほどなくして、俺たちは無事に館の玄関までたどり着いた。


 四人分の懐中電灯の光が、古めかしい扉に一斉に注がれる。玄関ドアは二枚一組の両開きで、それぞれの扉の中央付近には、猛禽類を模した真鍮製のドアノッカーが設えてあった。その表面には少し錆が浮いているものの、構造が単純なだけに今でも問題なく機能するようだ。むろん、ノックに応える者があるかは別にして。


    二


 直接管理する者がいないのか、玄関扉に鍵はかかっていなかった。


「おじゃましまーす……」


 扉を開けつつタカヒロがつぶやく。応じる声はない。


 次いで、俺たちはおっかなびっくりエントランスに踏み入った。


 外観も立派だが、内装のほうも負けず劣らず豪奢だった。エントランスというよりホテルのロビーに近いだろうか、玄関だけで十畳以上の広さがある。広いフローリング床の一部が土間になっているあたり、あくまで「日本式の洋館」ということになるのだろう。


 見るからに値の張りそうな調度品や絵画が手つかずで残っていることからすると、閉鎖から今まで一人の侵入者もなかったのかもしれない。


 そんなことを考えていると、メイが不意に声をあげた。


「見てあれ、シャンデリア!」


 彼女につられて視線を上げる。すると、そこには確かにシャンデリアの姿が確認できた。ずいぶん埃を被っているようだが、それでも懐中電灯の光を当てると、真鍮色のフレームやガラス製だろう装飾品がきらきらと瞬いて見えた。


「すごい……本物は初めて見た……」


 ユウキは目線を上げたまま見とれている。この時ばかりは恐怖心も忘れているようだった。


 次いで口を開いたのはタカヒロだった。


「まあキレイなのは分かるけど、俺たちの目的も忘れるなよ。ホントにバケモノがいるのかどうか、ハッキリさせなきゃな……それじゃあ、とりあえず右のほうから見回ってみるか?」


「別に、ぞろぞろ連れ立って歩くことはないでしょ。何かあったらスマホで連絡すればいいんだし」


 と応じたのはメイである。彼女はさらに言葉を続ける。


「ぐずぐずしてたら誰か人が来ちゃうかもしれないじゃん? みんなで手分けしてさ、ちゃちゃっと調べて帰ろうよ。面倒なことになる前にさ」


「それもそうだな――分かった。じゃあ、俺はさしあたり一階の右側を見に行くから、お前たちはそれ以外の所からはじめてくれ。何かあったら連絡する……じゃ、また後でな」


 そう言い残すと、タカヒロは臆する様子もなくさっさと一人で行ってしまった。肝の据わった男だ。



 残る三人で話し合った結果、俺は玄関から見て左の東側エリアを、ユウキとメイはそろって二階を見て回ることに決まった。


 ユウキたちが二人一組なのは「こんな所で女の子を一人にするつもり?」とメイが言ったからなのだが、彼女も本心では、ユウキを一人にするのが心苦しかったのだろう。事の成り行きが成り行きだけに、「苦手なことに突き合わせてしまった」という負い目があるのかもしれない。


 ともあれここからは単独行動だ。俺はこの日のために買った真新しいライトを片手に、ひと気のない暗い廊下を進みはじめた。

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