第三話 スリムレディ 1


    一


 目が覚めて最初に感じたのは疑問――それも、「俺は誰だ?」という疑問だった。


 今度の“俺”には名前も経歴も与えられていなかった。おそらく、今度の世界ではプレイヤーキャラクターの設定は重要ではないのだろう。


 それゆえ現時点で判明している事実は二つのみ。


 うち一つは、眼前に深い森が見えること。


 そしてもう一つは、俺は今からその森を探索しなければならない、ということだ。


 探索の動機についてははっきりしていない。この使命感はあくまで直感的なものだった。


 詳しい現在時刻は不明。とにかく夜、それも日が沈みきった夜中である。


 このとき俺が立っていたのは、舗装された道路の終点部分だった。背後には一台のセダンが停まっている。俺はこの車に乗って、ここまでやって来たのだ。


 森の中はそれなりに整備されているようで、砂利道ながら林道が吸い込まれるように続いている。


 俺はその道をひとり歩きはじめた。ぽつぽつと立っている街灯と、少々心もとない懐中電灯の光だけが、この道行きの頼りだった。



 道沿いにしばらく行くと木製のゲートが見えてきた。


 それほど凝った作りではなく、門扉などはない。高さは三メートルほどか、二本一対の門柱と、それらの間に渡された看板とで構成されている。


 その看板上には〈レッドフォレスト・キャンプ〉との表記が見えた。一文字ずつ木材を切り出して貼り付けたその加工にはこだわりが感じられるが、整備を疎かにしている点はいただけない。おかげで、いくつかの文字が傾いたり落ちかかったりしている。


 ともあれ、どうやらこのキャンプ場が俺の目的地であるようだ。



 ゲートをくぐり、また少し進んだところで今度は幅広の看板が見えてきた。ありがたいことに、そこにはキャンプ場の全体地図が掲示されていた。


 その地図によると、このレジャー施設にはちょっとした池や広場、小高い丘、バーベキュー場、生垣迷路、加えてバンガローの立ち並ぶエリアなどが用意されているらしい。俺の現在位置は敷地内の真南、キャンプ場の正面入り口にあたる場所だ。


 ただ、この地図はいったい誰の仕業だろうか、スプレーで落書きがされている。そのため、地形の一部については詳細が掴めなかった。


 落書きを消そうとした痕跡は見られない。さきほど通ったゲートの荒れようも考え合わせると、このキャンプ場はすでに閉鎖済みだと考えるのが妥当かもしれない。ここから先、まともな光源は望み薄か。


 とにかく地形を頭に入れるべく地図を眺めるうち、俺はあることに気が付いた。看板の端にメモが貼り付けてあったのだ。


 その内容はこうだ。



お前はこれを見た。つまり――お前は死んだ。



(悪趣味な落書きだな……)


 悪趣味で、かつ意味深。いかにもホラーゲームらしい文言だ。


 しかし、なぜこれをわざわざメモ書きとして残したのだろう? 悪戯書きならほかと同様、看板に直接書き込めばいいものを。


 俺は少し気になって、その紙切れを手に取ってみた。


 とたん、頭のなかに「八分の一」というメッセージが思い浮かんだ。これも今現在の俺の行動原理と同じく、あくまで直感的なものだった。


(そ、そうか! それ系か……!)


 思い至ると同時に確信する。これは〈スリムマーダラー〉ものだ、と――


    ×


 スリムマーダラーとはアメリカの都市伝説に登場する怪物の一種である。


 この怪物はその名称が示すとおり、ほっそりした体格を外見上の特徴として備えている。遠目には人間に近しい姿をしているものの、その肌は血の気を感じさせない純白色。頭部には顔面も毛髪もなく、くわえて、異常に細長い胴体と手足と、さらには無数の触手まで併せ持っている。


 現代アメリカ生まれのモンスターとしては比較的シンプルな造形だが、その身を覆う真っ黒なスーツとの相性ゆえか、見た目のインパクトは想像以上に強い。


 その性格は一言で言えば執拗。一度目を付けた相手を地の果てまでも追いまわし、言葉もなくじわじわと、かつ徹底的に追い詰める。


 特技としてテレポート移動の能力を有しており、神出鬼没にどこにでも現れることができる。また、たとえ直接的な攻撃をおこなわずとも、単に獲物の視界内に居続けるだけで相手を死に至らしめるという、高い殺傷能力も彼の持ち味だと言えるだろう。



 上記のような強烈なキャラクター性が話題を呼んだか、スリムマーダラーは都市伝説界隈に一大ブームを巻き起こした。


 これほどの逸材をフリーホラーゲーム業界が放っておくはずはなく、彼を題材にしたゲームは一時期、彼の触手と同じく無数に生み出されることとなった。その出来は言うまでもなく玉石混合である。



 そうして制作された作品群のうち、とくに有名になった数作で採用されていたルールが〈メモ収集〉である。


 このルールにおけるプレイヤーの目的は、「一定の広さを備えたエリア内で、敵に追われながら指定された数の目標物を回収する」こと。当然、敵に捕まればゲームオーバー。早い話が鬼ごっこだ。


 基本的にストーリー説明は最小限。その構成は、「恐ろしいモンスターと対峙する」という体験にフォーカスして設計されている。くわえて、目標物を回収するたびに敵が強化されるという、直感的なレベルデザインも印象深い。



 このように一部界隈の耳目を集めたスリムマーダラーであったが、しかしブームに終焉は付きもの。人々の関心が他の怪物たちに移っていくにつれ、この細身の怪物にまつわる“新たな目撃情報”は次第に聞かれなくなっていった。


 ところが、彼が残した影響はやはり大きかった。


 その特有の簡潔さが受けたか、例の「メモ集め」ルールはスリムマーダラー・ブーム終了後も、敵キャラを変え舞台を変え数多の派生作品を生み出すこととなった。


 このルールを基盤に、戦いの舞台を学校に、怪物を教師に置き換えた作品がのちに大ヒットを飛ばすことになるのだが、それはまた別のお話である。


    ×


 ともあれ俺はこの時、さびれたキャンプ場跡をひとり訪ねていて、全八枚のメモを回収するという責務を人知れず果たさんとしていた。


 ここまでの流れは非常にオーソドックスだ。むしろベタとさえ言える。


(これは敵の性質にひねりがある……か?)


 思いつつ、俺はキャンプ場内を真南から時計回りに調査していくことにした。


    二


 この種のゲームでは目標物を三個ほど入手してからが本番、というケースが体験上多い。最初の二個までは敵の出現頻度が低いか、そもそも出現しないかだ。


 そうした傾向はこの世界においても健在のようで、紙切れを二枚集めた時点では、脅威の気配を明確に感じることはなかった。



 三枚目のメモは遊具広場で見つかった。それはペンキの剥げたジャングルジムに、セロハンテープで留められていた。


 書面は一枚目と似たり寄ったり。「逃げろ! 逃げろ! 逃げろ!」という文言が乱暴な字で書きつけてある。


 キャンプ場は全体に古びているが電気は通っているようで、遊具広場一帯は電灯の白い光で照らされていた。手元に懐中電灯はあるものの、やはり固定の照明があるのはありがたい。


 などと考えつつ次のエリアに向かいかけた時、物音が耳についた。その音は背後の森林から聞こえてきたらしかった。さきほどから森のざわめきが聞こえていたのは聞こえていたのだが、今しがた届いた音は一段と大きなものに感じられた。


(いるな……)


 俺は本能的に感じ取った。未知の怪物がついに目を覚ましたのだ。


 注意深く辺りを見回す。すると、視界の端に何かが映り込んでいることに気が付いた。あからさまに直視すると襲ってきそうな予感がしたので、俺は見るでもなくその「何か」を観察した。


 木立の隙間でゆらゆらと揺れ動く物。枝や小動物の類ではない。もっと複雑で、もっと大きな影――その正体は、見まごうことなき人影だった。


 理解が遅れたのには理由があった。というのも、その人影は上下が逆さになっていたのだ。


 最高点から地面までの高さは通常のそれと変わりないが、頭部と脚部との上下関係が逆転している。地面に近い位置で浮遊する頭部から、天に向かって胴体が生えている、といった様相だ。


(……うーん……)


 案外怖くないな、というのが俺が最初に抱いた感想だった。というのは、その“逆さモンスター”は上下が逆という以外にこれといった特徴を持ち合わせていなかったのだ。


 無感動でぼんやりとした顔つき。なぜ着ているのか分からない患者用手術衣。


 それら二点を除けば目立つ外見的特徴は何もない。しいて言うなら体表面が薄汚れていることくらいだろうか、ともあれ中肉中背の若年女性である。


 くわえて言うなら、俺はそのモンスター――〈ハングドウーマン〉とでも称するか――にどことなく見覚えがあった。この記憶は「この世界」で生まれ育った「俺」ではなく、かつて「ニッポンノサラリーマン」として生きていたころの自分に紐づいたものだった。


(……多分……アセットだな、このキャラクターモデルは)

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