第三話 スリムレディ 2
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〈アセット〉というのはゲーム制作に関連する用語で、内容は「ゲームを作るために必要なデータをまとめたもの」というものである。
具体的には、例えばキャラクターやマップのCGモデル、テクスチャ、モーションデータ、および音声などの素材がこれに該当する。
こうしたデータ素材はもちろん自作してもいいのだが、時間や手間の都合によっては出来合いのものを活用すべき場合もある。
そういう時に頼りになるのが、ゲームエンジンを扱うメーカーが主として配布している出来合いのデータ群、すなわちアセットである。無料のものもあれば有料のものもあり、クオリティもピンからキリまで様々だ。
ことインディゲーム業界においては、とくにこの無料アセットが非常に幅を利かせている。
なにぶん人員も経費も限られがちな開発環境だ。かかる手間も出費も大きく削減できるこの手を利用しないという選択肢はない。
もし問題があるとすれば一点だろう。つまり、同じ考えの小規模開発チームは星の数ほど存在する、ということだ。
無料配布されるデータの種類には当然ながら限りがあるので、世界中のゲームクリエイターによって繰り返し利用されれば、使用用途が被るという事態がどこかしらで必ず発生する。それも、似たような状況下、似たような展開、似たような企画で、だ。
これは恐怖を扱う業界としては致命的な痛手である。多くのプレイヤーにとって、見飽きた怪物は恐怖の対象たり得ないからだ。
それどころか、人によっては親近感さえ覚えることもあるだろう。
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そう、例えばこの俺のようにだ。
(まさか転生した先で、お前と再会できるとはなあ……)
逆さまの状態で浮遊し、かつ手足も動かさず滑るように移動するアセット3Dモデルを前に、それでも俺は懐かしさを禁じえなかった。
とはいえ相思相愛とはいかない。くだんのハングドウーマンが奇怪な移動音とともにこちらに近寄ってくるのは、十中八九、好意からの行動ではあるまい。
幸いにも、彼女の移動速度はそれほど速くはなかった。むやみに足を止めなければさほど危険はない。全回収物八つのうち、三つ入手の段階ではまだまだこのていど、といったところか。
そんなわけで、俺は次なるメモを求めて遊具広場を後にした。
四枚目の紙片はキャンプ場内北西部、溜め池のそばの切り株で見つかった。
次いで、五枚目は大きな公衆トイレの割れた鏡に貼り付けられていた。
公衆トイレから出る際にばったりと敵と鉢合わせしてしまったが、出入口が二か所に分かれていたため、どうにか事なきを得た。これはこの世界の“クリエイター”による配慮の賜物か、それとも偶然の産物か。
ともあれ問題はその後だった。
五枚目入手時点で、敵の移動速度が俺のそれと等しくなった。後半戦突入に合わせ、いよいよ敵方も本気を出しはじめたようだ。
こうなると相手を振り切るのが格段に難しくなる。まっすぐ逃げるだけでは距離を広げられず、かといって下手に曲がれば墓穴を掘ることにもなりかねない。ここから先は、「建物や樹木などの当たり判定に敵を引っかける」というような工夫が必要になってくる。
されど「言うは易し」だ。とくに、慣れない土地ではなおのこと。
恥を忍んで言えば、ここにきて俺はドジを踏んだ。
その時、俺はキャンプ場内北北西の迷路エリアにいた。背の高い生け垣を利用したレクリエーション設備だ。
規模はそれなりていどだが設計は本格派で、下手をすれば大の大人でも迷ってしまいそうな出来である。
実際、俺はすっかり迷子になってしまった。
心理的な焦りもあってか、生け垣に遮られて月が見えなくなると、自分の向いている方角さえ判別がつかなくなる。右へ行くべきか左へ行くべきか、それとも真っすぐ進むのか? そもそも、自分はちゃんと前進できているのか?
最悪なのは、そうした状況で敵に見つかってしまったことだ。
どこに進むべきかも分からず、しかしながら足を止めるわけにもいかない――そんな状態でいつまでも体力がもつわけもなく、俺はついに「その瞬間」を迎えることになった。
――転生後、初の死。
青白いハングドウーマンの顔が触れ合わんほどに近づき、耳をつんざく絶叫が辺りに響きわたる。束の間の激痛と苦しみと、身も凍る寒気とに代わる代わる精神を焼かれたのち、俺はやがて第二の死を迎えた。
三
次に目を覚ました時、俺は見覚えのある場所にいた。
前方には深い森。後方には一台のセダン。そこは、俺がこの世界で最初に目覚めた場所だった。
この事実が意味するところは一つ。また初めからやり直し、ということだ。
言っては何だが、直前の死に伴う苦痛は想像よりかは小さかった。サラリーマン時代も含めて二度目の経験だからか、耐性ができていたのかもしれない。あるいはこれも神の慈悲か。
どうあれ問題は、この死が「何も解決しない」ことだ。
俺はふたたび木製のゲートの前に立ち、「レッドフォレスト・キャンプ」という文字の下をくぐり、キャンプ場内の全体地図がある地点まで舞いもどった。
一度目の挑戦時にはこの地図に最初のメモがテープ留めされていた――のだが、今回はそれらしい物は見つからない。
仕方がないので今一度、時計回りに敷地内を進みはじめる。すると、遊具広場に続く道の途中で最初の一枚を発見した。その一枚は道端の案内板に貼り付けられていた。
俺の記憶が正しければ、最前の挑戦時にはこの場所にメモはなかったはずだ。おそらく、やり直すたびに回収物の配置が変わるのだろう。
(厄介だな……)
嫌な予感を覚えつつ、俺は第二ラウンドのゴングを鳴らした。
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その後は続けざまに二枚目、三枚目、四枚目と、以前と同様ここまでは順調に回収できた。
続く五枚目はキャンプ場内北部のエリアで見つかった。ボルダリングができそうな小高い崖の近くだった。
(よしよし、今のところ悪くないぞ……)
と考えた矢先“奴”が現れた。
くだんの女は相も変わらず、逆さまに宙に浮いていた。
敵は崖に面した森の木立の中から、こちらの様子をうかがっていた。となると、うかつに森の方面には逃げられない。
が、さりとて崖に飛びつくというわけにもいくまい。崖登りにはそれなりの技術と準備とが必要不可欠なのだ。
よって俺は仕方なく、森の真っ只中を突っ切ることにした。
この選択の是非については、一概に判断するのは難しいところだろう。ただ、運に恵まれなかったのは間違いない。
その時、ハングドウーマンが突如として俺の目の前に出現した。正確には、俺の前に立つ木の陰に、だ。
どうやらこの女はワープ移動もできるらしい。元ネタだろうスリムマーダラーを彷彿とさせる神出鬼没さ。思った以上にベタなやつだ。
一心不乱に走る最中に突然、目の前に飛び出されては、回避など間に合うはずがない。
こうして、俺は今一度「死の抱擁」に包まれた。
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