第三話 スリムレディ 3
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間を置かず三度目のゲート。三度目の全体地図掲示板。
これまで訪れていないエリアの地形を確かめるべく、今回は反時計回りに探索を進めていく。
少しして見えてきたのはバーベキュー場。簡素な屋根に覆われたテーブルコーナーの横に、かまどがいくつか並んでいる。近くには複数の蛇口が並ぶ洗い場も見えた。
それらの蛇口のうちの一つに、今回の最初のメモはテープ留めされていた。
二枚目と三枚目の紙片はそれぞれ順路脇の看板と、小川にかかる橋とで入手した。
その橋を越えた先に広がるはバンガローエリア。キャンプ場の北北東にあたる地域だ。
ぱっと目につくかぎり、一帯には全部で六棟の小屋が用意されているようだ。それらの小屋は一様に建物としての体を成してはいるものの、過ぎた年月の仕業だろうか、ガラス窓や外装はほとんど朽ち果てかけていた。
結果から言えば、この一帯では二枚のメモが見つかった。これで合計五枚。(さあここからが鬼門だぞ)と思うや、早速ハングドウーマン登場。
最悪なのは、このとき俺がいた位置だった。奴が姿を現したちょうどその瞬間、俺は一棟のバンガローの内部を調査していたのだ。
当たり判定の関係か、敵が屋内に入り込んでくることこそなかったものの、代わりに出入口は完全に封鎖されてしまった。この時点で死、確定。
(はいはい……次次)
俺は投げやりな気持ちで、自ら怪物に腕に飛び込んだ。
四
(作戦を変えよう)
四度目の地図掲示板を前に、俺は思った。
名付けて、「メモの場所だけ先に確認して後からまとめて回収作戦」。
詳しい説明は不要だろう。名は体を現す、だ。
今度の最初の一枚は地図の所で発見した。初回挑戦時と同じ箇所だ。
本来ならこのメモをさっさと回収してしまうところだが、例の作戦のためにいったん保留する。まずは各メモの配置場所の確認だ。
次いで二、三、四枚目のメモは、それぞれキャンプ場西側の諸エリアで見つかった。遊具広場、溜め池、公衆トイレに各一枚ずつという具合である。
敵が出現せず、焦る必要がないぶん、細かい所まで詳しく調べることができる。おかげで調査はこれまでになく好調だった。
これでスマホやカメラがあればなお快適だっただろうが、あいにくどちらも持ち合わせていない。まったく、用意の悪い話である。
それからやや時間が経って、五枚目のメモは崖の近く、六枚目は生垣迷路、七枚目は小川の橋でそれぞれ発見された。
この手のオブジェクト収集系ルールでは、一枚目を取らないと二枚目以降が出現しないケースもある。そのことを踏まえれば「この世界」などはまだ有情である。リスクなく情報アドバンテージを得られるのは破格の仕様と言って差し支えない。
そうして歩き回るうち、ついに最後のメモが見つかった。場所はキャンプ場内南東部。いくつもの区画に分割された、花壇の広がる一帯だ。
この花壇は厳密に言うと一続きにはなっておらず、大きなプランターが無数に並んでいるような設計で、咲き誇る花の間を観覧者が通れるようになっている。
最盛期にはさぞかし人目を引いたことだろう。だが今となっては見る影もなし。ひび割れた鉢にうっそうと立ち並ぶのは、いずれも背の高い雑草ばかりだ。
ともあれ、これで下準備は整った。
メモの位置はすべて把握したし、地形もおおむね頭に入っている。
するべきことはあと一つ。黙って回収あるのみだ。
×
最初に拾うメモは全体地図上のそれに決めた。この場所から時計回りに進むのが個人的に一番慣れている。スムーズな回収を目指すなら、ここが最善のスタート位置だ。
そこから南西エリア、西エリア、北西エリア、北エリアへと順々に進み、順調なペースで紙片を集めていく。あらかじめ位置が分かっているゆえ、回収ペースは当然これまでで最速だった。
もちろん敵の妨害はあったが、幸いにもさしたる問題にはならなかった。少なくとも、この時点までは。
ほどなく生垣迷路で六枚目を入手。最高記録更新だ。
残すメモはあと二枚。この戦いも佳境に入ったか、東エリアを目指す道中、ハングドウーマンの攻撃は激しさを増す一方だった。彼女は俺が行く先々に忽然と姿を現し、息つく間もなく“追いかけっこ”を挑んでくる。麗しい女性に追われるならむしろ望むところだが、命がけとなると話は別だ。
こうなると気になるのはやはり移動速度だ。現時点では、敵は俺と同じ速さで後をついてくる、という状態である。これでは逃げ回るのも一筋縄ではいかない。
それでも捕まることなく逃げ続けられているのは、ひとえに地形を覚えているがゆえのことだった。
猛攻をかわしつつ進むうち、小川にかかる橋で七枚目のメモを回収。いよいよラスト一枚だ。
不安なのは、「この段階でどのていど敵が強化されるか」だ。もっとも気になるのは足の速さ――いやまあ、地面から浮いているので「足の」というと違和感を禁じ得ないが、ともあれ「速さ」だ。
敵の速さが俺の移動速度を超えると、場合によっては手の打ちようがなくなってしまう。この点は難易度調整のさじ加減にゆだねるしかないだろう。
そんなわけで人知れず神に祈っていたのだが、不幸にも俺の恐れは現実のものとなった。
敵の追跡をこれまでどおり振り切ろうとしても、一向に距離が空けられない。むしろ両者間の距離は詰まる一方だ。
(くっ、仕方ないか……!)
俺は林中の道なき道に飛び込んだ。木の当たり判定に敵を引っかけようという算段だ。
しかし、二度目の挑戦時にはこの戦法で痛い目を見たわけで、正直なところ、成功確率は良くて五分五分ていどである。だが、ほかに手がない以上はやるしかない。自爆覚悟の大博打だ。
結局、この目論見は半分ほど上手くいった。
なるほど敵は障害物に引っかかる。とはいえ相手にワープ能力がある以上、振り切るまでには至らない。
こうなれば敵が発する奇妙な移動音をヒントに、急襲をかわし続けるのみだ。
そうして息を切らして走るうち、ついに目的地が見えてきた。南東の花壇エリアである。
ここに至って気づいたが、逆さ女がワープして来られる位置は、俺の視界外に限定されているらしい。樹木の幹が視界中を占領する森の中では、それこそ行く先々に現れていたハングドウーマンが、この花壇エリアではほとんどそれらしい動きをしてこない。まばらな生え方をする雑草では、視線を切るのが難しいからだ。
のみならず、彼女はここでもオブジェクトの当たり判定に行く手を阻まれているようだった。たとえ隙間だらけの草木でも障害物にはなり得るようで、例の女は度々、鉢植えと顔を突き合わせた格好で立往生していた。はたから見るぶんにはとてつもなくシュールな絵面だった。
そのせいか、待望の瞬間は想像よりもあっけなく訪れた。
どの道ギリギリになるだろうと心構えをしていたのが、肩透かしを食らうようにあっさりと目的地までたどり着く。最後のメモはもう目と鼻の先だ。
この時点で、俺は自らの勝利を確信した。
しかし最後の紙片に触れた瞬間、驚くべき言葉が俺の脳裏に浮かんできた。
――車に戻れ――
とたん、それまでほぼ言葉を発さなかったハングドウーマンが、突如として金切り声をあげはじめた。
両目から血の涙を滴らせ、黄色い歯をむき出しにして叫び狂う――怒り心頭で迫る逆さ女の形相は、直前の滑稽さを打ち消すほどの禍々しさに溢れていた。
その絶叫はただ間近で聞くだけでも苦痛なほどで、足を止めるとかえって呼吸が乱れ、視界が赤く染まっていく。両者間の距離が縮まれば縮まるほど、その効力は増すようだった。
(立ち止まっちゃいけない……!!)
おそらく、ここからは敵に「捕まらない」だけでは不足なのだろう。単に近くに居続けるだけでも、命を奪われてしまうのだ。
さしもの俺もこの急変には動揺せざるを得なかった。
唯一の救いは、ここから車までそれほど距離がないことだ。追っ手をまく手段は限られているが、ともあれ必死にゴールを目指すしかない。
俺は肺が痛むのに構わず、全力で砂利道を駆け抜けた。
後方からは変わらず地獄の絶叫が聞こえ続けている。「これはまずいか」と腹を括りかけるも、どういうわけか敵はまっすぐに俺を追ってくるばかり。あの厄介なワープ移動をしてくる気配はない。もしかすると、興奮状態ではその能力を失ってしまうのか。
くわえて、移動速度それ自体もいくぶん落ちているらしく、最前に比べ距離の詰まり方も緩やかだった。
(これなら十分勝機はあるぞ……)
そう自分に言い聞かせながら走るうち、やがて全体地図の前を通り過ぎた。ちらと後ろを振り返ると、追っ手との距離は一五メートルほどになっていた。
続いて木製のゲートをくぐり抜ける。敵との距離は約一〇メートル。レッドフォレスト・キャンプという名前の意味が、今ならはっきり理解できそうだ。
間を置かず、セダンが前方に見えてきた。この時にはもう叫び声はおろか、あの女の息遣いまで聞き取れそうなそうな気がしていた。もはや五メートルと離れていまい。
その後、俺は車にたどり着くや大急ぎで運転席側のドアハンドルを引っ掴んだ。そのまま引き剥がさんばかりの勢いでドアを開く。次いでシートの上に身体を滑り込ませ、震える手でエンジンを始動させた。
不意に感じる視線。
サイドウインドウに目をやると、そこには上下逆さになった女の顔がべったりと張り付いていた。女は耳元まで裂けた口でニタニタと楽しげに笑っている。
(ちくしょう! ここで……ここまで来て死んでたまるか!)
俺はアクセルペダルを目いっぱいに踏み込んだ。
直後、けたたましい音を立てて駆動輪がスリップした。ゴムの焼ける匂いと舞い上げられた砂塵とが周囲一帯を包み込む。それから一秒と経たないうちに、俺を乗せたセダンは放たれた矢の勢いでアスファルトの上を進みはじめた。
バックミラーを覗くとハングドウーマンの姿が映り込んでいた。
彼女は鬱蒼たる森の前で立ち尽くしたまま、みじろぎもせずこちらを見つめ続けていた。
×
無事にキャンプ場を脱出してからも、たっぷり数時間は安心することができなかった。
気を抜けないのも無理はあるまい。なんといっても、敵は瞬間移動ができるのだ。いつ目の前の街灯から飛び出してくるか分からない――そのことを思うと、ハンドルを握る手にじわりと汗がにじんできた。
だが、結論から言えばその心配は無用だった。
道なりに道路をしばらく行くと、道の両脇にぽつぽつと人家が見えはじめた。そこから先は賑やかになる一方で、一軒が二軒、二軒が四軒と、だんだんと活気が増してくるようだった。
そこからまた真っ直ぐ走り続けると、今度は遥か前方にまばゆい光が見えてきた。恋焦がれた街の明かりだ。
その煌めきを目にした時、俺はやっと確信した。
(そうか……俺は生き残ったんだ……!)
ようやく掴んだ勝利をひとり噛み締めながら、俺は一段と強くアクセルを踏み込んだ。
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