第四話 インファースト 2


    ×


 などと頭の隅で考えるうち、無事トムの挨拶が撮り終わった。続いて、ホテル一階の正面玄関から順に、建物の奥に向かって取材撮影を進めていく。


 受付で見かけた食い散らかしのゴミも含めて、ホテル内には人の出入りした痕跡がいくつも見受けられた。無数の落書きや空になったスプレー缶、故意に割られたらしいガラス窓などが行く先々で俺たちを出迎えてくれる。


 鍵のかかった戸棚や用具入れなど手つかずの部分もいくらか見られたが、そうした物のいくつかは無理にこじ開けられていた。これもいたずらの一種だろう。


 山間の施設ゆえか外光は少なく、窓は多く設置されているものの屋内は暗い。おかげで雰囲気はばっちり決まっている。荒れた客室や食堂らしき広間を順々に巡るうち、使えそうな映像が着々と増えていった。


 ところがトムは不満げな様子だった。


「もうちょっと個性的な画が欲しいなあ」


 彼は口をへの字に曲げながら、さらにこう続けた。


「これじゃあ他の廃墟とそう変わんないぜ……なんかこう、これぞ、っていう物がどっかにないかなあ?」


「俺は悪くないと思うけどな……まあ焦ることはないさ、気長にやろうぜ」


「ここまで来るのに時間も手間もガソリン代もかかってんだ。手ぶらじゃ帰れねえぞ」


「じゃあ、俺が『食人ゴースト』のフリをして飛び出してやろうか?」


「やめろよ。視聴者にキレられるぞ」


「それか、迷惑行為でBANされるかもな」


 軽口を叩きつつ各部屋を回る。


 エントランスにあった案内図によると、このホテルは地上三階建てで、各フロアに十五から二十の客室を備えているらしい。そのほか一階部分には食堂とレクリエーションルームと、土産物などを扱う売店――元、売店――などがあるようだ。



 そうしてひととおり一階部分を撮り終えたころ、トムに続いて俺も焦りを覚えはじめた。


 二階から上はほとんど客室ばかりだ。そうなると、このさき変化に富んだ構図は望み薄かもしれない。


(ここで時間をかけ過ぎるのはよくないな)


 実態はともかく立ち入り禁止区域に指定されている以上、いつ撮影が止められても不思議はない。時間は有効に使うべきだ。


 そう考えたのはどうやら俺だけではないようで、「二階と三階は二手に分かれてそれぞれ探索しよう」という俺の提案を、トムは一も二もなく了承した。


    二


 実際に事が動いたのは、それから二〇分ほど経ったころだった。


 二階の客室の一つを見回っていた時、頭上から大きな物音が聞こえてきた。箪笥か本棚でも倒したようなバカでかい音だった。


 音源は真上の部屋らしかった。三階はトムの担当である。何かヘマでもやらかしたのか。


 連絡を取ろうとスマホを取り出すも、あいにく圏外。建物の中は電波が弱いのかもしれない。


(仕方ないな……)


 廃墟探索に危険は付きものだ。こういう場合、「安全第一」がフレッシュミート・サンドイッチの信条である。


 そういうわけで、俺はトムの様子を確かめるべく上階へと向かった。



 わずかでも高い位置にあるからか、三階の廊下は階下のそれよりは明るかった。当然、視界がいいと言うと褒めすぎになるが。


 さきほど物音がした時、俺は二〇九号室にいた。となると真上の部屋は三〇九号室。どちらも一般客用の客室だ。


 くだんの部屋の戸口に近づいてみると、ドアが半開きになっていた。


「おい! フレッシュ、いるのか?」


 問いかけながら部屋に踏み入る。カーテンが閉まっているのか、室内は真っ暗だった。


 辺りの様子をあらためるべく手元のライトを方々に向ける。そうするうち、俺はようやく気がついた。


「フレッシュ……おい……ちょっと待てお前――おいマジかトム、トムっ!?」


 彼はベッドルームの壁によりかかる格好で倒れこんでいた。駆け寄りつつ呼びかけるも返事はない。


 近づいて初めて分かったが、彼は額と鼻から出血しているようだった。首元や胸の辺りをはじめ、衣服のあちこちに赤い染みが見える。


 その肩を叩きながら何度か呼びかけるうち、ようやくトムは反応を示した。


「ああエド、心配するな……俺は大丈夫だ……それより――おいエド! 後ろだっ!」


 彼が叫ぶが早いか、俺は後方に向かってぐいっと引っ張られた。平均と比べとくに軽いわけでもない俺の身体が、まるで木の葉のように宙を舞う。抵抗の余地は一切なかった。


 

 気づけば俺はベッドルームの入り口まで戻されていた。それも、これ以上なく乱暴なやり方で。


 犯人は一目瞭然だった。いつの間に現れたのか、俺とトムとのあいだに割り込むような形で何者かが立っていた。大柄な体格から察するに、成人の男性かと思われた。


 俺は突然の痛みと衝撃とにかすむ目を凝らし、その男の姿をよく観察した。背が高い。ざっと見て二メートル近くはあるか。同様に肩幅も広く、向かい合うだけで並々ならぬ威圧感を感じさせられる。


 その装いは時代錯誤的で、首から上を除く全身が黒いローブのような物で覆われている。


 右手の辺りには何か棒状の物体が見受けられた。物体の長さと形状からすると、どうやら解体用のハンマーであるようだ。


 これだけでも十分目を引くが、それらの特徴に増して奇妙だったのは――


(あれは……鹿か……?)


 被り物だろうか、男の顔は獣のそれになっており、頭頂には左右一対の角がそそり立っている。その両目は血に飢えるかのごとく赤く輝いていた。


 この男が何者かは俺には知る由もない。


 だがそれでも、彼が危険人物だろうことは一目で察せられた。「悪魔崇拝」だとか「邪教カルト」だとか、その手の言葉が瞬時に脳裏を駆け巡る。


「エド! 逃げろっ!!」


 トムの声で我に返る。


 見ると、鹿頭の男が俺の眼前で仁王立ちしていた。男は余裕たっぷりに、緩慢な動作でハンマーを振り上げた。


(ヤバい!)


 思うより早く身体が動いた。生存本能の賜物か、腰を抜かしつつも這うことくらいはどうにか出来た。


 直後、すぐ後ろでけたたましい音が鳴った。金属の塊が床を打ち砕く音だ。


 俺は無我夢中で立ち上がると、一目散に部屋の出入り口へと向かった。


 扉に手をかけ、束の間だけ後ろを振り返る。例の鹿男はこちらに向かって大股で歩み寄ってきていた。走ってもいないのに恐ろしい速さだ。



 部屋を飛び出して、まず向かうのは階下に続く階段。このまま全速力で走れば無事に正面玄関まで、ひいては外に停めてある車まで逃げ切れるかもしれない。


 しかし途中で思い直す――トムを置いては行けない!


 幸か不幸か、敵は俺の背中を追い続けている。この追っ手をどうにかしてまくことができれば、あるいは……


 考えながら、俺は三階廊下の曲がり角に近い部屋に飛び込んだ。追っ手の視線を切るには絶好の位置だった。



 トムがいた客室と同じく、部屋内は暗かった。しかしフラッシュライトは使えない。目立つ明かりを振り回していては、身を隠すことはできないからだ。


(となると、こいつの出番か……)


 俺はハンディビデオカメラを改めて構えた。暗視モードに切り替えると、手のひらサイズの画面に真っ暗な部屋の様子が映し出された。


 倒れた椅子。ヒビだらけの壁。裂けかかったカーテン。隙間なく塵の積もった床――ゆっくり考えている暇はない。俺は目についたベッドの下に、大慌てで身体をねじ込んだ。


 そこに紙一重のタイミングで鹿男がやって来た。


(クソっ、部屋に入るところを見られたか……?)


 口から飛び出しそうな心臓をどうにか鎮める。ここで物音でも立てようものなら、作戦は完全に台無しだ。


 と、頭ではそう分かっているのだが、それでも鹿男の巨体と足音とがすぐ近くまで迫ってきた時には、思わず声をあげそうになった。


「もはやここまでか」と半ば覚悟を決めかかるも、しかし男はベッドの下を覗き込むことなく、ほどなく部屋を去っていった。普段は信心深いとは言えない俺も、この時ばかりは天に感謝せずにはいられなかった。

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