第四話 インファースト 3
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(そうそう、これこれ……これが醍醐味なんだよな)
抵抗ゆるさぬ強大な敵から逃げ回り、恐怖におののきながら息をひそめる。もしも見つかれば地獄行き。逃げ損なえば八つ裂きだ。
この身も凍るような冷たい無力感こそ、「かくれんぼホラー」の最大の持ち味なのである。
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追っ手の気配が完全になくなるのを待ってから、俺はようやく部屋を出た。そのまま足音を立てないよう、慎重に廊下を進んでいく。目指すはふたたび三〇九号室。すなわち、トムの元だ。
どこからか聞こえる物音にいちいち怯えながら、どうにか目的の部屋までたどり着く。
(頼むからそこにいてくれよ……!)
俺は心のなかで相棒に語りかけた。
ややあって、さっきと同じ場所で彼を見つけた時には思わず膝が抜けそうになった。
だが安心するのはまだ早い。まずは近くで容体をあらためねば。
「おい、おいトム、大丈夫か?」
囁くように訊くと、すぐに返事が返ってきた。
「エドお前……戻ってきたのか」
「そりゃあ見捨てていくわけにはいかないだろ……それより、どうだ、動けそうか?」
「おう、この『豪勢な』ベッドルームでたっぷり休んだからな、もう絶好調よ」
肩を貸してやると、トムは意外とすんなり立ち上がった。余裕の態度もあながち強がりではないらしい。ただ、鼻血は拭いておいたほうが様になったかもしれない。
息を殺して正面玄関を目指すあいだ、トムは興奮しっぱなしだった。
「お前も見たよな? 狙ってた映像じゃないが、こいつは大スクープだぜ! うらぶれた廃墟にひそむ殺人鹿男……気鋭のストリーマーが捉えた凶行の全貌……行けるぞ! これで俺たちもトップ配信者の仲間入りだ!!」
声の大きさこそ控え目だったが、その舌はいつにも増して滑らかだ。負傷によるアドレナリン分泌でハイになっているのだろう。
俺はたしなめるつもりでトムの言葉に応じた。
「生きて帰れたら、の話だろ」
「そりゃ帰るに決まってるさ。成功の直前で死ねるかよ」
「しかし、この階段で待ち伏せされてたらマジで終わりだぜ」
幸いにも俺の心配は思い過ごしに終わった。二階の廊下から階段を降りきるまで、道行きは肩透かしなほど平穏だった。
ほどなく現れる正面玄関。ここまで来れば、あとは車に飛び乗って走り去るだけだ。
「ヘイ! そんなにビビんなよサンドイッチ、ほらさっさと――」
「いや待て!」
俺は駆けだそうとするトムの肩を掴んだ。
次の瞬間、玄関扉が勢いよく開け放たれた。
踏み込んできたのは二人組の男たちだった。大柄な身体に黒いローブ。鹿か山羊らしき獣の被り物。「あの鹿男の仲間だ」と一目で分かる風体だ。
男らのうち、一人は手に鉈のような物を携えていた。もし捕まればただでは済むまい。
そう考えた時、手ぶらのほうの男が俺たちを指さした。
「ヤバいぜトム、見つかった!」
「分かってるって、逃げろ逃げろ!」
俺たちはそろって走りだした。
と同時に、背後からあの男たちが追ってくる気配がした。
行き先をあれこれ考える余裕はない。今はただ、朽ちかかった通路を命がけで駆け抜けるのみだ。
そうして夢中で走るうち、ふと壁の表示が目に入った――〈このさき大食堂〉
「トム! こっちだ!」
俺は自身の思い付きに任せるがまま、相棒に呼びかけた。
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やがてたどり着いたのはひと際大きな部屋だった。ほかの場所より天井が高く、空間が広々として感じられる。さすが大食堂といった貫禄である。
撤去費用を“節約”したか備品がそのまま残されており、十数台のテーブルと、数えきれないほどの椅子がフロアの至る所に転がっている。むろん、それらすべてゴミ同然のくたびれ具合だ。
窓は広く取られているが、埃だらけの遮光カーテンを閉め切っているため、外の光は入らない。まともな明かりがないからだろう、広さのわりには閉塞感が強かった。
(これならうまくいくかもしれない)
俺はトムに向かって言った。
「ここで奴らを撒こう」
「本気か? うまく行くのかよ?」
「さっきお前を助けた時はこれで成功した」
「マジで? じゃあ文句言えねえな」
この暗さを味方にできれば、敵の目を欺くのも不可能な話ではない。俺とトムは早速、それぞれ適当なテーブルのかげに身を潜めた。
そこに少し遅れるかたちで追っ手の二人組が到着した。(そのまま通り過ぎてくれ)と祈るも、やはり何か感じるものがあったのか、二人組は足を止めて食堂内を見渡しはじめた。きょろきょろと周囲に目を向けつつ、じっくりと時間をかけて練り歩く。
そのうち、追っ手の一人が懐中電灯を使いはじめた。
一瞬どきりとさせられたが、この展開は俺とトムにとってはむしろ都合が良かった。ともあれあのライトの光が向けられる先に、やつらの視線もまた向けられているのだ。
(しめた!)
と思った矢先、かすかな物音。
音のしたほうに目をやると、トムが俺にだけ聞こえるよう、息で合図をしていた。
彼の手には壁材か何かの破片が握られていた。くわえて、空いたほうの手でさきほど通ってきた出入り口を指している。
続けざま、ハンドサインでカウントダウンをする……三、二、一、〇――のタイミングで、食堂内に乾いた音が鳴り響いた。カタリ、と小さく鳴ったその音は、トムが投げた破片の立てたものだった。
一瞬遅れて、その破片の落下位置を、追っ手の持つライトが照らしだす。
そうして男らが見せた隙を突く形で、俺たちは密かに出入り口へと向かった。頭を低くし、ほとんど四つん這いの格好で壁際を行く。そのまま素早く扉まで近づいたら、今度は慎重な手つきでドアノブをひねり、物音を立てないよう廊下に脱出する。
こうして、我らがザ・フレッシュの作戦は見事に功を奏したのであった。
「捕まれば命はない」という状況にもかかわらず、俺とトムはともに込み上げる笑いをこらえるのに必死だった。
「まったく、上手くやってやったぜ!」
正面玄関を目指しながらトムが言う。
「なあサンドイッチ、見たかあのマヌケども。あんな手にひっかかるなんてな」
「あんまり浮かれるなよフレッシュ。また新手が来ても知らないぜ」
「『知らないぜ』で済むか。そうなりゃ俺ら、二人そろってあの世行きだ」
どことなく嫌な予感はあったが、しかし今度は誰かと鉢合わせするようなことにはならなかった。少なくとも、正面玄関を出るまでは。
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